開港5都市景観まちづくり会議一般参加してみて
日頃よりお世話になっております。
Yocco18ファンクラブでアンバサダーとかやらせていただいてる西沢です。
今回は2024年11月23日から25日の日程で開催された、開港5都市景観まちづくり会議2024横浜大会の全体会議Ⅰと分科会2に抽選の結果一般参加できたのでそちらの参加してみてのまとめと感想を書いていきたいと思います。
全体会議Ⅰ
初日の全体会議Ⅰは11月23日14時半より横浜市開港記念会館講堂(ジャックの塔)にて開催されました。
初めに主催者挨拶として実行委員長の山本様と開催都市挨拶として公務により不在の山中市長に代わり都市整備局局長の鈴木様からの挨拶ののちに基調講演が始まりました。
基調講演「あぶない刑事からみる横浜の都市景観」
基調講演として映画「帰ってきた あぶない刑事」プロジューサー近藤様よりお話がありました。
まず最初に、開港5都市にちなんで、あぶない刑事或いはその関連作品の舞台として登場した5都市の紹介があり、特に函館の紹介では「はるばる来たぜ函館」と歌っているシーンでファンの皆さんがクスっと笑っているところが印象的でした。
5都市が各々のシーンで使われていることに対して、近藤様の「港は映像として映える」といったニュアンスで話されており、海、港湾→刑事みたいなイメージが舞台装置として成り立っているのだなと感じられました。
横浜があぶない刑事の舞台に多く使われた理由としてもスタッフが横浜について詳しいなど土地勘があって、かつ東映のスタジオは練馬にあったが、あぶない刑事関連の制作スタジオ(日活スタジオ)は練馬よりも横浜に近くアクセスの良好な調布にあった等、関心深い話が展開されていました。また、ドラマ演出をするうえで、「一筋(ストーリー)、二抜け(カメラワーク)、三動作(演者の芝居)」を拘るうえで港だけでなく、山、坂といった縦の地形が舞台を横にだけでなく縦にも画を広げられるといった横浜の地形をフルサイズで活用した演出技術のお話もとても関心を持ちました。
赤レンガ倉庫に関してもあぶない刑事に登場した当時は寂れたレンガ倉庫であったが、放映後人気になり、後世に残るきっかけになったのではないかという作品プロジュース側の意見も話されていました。
そして、みなとみらいの開発が完了に差し掛かっている中、あぶない刑事の歴史は横浜の都市開発とともに来たことに触れて、近年の「リターン」や「帰ってきた」ではCG等も使っているが、CGを使わずに演出をしたいので市への協力を求めて話の結びとなりました。
一般的では講演の際に版権物の映像を使うのは版権的に厳しい面も多々あるようですが、今回は特別にとあぶない刑事の映像を多く流しながら、当時の横浜市の景観を多く紹介する講演は、5都市の関係者だけでなく、一般応募で参加したファンの皆様も喜ばれたのではないのでしょうか?
質問では危ない刑事のファンの方からも質問が飛んでおり、帰ってきたで登場した「T&Y探偵事務所」(ロケ地は日本大通の「THE BAYS」)が広く、高そうな事務所についての質問と今度次回作が出た場合はもう少しこじんまりとした事務所が舞台になるのか?という質問も飛び、「事務所のイメージと、懐事情との齟齬はトレンディドラマとしてのご愛嬌」と近藤様の舌も巻くような質問も飛び交い、その上で、次回作も匂わせるなど会場は盛り上がっておりました。
個人的には「あぶない刑事」を視聴したことがないのですが、過去の横浜の景観とあぶない刑事の歴史の話は以前より伺っていたので、興味深く聞くことができました。
パネルディスカッション「都市景観を形成する歴史文化と市民のタッチポイントづくり」
基調講演のあとは、5都市それぞれの現場にて活躍されているパネラーによるパネルディスカッションが開催されました。
細かい話は、いずれどこかでまとめられそうなので、ざっくりと書きますと、それぞれの活動について5分間で紹介したのちに、歴史文化をどうやって市民へと伝えていくかの工夫と、歴史文化を次世代へ引き継ぐための取りくみ、工夫についての2問をそれぞれの視点からお話していました。
