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僕と保土ケ谷
お世話になっております。
西沢です。
いずれは保土ケ谷区に対して、色々まとめていこうととは思っておりますが、そもそもなんでそんなに保土ケ谷区好きなのってちゃんと話していないような気もするので、ここでちゃんと書いていきたいと思います。よりマニアックな自己紹介と思って構いません。
私は西谷北部の東京五輪の開催されたころまで港北区だった村で今まで生きてきています。生まれも育ちも横浜市内なのですが、生まれた病院は市民病院ではなく、弥生台の国際親善病院です。なので、生まれも育ちも保土ケ谷かって言われるとそうでもないってお話です。(まあ、生まれも育ちも冠婚葬祭も全部同じ町って話が今の時代だと難しいので、それはそうと思いますが)
幼稚園も旭区鶴ヶ峰から四季の森方面に向かったところでじゃあ、何かあったらどこ行くの? って言われると鶴ヶ峰ってお話で、むしろ鶴ヶ峰のほうが星川より縁があった人生だったと思います。鶴ヶ峰便利ですよね。今も憧れます。
小中学校の時は鉄道、バスに電気、水道に色々調べるのが好きな少年だったと思います。(そのままちゃんと勉強していけばもっといい人生も歩めたんでしょうけど、専門的なことを突き詰めるのがダメで、今勉強しようとするだけで眠くなるダメ人間ですね)
ただ、このころに色々知って、インフラの状況をある程度頭に入った状態で社会人を迎えたことは今の生活において損はなかったと思います。
さてそんな、私が保土ケ谷でやっていきたいとなってきたのは色々な人との出会いがあったからだと思っています。そんな出来事を簡単にですがまとめていきたいと思います。
高校2年の時に保土ケ谷宿名物会の方との出会い
高校は区内の県立高校権太坂高校(光陵)だったのですが、文芸部に入っていて、文化祭では部誌を作って無料で配布をしていました。
毎年廊下での配布であったのですが、偶然隣では保土ケ谷宿の名物を作って販売する会「保土ケ谷宿名物会」が高校近所にあったZ-oneの鉾立さん主体となって、宿場資料の展示や、煎餅を焼く道具等の紹介等をしていました。
私は、長くブースにいたため、そこで鉾立さんとも仲良くなり、「名物会単独だと何も販売できない、一緒に何かやって、お団子とか販売できたらいいね」とお話をしていました。
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https://hodogaya-jyuku.jimdofree.com/
次の年、西沢高校3年生、受験生勝負の年
私は…
クラスの出し物で、「名物会とコラボして、団子の販売しようよ」
→却下
(まあ、この時の仕事の放棄とかもあってクラスで余計浮いたのもありますが)
結果、じゃあ、やっぱり文芸部でできないか?後輩は
→いいですよやりましょう
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鉾立さんや保土ケ谷宿名物会の方々にもご協力いただき、少ないお金の中でやりくりして、団子の販売の実施と保土ケ谷宿についてまとめて、文化祭で展示を行いました。
当日までバタバタして大変だったような気もしますが、多くの人に見てもらえたこと、実際に完売できたことは今でも記憶に覚えています。
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その次の年に繋げられなかったこと、(その年に卒業する自分が主体になりすぎてうまくノウハウを伝えられなかった)がとても残念でならなかったのが悔やまれますが、地域を愛する人たちがたくさんいること、その人たちによって自分たちが支えられているという思いは、その後の活動の大きな糧になったのはいうまでもありません。
余談ですが、2017年私が成人したときにZ-oneさんに当時のお礼とお酒を買いに訪問し、ほどじゃが焼酎と清酒権太坂を購入いたしました。
その時に、名物会を脱退されたということや間もなくやめることを聞いていたので、そうやってだんだんと地域資源も消えていくのだという現実もあり、今の縁を大切にしていきたいという思いも新たに感じていました。
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地域への想い新たに
