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恥ずかしいキャリアの私(最終回)人は信じるべきか、疑うべきか

●キャリアの仕事をしようとするなら
私は、広く言えば、思春期ぐらいから今までずっと人のキャリアとか人生というものに対して興味を抱き続けてきた人間です。教育学部に入ったのも、アルバイトで数学の塾講師をしていたのも、リクルートに入ったのも、人事担当者として生きてきたのも、根っこには、人はなんのために生きるのか、人は生きてどうしようと思っているのかに強い関心があり、それを何らかの形でサポートしたいからです。

それでキャリアとか人生観とかを様々な人から聞いてきたように思います。しかし、キャリアの仕事をするのであれば、医者が研究のために献体をするように、自分のキャリアについてもさらけ出して誰かのキャリアのために役立てるべきではないかと思いつき、こんな長い自己紹介をすることになりました(7回も続くとは思っていませんでしたが・・・すみません)。

キャリアの仕事をしている人は、人のことは結構言うのですが、あまり自分のことについては言わないことが多い。例えば、採用担当者は応募者の人生を根掘り葉掘り聞きます。人の心に土足で踏み込みながら、自分は鋼鉄の鎧に包まれている。自分は安全地帯にいながら、人のことばかり批判したり、指導したりしている。残念ながら、そんな人が多いような気がします。

いつも思うのは「そういうお前はどうやねん」です。私も自分自身に対して、そう思ってきました。でも、しょうもない話をさらしてもなあと思い、躊躇していましたが、50近くになってもう恥も外聞もなくなってきたからか、ある日突然「ま、いいか」と思って、恥をさらすことにしました。

●独立直後から、いろんな人に助けてもらう
さて、東日本大震災のあった年、2011年の10月5日に株式会社人材研究所を設立して、代表取締役社長となりました。コンプレックスの塊の私は、社名は「研究所」(ちなみに「ケンキュウショ」、日立や村田にならいました)にして、役職は「社長」にしました。

私は正確には一度も「人事部長」になったことがありません。ライフネットでは「総務部長兼経理部長」でしたし、オープンハウス では人事部長の上の「組織開発本部長(今で言うCHROみたいなものでしょうか)」でした。リクルートの創業者の江副さんは社長とは名乗らずに「代表取締役」とだけしていたので、リクルートOBOGにはそれにならっている方も多いのですが、私は人生一度ぐらい「社長」になってみたかったので、社長とつけました。私のことを「所長」と呼ばないでください。「社長」です。

白金台のマンションの一室で一人で始めた当初、一人はとても寂しかった。最初の1ヶ月はオープンハウスのスカウトメールを打ったり、書類選考をしたり、面接をしながら一人で過ごしました。仕事が終われば、一応家に帰る。あまりに寂しくて暇ができればブログを書いたり、「孤独」という本を読んだり、Twitterをしていたりしました。その頃のツイートとかはたぶんだいぶ暗いです。

しかし、発信はしてみるものです。さびしいさびしいとつぶやいていたら、ある外資系の女性人事部長の方が、その会社が本国に撤退してしまうので、次の会社が見つかるまで手伝いますよ・・・と来てくれたのです。それで2ヶ月目から2人の会社になりました。1人と2人では大違いです。その後、元外資系コンサルティング会社出身のキレキレの若者や、元大手外資系人材会社出身のバリバリの人材プロフェッショナルや、元日系大手の人事を長年やっていたこれもバリバリのスーパー人事ウーマンの皆さんなどが、次々にジョインしてくれたのです。つぶやいていただけなのに。

仕事もいろんな人にお世話になりました。つぶやきを見ていてくださった現在取締役副社長で当時人事トップだったアイレップ永井敦さんが「辞めたならなんかうちの仕事手伝ってくださいよ」と誘ってくださり、採用の仕事をいただきました。当社にとってはオープンハウスを除けば初めての新規です。また、リクルートの先輩でインサイトコミュニケーションズ代表の紫垣樹郎さんのご紹介で、当時楽天常務だった中島謙一郎さんに呼ばれ3日で受注したのも大変ありがたい話でした。マンションの怪しい会社によく楽天さんが仕事をくれたものです。人事コミュニティの先駆け、人事プロデューサークラブの西尾太さんや四分一武さんにもいろいろ助けていただきました。無名な私にセミナーやイベントの機会をいただきました。