神戸市の髙村さんは自身の所属する元町商店街まちなみ委員会での活動を踏まえ、大学・大学生との連携した取り組みについて重点的に話され、
長崎市の梅元さんは歴史的価値のあるものをより親しみやすくしてもらうために、スポーツの力、文化の力(聖地観光)を挙げ、補足資料として横浜DeNAベイスターズの日本一を祝福していただいたり(ありがとうございます)、ファーレン長崎の活躍(今年の保土ケ谷区民デーいい戦いでした)、聖地観光として今年話題にもなったアニメ映画「きみの色」についても触れて、様々なアプローチが提供されました。
新潟市の杉山さんは歴史都市新潟として、新潟は史跡や重要文化財が多く、その多くが博物館としてアクセスできる環境にあり、学校教育にも熱心に取り組んでいるという話で、生きた歴史を未来へ語り継いでいく大切さを訴えていました。
函館市は昨年ホストタウンで使用した函館市民会館などの歴史的建造物をリノベーションして活用している事例を踏まえ、活用することで将来的にも歴史遺産を使いながら残していく大切さを話していました。
横浜市の川井さんは大きな都市横浜において、横浜中心部だけでも多くの商店街があることに触れ、課題はそれぞれの商店街によって違うことを話したうえで、活動しているHmaBridge(市内の大岡川、中村川らを水上交通で楽しみ、歴史や自然、文化に親しみを持ってもらう会) の活動を紹介し、多くの人の協力によって成り立っていること、仲間を作っていくにはコミュニケーション(飲みにケーション)が大事になるかなと笑顔で話しておりました。
今回のパネルディスカッションで答えを何か出すというわけでなく、それぞれの出身、立場から多様な意見を聞く、ということが趣旨としてあるのかなと思います。そんな5都市の人たちが集い、考えを深める次の日の分科会に期待を込めて、全体会議Ⅰは終了となりました。
一日目の余談
全体会議Ⅰ終了後、一階に降りると、ペリー提督の銅像がありました。
そして、
動きました。
(動くペリー提督像はヨコハマまちトークでも話題に上がりましたね)
動くペリー提督像が開港5都市の来客を楽しませていました。
このあと、開港5都市のメンバーはウェルカムパーティーへ参加していたようですが、一般応募者は参加できなかったので、いずれどこかで???🤔
まあ、そのあとプレミア12観戦しようと、東京ドームまで向かっていたのですが、ハマスタちょっと覗こうと思って行ってみたら、写真撮影に応じている背番号4の度会選手っぽいそっくりさんがいるなぁ… って思っていたら、本人でした…
普通にハマスタの外周を選手って歩くんだなって思いつつ、関内から電車に乗りましたとさ…
分科会2 開港期の横浜商人の街・関内を探り、未来を考える
2日目は再開発が進む関内中心部(セントラル関内)を巡り、実際に住んでいる、活動している方から生を声を聞いて、関内地区の未来を考える分科会に参加しました。
集合からミニレクチャー
分科会2のスタートは関内駅南口、建設が進むBASEGATE横浜関内が開港5都市からやってきたおおよそ30人の人たちを出迎えていました。
前回の横浜がホストタウンで行われていた時は市庁舎として使われていたこの地は三井不動産が核となり計8社の参画により地上33階建の高層ビルを核とした大規模再開発が進行しています。
目玉は横浜DeNAベイスターズの試合のパブリックビューイングやライブビューイングのできる「THE LIVE」ですね。ハマスタともデッキによって当地区が接続される予定なので、より熱気が伝わってくるのではないかと思います。また、隣の区画も今度高層ビルが建つ予定で、変化する関内地区の象徴ともいえるでしょう。
ミニレクチャーの会場である、横浜市開港記念会館まで歩きます。
途中にあるのは横浜DeNAベイスターズの本拠地横浜スタジアムを擁する横浜公園、あとのミニレクチャーの時に横浜公園の成り立ちについても紹介がありました。
そして、続くように広い道路として「日本大通り」があります。こちらも横浜公園と同じく、あとで詳しく書きます。
