【育児徒然】抱っことは。。。
子供を産むまで、
抱っこと、おっぱいが、ひとりの人のある特定の時期に、絶対的な価値を持つものだってこと知らなかった。
知らなかった。。。。忘れていたのかなたぶん。
息子が、行動範囲や可能性が立体的に広がり出すに連れて、
「歩けない、抱っこ」「おっぱい、おっぱい」と言う頻度が増えた。
重たいし、歯が生えているから、おっぱいは痛いしなー。
とおもう。
思うけど、みんなどうしているんだろうそういう時。
何を持って、どうするか決めるのかなー。
私は、今できるならしたいな、と思ってしまうので、もしかしたら断乳や卒乳の時期なんだけど、寝るときはおっぱい。ちょっと不安そうなときで望まれたら、おっぱいである。
抱っこはもう本当にしんどいのだが、できるときは、「いいよ」って口が言ってしまう。
何の話だっけ。。。
そうだ、抱っことかおっぱい。絶対的な価値。
そうやって、じゃあいいよーと抱っこをする、よっこらしょと抱き上げると、ペタッとくっついてくる息子の、何というか
はーやれやれ安心、みたいな。
ここなら大丈夫、みたいな。。。丈夫なパイプでがちゃんとつなぐみたいな感覚。パイプで、安心、愛着、おふとんぬくぬく。そういう感覚を私のつなぎ目からドドドドと無条件に、無作為に吸い込んで、交流させてゆく。
その感覚に、
私の胸の奥は、なつかしいような、せつないような、笑っちゃうような、
だよねえ、というあたたかい気持ちで満たされる。
私には、パイプのつなぎ目が、鍵穴がそもそもあって、まんまとつながってしまうみたい。これは、子供ができたから、こしらえたんじゃなくて。
なので、たぶんすっかりと忘れていたんだと思う。
これほど、抱っこやおっぱいが、ひとりの人に、絶対的な価値であり、影響だって事を。
親子って、与えるとか、与えられるとかっていうよりももう、私たちっていう人間がすでにプログラムして、みんな忘れているけどまだつながっているシステム(そういう、胸のパイプとか)を大切に使う、そういう感じなんじゃないかと思う。
もちろん。。。そこには、個人の計り知れない記憶、感情や、状況のもたらすものがあって、なにひとつ、断言できはしないんだけど、、、
このパイプが私も大切だったし、
今、大切にしていたい
息子が成長して、誰かを愛するとき、もしかしたら子供を育むとき、
彼の胸のパイプに、頑丈な蓋とか、サビとかがなくって、晴れやかに、望むままに、人と繋がれるような時間を過ごせていたら、私はうれしいなーと思う。