一方で、リクルートにはあまり近づかないようにしました。私が採用した人もたくさんいたので、OBがやってきて圧力で仕事を取っていく、みたいなことが嫌だったからです(後に、やっぱりリクルートさんにも仕事もらいたいと思って近寄った時に、自分にそんな「圧力」など存在しないことを知りました笑。杞憂でした)。今も、対リクルートの売上は1割にも満たない状況です(メディアにはたくさん出させていただいています)。リクルートの皆さん、もっと仕事ください笑。それは冗談ですが、リクルートは仕事はともあれ、いろいろ心配してくださり、飲みに行ってアドバイスをいただくなどお世話になりました。

他にもたくさんの方々にお世話になりましたが、あんまり書き続けていくと、このまま死ぬんじゃないかと思われそうですので、このあたりでやめておきます。でも、本当に人に助けられて今に至ります。

●最初はダイバシティなんて追うもんじゃない
しかし、そう物事は簡単には進みませんでした。

最初は会社はとても順調に伸びていきました。ほとんどリファラルでいろんな人が集まってくださいました。立ち上げたばかりの小さい会社なのに、ものすごい多様性の高い会社で、40歳ぐらいの私が真ん中でした。一つの考えとして「立ち上げ当初は同質性や凝集性の高いチームがいいというのが定石だが、一度、最初から多様な人を入れたらどうなるだろう」とチャレンジしてみようと思い、あまり採用基準を固めすぎずに「来るものは拒まず」的なスタンスで迎え入れました。リクルート時代とは逆のスタンスです。

しかし、これが最初の苦労でした。ダイバシティはきれいな言葉ですが、実際には「価値観の違う人が隣にいる」ということです。一人ひとりは皆いい人なのに、集まるとぶつかり合いました。しかも、それぞれキャリアのある方々ばかりで、表面的には大人の対応をします。でもそれはよくない。結局、裏で愚痴を言ったり、悪口を言ったりするからです。表の仕事はほとんど問題なかったのですが、私の日々の悩みは「どうすればメンバー同士が仲良くなってくれるだろうか」ということばかりでした。いろいろ仲裁しようと努力したつもりでしたが、なかなか「中の仕事」ができず外回りばかりだったので、結局、中途半端なことしかできませんでした。それで、お互いに誤解しあいながら、最後はわかりあえないままに退職していく人が続出しました。あの頃の皆さんには経営者が至らずに、申し訳なく思っています。

●性善説でいて、本当に傷ついてしまう
弊社の仮置きのVALUEの一つの「信じられぬと嘆くよりも、人を信じて傷つく方がいい」というとある歌詞を丸パクリした一文があります。多様性の高すぎる職場にしてしまい、疑心暗鬼が渦巻く状況に疲弊した私は、「何か問題が起こったら、あの野郎と思うのではなく、何か深い訳があったに違いないと思おうよ」という気持ちが強くなり、性善説でいこうとメッセージしたくて入れた一文です。今でもこの気持ちは変わりません。

しかし、これがまずかった。経営者は人を信じることは重要ですが、ある意味では常に疑っていなければならないのに、私はなんでもかんでも信じてしまいました。採用面接で「頑張る」と言うので信じたら「頑張らない」ぐらいならまだマシですが(それでも社員は僕の採用方針に不満で、結局、私は今は基本的に1次面接はさせてもらえなくなりました涙。人を信じすぎる、と)、ある時、とんでもない「誤信」をしてしまいました。