因みに、日本大通りの地下には駐車場があるのですが、その出入り口をどうするかというときに車が入りやすいように道の真ん中に設けようとする案もあったようです。その時に横浜の都市デザイン行政側が「それでは景観が損なわれてしまう」とその案を却下し、道の脇に出入り口を設けたと都市デザイン行政に長く携わってきた「国吉直行」氏が話されていたのが印象的でした。
余談ですが? 横浜の都市景観を守って作られた建物といえば2020年に竣工した神奈川県庁東庁舎ですね。当該地区の条例が高さ45m以内(階にすると13階位)に収めるのが決まっており(緩和要件はあり)周りの景観と調和するために、外壁がレンガ調や石造りの建物にデザインされています。
歩きながら、横浜の整った街並みと、開港5都市の港町にあるあるな○○発祥の地に思いを馳せながら、(神戸と横浜で○○発祥の地で山手線ゲームやっても面白そうですね)横浜市開港記念会館(ジャックの塔)に到着です。
ミニレクチャー
横浜市開港記念会館にてお勉強タイムです。
関内地区に関内という地名がないのはある程度横浜に詳しい人ならわかると思いますが、じゃあどこを「関内まちづくり振興会」として活動しているか、特に関内の中心部ってどこなんだろうか?って話から始まりました。
振興会としては横浜の現市庁舎のある、北仲あたりからみなと大通りの海側から根岸線の線路くらいの範囲を活動していて、うち本町通り、関内大通り、尾上町通り、みなと大通りに囲まれた約15ヘクタールをセントラル関内と定義しているという話がありました。
その上で、関内地区の碁盤の目状に作られた町の経緯として、1866年の関内大火がきっかけとして、燃えた後の復興時にR・Hブラントンによって都市計画が構築され、馬車道が成立、防火帯として日本大通り、横浜公園が整備されたといわれています。
150年以上前の都市計画が今も残っていると考えると歴史があるって感じられますね。
そして、ミニレクチャーの次に歩く「弁天通り」についての解説がありました。弁天通りは関内で最初期に成立した「横浜五か町(海辺通、北仲通、本町、南仲通、弁天通)」の一つです。弁天通りは国内の生糸を集め、外国商人に仲介する「生糸売込商」が軒を連ね、全国の製糸場へ融資するなど、日本の産業を支える町になりました。そうやって経済の中心街になると「舶来品」「高級品」「買回り品」といったものを取り扱う商人も弁天通りに集まり、外国人だけでなく、珍しいものを求める日本人も集まり、今の銀座のような盛り上がりを見せたようです。
しかし、1920年の経済恐慌で製糸産業が破綻し、追い打ちをかけるように1923年の関東大震災で横浜の港湾施設が大打撃を受け、神戸の生糸輸出が始まり、地位の低下し、その後の商業として銀座の台頭や、市内の伊勢佐木町が集客力を高め、弁天通りの賑わいは損なわれていきました。
また、戦争により市街地が壊滅し、周辺後は米軍に接収されたことから戦後復興も遅れ、次第に商業地から業務街の一部として組み込まれるようになったそうです。
そんな戦後の関内を象徴するのが、防火帯建築と呼ばれる建物です。
接収を解除されてから復興を急いでいた横浜市は国が制定していた耐火建築推進法をベースに公的賃貸住宅と併存させることで融資金を引き上げ自己負担ゼロで建築を可能とする仕組みを作り、復興が加速しました。
このころの区画や、建築物が今もセントラル関内には多数残っていて、今回の街巡りのポイントとなる旨が解説されました。
弁天通りから市庁舎まで
生糸最盛期には多くの商人が集った弁天通りも今は静かな業務街・住宅街として成り立っていて、休日の午前中は静かな雰囲気が印象的でした。
上のビルは純木造で作った大林組の研修ビルだそうです。
竣工時話題になったとか
防火帯建築の代表例である弁三ビル、今もお店が入り、活用されています。
弁天通りを歩いていくと損保ジャパン横浜馬車道ビルが見えます。こちらはもともと川崎銀行横浜支店として1922年に建築されたものを1989年に歴史的建造物の保存を求める声を受けて、外観を残す形で改築されたものになります。弁天通り側では一階のみ外観が復元されていますが、馬車道側と弁天通り側で2階と3階で窓の位置が違うことにお気づきでしょうか?
