【育児徒然】無題。その①
Instagramに載せようと書き始めたら、えらく長くなってしまったから、思いつくままに、産前産後のことを書ききってみる。
2年半ちょっと前に、息子が産まれた。
産前産後、動物性がむき出しになったわたしは
息子の身体を洗うことや
おっぱいを与えること
離乳食、普通食、遊び方
愛情の現れ方など
社会的人間としてのやり方と
動物性からくる感覚としてのやり方のはざまにひとり、ずっといた。
生かすというのは、どういうことか。
乳がなければ、
お尻をふかなければ。
息子が産まれたのは真冬だったから、適度にあたためなければ
息子は死ぬ可能性が一気に高まる。
身体を起こすこともできない、乳に歩み寄ることもない、なんならまだうまく咥えられない、小さい生き物。
爆発するように揺るぎない、根源的な存在のエネルギーを放射する息子を抱えて、産院を出る。息子は初めて冬の雪と風を浴びた。わたしは、出産で10倍にも拡張した子宮がハイスピードで収縮し、内臓たちが位置を変え、血液が足りずにふらつく頭と、ゆるみきった関節が重力に耐えきれずきしむ中で、家まで歩いた。そうすること以外ないからそうする、という感覚で。
あたたかい、これ以上移動しなくていい場所に行くのだと、内なる動物性がわたしを動かした。
それから、人として、かつ動物として、生存し合うことを通して息子と関わることが始まった。
息子を産んでからすぐ、わたしの全精神と肉体が、息子の活動と同期して、わたしの生を、能動的にわけ与えるパイプになった。
それにまつわる、わたし自身のふるまいや感情の変化は山ほどあったけど、
今思い返すのは、
そのパイプな日々は、息子のありようもまた、これ以上なく自分の中に実感として現れるということだった。
この点において、だからこそわたしと息子は、【他者】で、わたしは、他者とはどういうことかを、自らの内にある普遍的智慧として初めて理解し始めた。
限りなく自分の中心である場所に、心情を越えて、他者として現れているものを発見し、無抵抗につながる。
そしてそれが起こるのに必要なのは、物理的な他者としての関係性を、自らが無私の在り様で生きると選択していることだった。
息子の皮膚の透き通る様や、心臓の拍動、新しく作られまくる細胞、外界を記憶し続ける腸、触覚、
息子がはっきりとつながっている振動のようなもの、他次元のエネルギー、いくつもの生が絡まり合った時間軸
生を受けた息子に押し寄せ、変化して出ていくあらゆるものとの呼応が、わたしの中で実感として精密に感じられるのだった。
そこに、何かおぼろげで、包まれるべき生命のヴェールとしての、マザー、つまりわたしの存在も感じた。
わたしは働かなければならなかったし、24時間息子とぴったりくっついて過ごすことは、自分が望んだより、少なかったように思う。
人間が、動物性が高まっている場合、人としての多方面での【安心/安全】が必要で、当時のわたしの状況は、さまざまなことがらに対して、注意警戒し、選んだり拒んだりしていなければならなかった。
そしてその経験は、自分が必要とする安全と安心は、日常的な意識で捉えるよりはるかに深く、そして本質的に揺るぎないものであるしれないと教えてくれた。
そんな安心/安全は、今起こるだろうか?
人ひとりの生命を抱えて、できるのかな。
誰に話すわけでもなかったけれど、産後のわたしは、そのことを日々考え、自分自身の安心/安全の現れと、それが失われてもいく様子を見つけ続けていた。
つづく。?