まあ、そんなこんなで地域に貢献したいと考えていた私、こんな変人にインタビューするマスコミもどうかと思いますが、センター試験の時に朝早くYNUにいったらインタビューをうけて…
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まさかのコメント掲載。(しかも受験は散々な結果でセンターは壊滅、前期試験は全落ち、浪人も覚悟して中期の補欠で某大学に入学しました😥)
成人式、マスコミが集まる、ロビーで取材陣をがん見、結果
#そうにゃん なりきり優勝者の方、テレビ出てきた気がしますよwww。
— GORONEX@ダイヤモンドデニャーズ達成!! (@SO04_GORONEX) January 8, 2018
映像はこの年、ハレノヒ問題(晴れ着が届かなかった問題)が多く取り上げられ、インタビューの映像が全然残っていないのですが、Twitterでの反応や、近所のおじさん、サークルの後輩に「君、スーパー〇チャンネルに出てたよな」って言われ、地域に貢献したいっていう横浜市の新成人のコメントが全国に流れていたようです。
保土ケ谷楽考とアワーズ
さて、閑話休題
地域のために何かできないかと思った私は「保土ケ谷楽考」(他の区では地域大学校とか言われている区政推進課なんかが主催しているワークショップみたいなもの)に参加しました。
そこで色々な人と交流をして、アワーズに初めて出会い、2期連続で参加、その中で、色々な縁で地域のヒーローのお手伝いを始めたり、ほどがやサンタプロジェクトでお手伝いをいたしました。
アワーズはいつもふらふらと現れる私をいつも優しく迎えてくれて、楽しい日々でした。当日も温かいイベントになったと思います。
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私が大学を卒業するころ、コロナ騒動が起きて、大学の卒業式も中止集まるのも自粛という雰囲気が漂う中、アワーズにかかわってくれた子に卒業式をしようというお話で色紙とプレゼントを頂き、とてもうれしかったのも今でも覚えています。これからも、地域で頑張ろうという中で、まさかこんなことになるとはとは思わなかったですが。。。
コロナ禍と仕事の中で
2020年、第一回ほどがや会議も開催され、社会人になっても細々と地域には関わっていきたいと思っていた矢先、コロナ騒動が勃発
至る所で、自粛が始まり、何もできなくなりました。
そして、自分はえぐい忙しい現場にいきなり入り、終わらない仕事の中で地域活動なんてできないじゃんっていう状態になりました。
(2020年の仕事量は2023年と同等かそれ以上だったかもう自分にもわからないですね)
そんな中で、保土ケ谷楽考のOBのみなさんで集まる会が2022年くらいから徐々に開催されて、2023年に「みんなの保土ケ谷楽考」としてまた、交流する機会にも恵まれて、徐々にですが、皆さんとの交流も再開されてきているところです。
私とYocco18
コロナ禍の2020年頃、不思議なキャラクターのアカウントがTLに流れるようになりました。横浜市18区をモチーフにしたキャラクターが地域を紹介するYocco18です。
この中の、「Yocco18と学ぶ横浜市の人口推移」が特にすごいと思って、TLにも流れていたので、みて1960年ごろの保土ケ谷区に上菅田町混じってるじゃーんって突っ込みながら見ていたのを覚えています🤔
まあ、そんなにタッチするつもりもなかったのですが、中和田いずみちゃんを泳無く愛する某公共施設の館長の存在や、Yocco18に感化されて長距離まち歩きや切り絵を始めたファンをみて、ずぶずぶと沼に入ったようなそんな感じです。色々な横浜の側面をYocco18を通じて感じられるので、自分も楽しみながら参加しているそんな感じです。
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今後も、Yocco18のアンバサダーとして、微力ながらYocco18の運営とファンの方々とともにYocco18、横浜を盛り上げるべく活動していきたいです。
最後に
色々と書きましたが、まずは保土ケ谷を盛り上げていきたいとして、「みんなのほどがや楽考」や色々なお手伝いは継続して行っていきたいです。
また、それに加え、横浜もより知るべく、Yocco18の活動にも参加していきたいと考えていますので、通称西沢(実際は本名について上の出来事のどれかを調べれば出るんじゃないのかな、知らんけど)をよろしくお願いいたします。