これは、近代のフロアレベルと現代のフロアレベルが違うため、全体的に現代のフロアレベルに合わせるために、弁天通り側では建築物をくり抜くような形で施工されたようです。なんか不思議で面白いですね。
向い側には神奈川県立歴史博物館があります。こちらは横浜正金銀行本店として1904年に作られたもので、1967年に関東大震災で焼失したドーム屋根の復元等をしたうえで神奈川県立歴史博物館として開館したものです。
個人的には中学1年生の頃に横浜遠足みたいなものがあって、その時にここに寄った記憶があります。開港期に関しても展示はあったと思うのでこちらも観光スポットとしてよさそうですね。
そして、一路横浜市庁舎のある北仲地区に向かいました。
市庁舎手前、写真左側の建物は横浜アイランドタワー、市街地再開発事業の第1期として119mの超高層ビルとして建築されました。低層階の建物は1929年に第一国立銀行横浜支店として建てられたギリシア神殿風の建築物で、都市道路を整備する際、干渉したため、170m曳家して現在の位置に移設したようです。
そして、横浜アイランドタワーより高い155mを誇る横浜の心臓「横浜市庁舎」に到着しました。
2020年に竣工したため、前回の横浜大会ではまだ建築途中だったと思いますが、満を持して登場といったところですね。関内地区とみなとみらい地区を繋げる役割も果たすために、オープンスペースを低層階に設けていて、3階以上に市役所機能を設けているような感じです。
そして、ここでランチタイムとなります。
TSUBAKI食堂で横濱開港カレーを食す
分科会2の昼食は市役所でも特に地産地消を味わえるTSUBAKI食堂さんで「横濱開港カレー」を食べました。
TSUBAKI食堂は地産地消を掲げ、横浜の新鮮な食材をふんだんに使用した料理を楽しめるとあって、多くの人が通うお店です。コップに入ったサラダも横浜野菜が使われていておいしいですね。
また、毎月18区内の食材を使用し、それぞれの区の団体や学生を巻き込んで作られた18区丼というメニューはyocco18のキャラクターのコースターがもらえることもあって、yocco18のファンのみなさまもかなり通われているのではないでしょうか?
今回の横濱開港カレーはFMヨコハマの金曜の19時からオンエアー中の「U-MORE」にてDJの鈴木裕介さんと一緒に作り上げられたメニューだそうです。分科会2では一般お披露目会よりさらに先行での食事会となりました。
スープカレーは辛さが控えめな中に小粒のスパイスが入っていてピリッと辛く、野菜の出汁のコクの入って美味しかったです。別皿でスパイスが用意されているので辛さも調節できるのがありがたいですね。
参加者の中には横浜ビールを注文し、さっそく出会った仲間と飲みにケーションと相成ったり、私のテーブルでも、ドリンクとカレーを囲みながら、一般参加者でも自分たちの街に詳しいんだねと神戸、新潟の方とお褒め頂いたり、それぞれの街の状況を聞いたり有意義な時を過ごせたと思います。
料理がくるまでの間に、海岸通りの将来こうなったらいいなといったイメージを絵にしたものを団体の方からもらいました。このようなまちづくりの勉強会ですと、各方面で協議されている提案が共有できるので、何かのきっかけにつながりやすいですね。
川や海を使った親水アクティビティは楽しそうなので、実現すればと願っています。
グリスロミニツアーガイド
昼食の後は、時速20km以下で公道を走ることができる電動車を活用した小さな移動サービス、グリーンスローモビリティの体験会です。
こちらはハマの赤い電車こと京浜急行電鉄株式会社(京急)さんが実証実験をしており、今回開港5都市景観まちづくり会議のために特別運行してくださったとのことです。
走り出すと静かでのんびりと横浜の街をかけていきます。
同伴は横浜市都市デザインの神様、国吉直行さん
それぞれの都市デザインにポイントを解説していただきました、。
「ワールドポーターズのサークルウォーク側の駐車場棟はもともと駐車場のみにする計画であったが、それだと無骨すぎるため、腰巻にテナントを入れて連続性のある施設にした。」
「ナビオス横浜の建物が貫通になっているのは、汽車道から赤レンガまでの道を建物でふさぐと景観が損なわれてしまう(見通し景観軸)のと、通路を迂回するようになったりして、回遊性が低くなるため、配慮したデザインを要望した」
「横浜AIRCABINは名前について検討中に「○○ロープウェイ」とかありきたりな名前にしたくなかったと「AIRCABIN」を提唱したところ正式名称になった」
と横浜の都市計画にデザインや拘りが随所に見られると感じました。
人が歩くところはしっかり確保する。その沿道には賑わいを創出できるようにテナントを整備するといった拘りは町全体の連続性を高め、歩いて楽しい街並みが形成されていると思います。
また、走っている間に神戸と横浜の街づくりのスピード感についてのお話もありました。
神戸は阪神淡路大震災後に、急ピッチで復興が進んだため、都市の形成が早くできたという良さがあります。一斉にやったからこそデベロッパーの負担も軽減され、それぞれいい建築物ができたというメリットがあります。一方で同じ時期に一斉に開発したために老朽化のタイミングも同じになり、今課題となっているという話がありました。
対する、横浜みなとみらいは平成不況の影響も大きく、30年以上かかってようやくみなとみらいの開発完了の兆しが見えてきたところです。当時の予想図とは必ずしも合致はしていないですが、長期間にわたる開発によって持続性のある街並みになったと考えられます。
そこに整合性を付けたのが都市デザインであり、事業者に今後の区画開発を考えてデッキをあらかじめ整備したり、軸となるところに面する場所を賑わいを求めたスペースにすることを求めるなど、譲れないところはしっかり要望する姿勢が今のみなとみらいを形成しているのだと感じました。
馬車道を歩く
まず、最初に北仲ノットの足元、BankARTKAIKOやビルボードライブ横浜なんか入っている、旧帝蚕倉庫を復元した建物付近で集合。
馬車道駅のコンコースへ降りると22年の3月ごろにBankARTKAIKOで開催されていた都市デザイン横浜展の展示が、こちらの実行委員長を務めていたのも、国吉さんで、自分が映っている集合写真の前で、ツーショットに応じていました。
都市デザイン横浜展とても素敵な展示が多くて、みなとみらいの街並みだけでなく、金沢方面もデザインしたとの展示があって、広く都市デザインをされているという印象を受けたのを覚えています。また、展示会あればいいですね。
みなとみらい線も都市デザインが活きた路線ですが、こちらはどっかでかければとは思っています。
馬車道は1866年の大火ののちに整備された幹線道路の一つです。外国人を乗せた馬車が行き来する様から、馬車道と呼ばれたそうです。
馬車が行き来するという事は人も行き来するという事で、多くの人が集まったことからここから新たな事業や文化が生まれました。(写真館、アイスクリーム、近代街路樹、ガス灯など)
ガス灯は今でも街並みで歴史を感じられるように、馬車道の通り沿いはガス灯が設置されているほか、当時のアイスをモチーフにした横浜馬車道あいす(タカナシ乳業)なんかもありますね。(やっぱり神戸と初めて物語山手線ゲームやるべきでは???)
関内ホールの入船通り側の一階には小さなテナントが入っています。これも賑わいを創出する都市デザインの一つで、1986年の関内ホール竣工当時からこのような思想がみなとみらいにも反映されたと思うと歴史を感じられます。また、ニケと二コラ像はどっちがニケでどっちが二コラなのかは別として、街中アートという横浜のアートな特徴を表した一つなのかもしれないですね。
そして、ここから班に分かれてクリエイティブスタジオツアーへと向かいます。
クリエイティブスタジオツアー
横浜市では、創造的なビジネスやアートを支援し、都市の魅力と活力を高める「創造都市」施策を推進しています。これにより、関内桜通り周辺には多くのクリエイティブ事業者が集まり、コミュニティを形成しています。また、戦後に建てられた防火帯建築がその拠点となって活用されることにより歴史を感じながら、新たな価値を創造しています。
そんな防火帯建築を拠点としているクリエイターからお話を聞きながら、拠点を訪れるクリエイティブツアーの始まりです。
まずはトキワビルに訪問、昔の団地スタイルな外観から、事務所に入ると、直天で軽量鉄骨むき出しのシンプルな部屋にぎっしりと資料があって、シンプルにすごい部屋だと感じました。株式会社voidsのグラフィックデザイナーでアートデザイナーの岡部さんは市営交通が発行していた「ぐるっと」の作成にも携わっていたそうです。本や冊子のデザインなど、クリエイターとして活動する傍ら、トキワビルでの活動として、コミュニティづくりにも積極的に活動しているそうで、ヨコのつながりの醸成によるコミュニティの盛り上げにも精力的に取り組んでいるそうです。
次に、泰生ポーチの事務所も見学しました。泰生ポーチを拠点とする三浦さんは部屋の一室を活動していくうちに知り合った仲間4人で部屋の一室を借りて机を並べて作業しているようで、狭いながらもクリエイター熱を感じる部屋でした。
泰生ポーチに移る前から関内周辺の施設でクリエイター活動をしていたそうで、関内で集うクリエイターの数は相当いるのだと感じる場面でした。
泰生ビルの一階こちらは「オンデザインイッカイ」です。関内を中心に設計活動を行うオンデザインがワークショップの開催や来客向けに多様な活動ができるようにしたスペースです。
居酒屋を改装したようで、建物の使い方は無限大にありそうですね。
オンデザインの佐藤さんは公共施設の設計やエリアマネジメント活動を行っていて、関内桜通り振興会のメンバーとして道路空間活用実験として、「かんないテラス」や「さくら通りOPEN!」の会場レイアウトを行っているようです。(あと、仕事では緑区でもエリアマネジメントもしているそうです)
「さくら通りOPEN!」ではオンデザインイッカイの床の模様にある、カラフルなラインを道路にも貼ったり、人工芝を用意したりと、いつもと違うさくら通りで地域ぐるみで協力し合って、子どもたちが遊べる居場所づくりを展開したようです。関内地区の取り組みが色々聞けたと感じました。
また、同じく泰生ビルの上層階には市民が3Dプリンターやレーザー加工機など、デジタル工作機械にアクセスできる工房「ファブラボ関内」があります。こういったシェア型の工房は世界的に結構あるようですが、開港5都市周辺にはまだまだ整備がされていないところもあるようで、広がりがあるようにと紹介がありました。
このような、シェア工房があると、クリエイターは工具を自前で持つ必要がないので、初期費用が抑えられるほか、仲間がいる環境に通うことによって切磋琢磨しあい、クリエイションへのモチベーションの向上にもつながるんじゃないかと思いました。
また、同建物には「ピクニックナーサリー」という企業主導型の保育室が設置されています。関内地域のクリエイターの子どもを地域とともに育むことを主目的に運営され、コミュニティ内で多くの利用があるそうです。
こういった環境整備もクリエイターを育てる環境の向上に寄与しているのだと感じました。
横浜市開港記念会館にて総括
そして、総括とディスカッションを行うために、横浜市開港記念会館へと戻りました。
議論が始まる前に、ジャックの塔の部分に上らせていただく機会があったので、上りました。昔ながらの急な螺旋階段が100段くらいあって、中腹まで上がれました。
横浜の街を一望とまではいかないのですが、横浜市民でもなかなか上がれない体験だったので、ジャックの塔から見る景色ってこんな感じなんだとしみじみ思いながら、本町通りやみなと大通りの景色を楽しみました。
さて、ここから再び座学となりました。
初めにセントラル関内の特徴として、
鉄道3路線(JR、市営地下鉄、みなとみらい線)が集積し、交通の便が高いこと。
開港期に整備された長方街区が今も残り、特徴的な路地で構成されたヒューマンスケールな街並み
震災・戦災を生き抜いた歴史的建造物と、戦後復興の象徴である防火帯建築など、古くて特徴的な建物が残っている
港・官公庁を背景とした歴史的な業務街、活発な企業活動を支える夜の街。近年はクリエイターの拠点や首都圏通勤者の居住地として注目を集める。
→色々な背景を持った人を受け入れる土壌があるということです。
その上で、セントラル関内の街づくりの背景・課題としては市庁舎が移転したことと大規模開発が進行中であり、開港以来の変化期を迎えています。
セントラル関内の足元の建物は老朽化しており、業務床需要の低下、経済の地盤沈下も続いています。
老朽化と同時に耐震も懸念されており、災害時対応ができるかの心配もあります。
夜歩きの不安や治安悪化→以前よりは改善されたものの、新しく住み始めた住民には治安の悪さを感じる場面はかなりあるそうです。
脱炭素社会の推進等社会ニーズも変化しているため、オールドな関内地区がどう対応できるかも考える必要がありそうです。
→そんなオールドタウンの個性を生かしながら、この町の将来ビジョンを内外に発信する時期に入ってきている。
というわけで、今回の分科会では当事者である関内まちづくり振興会を中心に各振興会や地区の連合町内会の方も参加し、分科会2を練り上げてくださったようですね。
セントラル関内の街づくりの理念としては、
人とつながるまち・セントラル関内~歴史と文化の香る、次世代コミュニティーの充実したまち~を掲げ
「住みたくなるまちへ」「歩きたくなるまちへ」「訪れたくなるまちへ」の3点を挙げていました。具体的に書くと文章が伸びるので書きませんが、この日訪れた施設・都市デザインを見るとなんとなくここにつながってくるなと感じますね。
さて、今日、歩いた、知ったことを踏まえて、グループディスカッションが始まりました。
私が参加したのは「レジリエントタウン~防災・減災に取り組む」です。
今回、ディスカッションのテーマの中では一番難しいテーマだと思いましたが挑戦する覚悟で臨みました。ハード面を取り上げると既存の建物をどう改修するかとかはすぐには取り組めないですし、防災・減災を中心にまちづくりをすると均一な町になり、特色がなくなるというジレンマもあります。
神戸の街はどうだったかというのも論点になりました。阪神淡路大震災当時、日本に防災・減災意識がまだ高まっておらず、燃えたり、倒壊した建物が多かったこと、山側は被害が少ながったが、山から出ることが困難であった(生き延びるのに苦労した)等、実際の声を聞き、対策への重要性を認識しました。
ソフト面としては関内地区に実際に住んでいる方から、訓練が幅広く実際に起きた時に不安だという声が出ました。
関内地区は平日と休日で人口層が変わる町で、休日に災害が起きた時に、普段この地区に住んでいない人が関内で震災にあうため、対応含めて「訓練よりも周知」というフレーズで、ベイスターズとのコラボで選手が災害時の避難場所等を紹介したり、イベントで焼き鳥の皿に防災情報を書いて無意識に刷り込む等ユニークな意見もあり、議論が盛り上がりました。
自分にとっても大変刺激になる機会となってよかったです。
こう見ると分科会といえど人数が多く、盛り上がりの中会が行われていてこの輪の中に加わることができて感謝しかないです。ありがとうございました。
開港5都市参加してみて総括
今回土日で参加してみて、全国の5都市から色々な立場の人から話を聞いて、交流することで多くの刺激を受けることができました。
初日の全体会議ではあぶない刑事のファンの方も多くいらっしゃったことから、雰囲気も普段とはまた一段と違う様子だったでしょうし、市民のあぶない刑事への愛着についても感じることができました。
2日目のまち歩きでは普段歩く横浜の街も細かな解説を実際にかかわってきた人がしながら歩くだけでも、また違う視点の気づきを得られたと思います。
また、今回の関内地区はこれから大きな変革期を迎える地区の一つで次回の開港5都市のホストタウンが横浜になった時に、どう変化をして5都市の皆さんを迎えるのかを考えるいいきっかけになったと思います。今回話したことが、どこかで活かされるように、実行に移す大切さも感じられました。
Yocco18のファンクラブでアンバサダーをしている身として、名刺を交換する機会もあり、その中でYocco18を知っているという方もいらっしゃって、中には、「今は受験生だけど、今後横浜を盛り上げていきたい」という方も実際に居て、自分としてもうれしく思いましたし、色々話してよかったなと感じました。
また、TSUBAKI食堂さんでランチをしていた時に他の都市から来た方から「一般の参加者なのに、横浜詳しいね」とお褒めの言葉を頂き、地域活動している人だけでなく、一般横浜市民も色々詳しいんだぞ! とちょっと誇らしげに思いつつ、それぞれの横浜像がこういった機会に共有され、横浜の発展にとってよりいい方向に進む原動力につながればと思っています。
今回、巡っていて特に神戸の街づくりに関して興味を感じました。横浜と神戸は似ているところは多くあれど、違いも多くあるので、比較しながら学習していく必要があると痛感しました。私自身、鉄道で神戸には10年くらい前に行ったことはあるのですが、その時と町の様子は変わったともお話があったので、ぜひこの目で見てみたいと思いました。
因みに来年の開港5都市景観まちづくり会議は神戸での開催ですので、機会があって、予定があえばぜひ参加してみたいとも思い、これからも5都市の交流は続くのかなと思いました。(初日のウェルカムパーティーとか2日目のナイトパーティーとか参加してみたい気持ちもありますし)
最後に今回誘っていただいた某氏やYocco18の運営メンバーの宣伝でいい経験になったので、ここで御礼を申し上げます。
これからも、保土ケ谷を中心に色々なところにアンテナを張っていきたいと思いますので、宜しくお願い致します!
参考:各参加時配布レジュメ等