詳細は避けますが、友人だと信じていたある人を経営パートナーとして迎え入れたところ、私的な使い込みはするわ、グルの業者とつるんでキックバックはするわ、業績報告でも平気で嘘をついて経営判断を狂わせるわ、ありとあらゆることをされてしまい、順調だった会社は1年でめちゃくちゃになってしまいました。それを御せなかった私(ガバナンスがなっていませんでした)に見切りをつけた人がどんどん辞め、彼がやると言ってやらなかった事業を撤退するのに大損失を負い、本業は順調なのにも関わらず、健全だった財務もどんどん悪化してしまいました。彼を信じたことは、この会社においてというか、人生で最大のミスジャッジです。経営者の孤独に耐えられなかった私がバカでした。

社外取締役に報告すると「ああ・・・そんなことが。直感的に怪しいやつだと思ったのだが、それを君にきちんと伝えておくべきだった」と言われました。また、「信じられぬと嘆くよりも、人を信じて傷つく方がいいとか言ってるからダメなんだ」とも。しかし、まだそのVALUEは下ろしていません。

●朝日ネットに出資をしていただくことに
ほとほと疲れてしまった私は、やはり「素人経営」ではダメだと思い、大学時代の先輩で、経営者としても大先輩の東証一部上場企業である朝日ネットの社長である土方次郎さんを訪ねました。

いろいろなことを相談しましたが、結果は、朝日ネットはmanabaというLMSを大学向けにやっている事業が少し近いことと(実際、今、ここからの新規事業をサポートしています)、弊社の事業を見てもらって、今の状況とは本業とは関係なく、本業の方は全く問題なく回復が大いに見込めると判断していただいて、出資・融資をしてもらえることになりました(実際、早々に回復基調に乗り、今では全く財務上の心配はありませんので、クライアントの皆様ご安心ください)。

創業した会社を他社のコントロール下に置くことになるのは身を切られる痛さではありました。しかし、社員に対する責任を全うするために、少なくとも財務上の安心感を得たかったのと、朝日ネットなら我々の事業ポリシーをそのまま推進させていただけると信じ、出資を受け入れる決断をしました。ですので、今は人材研究所は東証一部上場企業のグループ会社です。

●もう今のところこれ以上恥ずかしい話はありません
さて、そして今です。7回に渡って恥を晒し続けてきましたが、直近では特にここで書くべきような恥ずかしい話はありません。ちょっとは大人になってきました。昨今の景気不安などでいろいろ問題はありますが、これまで出会ってきた問題に比べれば軽いものというか、真っ当な問題なので、ふつうに頑張っていけばよいだけのことです。

社内も新卒や若手を採用して育てるようにシフトしていった結果、今では20代から30代前半のメンバーがほとんどです。それゆえ、未熟なところもありますが、その分、皆純粋で、真面目で、一体感があり、会社がようやくまとまってきました。いよいよ本格的に人材研究所は社会に価値を生み出すために事業展開ができるようになってきたのではないかと考えています。

朝日ネットに出資してもらったのも、結果的にはとても良かったと思っています。精神的な安定を得たことや、朝日ネットのガバナンスを取り入れたことで小さな会社なのに、上場企業レベルとは言いませんが、少なくともその監査に耐えうる体制となりました。朝日ネットの皆さんには今この瞬間も大変お世話になっています。感謝してもしきれません。

そして何より良かったのは、「自分の会社」から「みんなの会社」になったことだと思います。もし、ずっと「自分の会社」であったとしたら、私は欲にまみれて会社を私物化し、社員から搾取することばかり考えていたかもしれません(まあ、つぶれるでしょうが)。袖触れ合うも他生の縁でこの会社に集ってくれた若者(だけじゃないですが)のために、どうやって会社がずっと社会に役立つ存在であり続けるかとか、彼らがこの会社を引き継いでいけるかとか、彼らが一人前になるためにどんな育成を施してあげればよいのかとかを、「自然に」考えられるようになりました。まさに、エリクソンの言う"Generativity"のステージに入っていけたような気がします。

だから、今の私の最も優先順位の高い仕事は自社の人材の育成です。

・・・

さて、以上で私の長い自己紹介を終わります。ダメなところばかり書いたのですが、その合間にはちょこちょこいいこともしているので、そこも見ていただけると幸いです・・・。

このように私はいろいろ自分なりには苦労してきたつもりですので、いろんな人のキャリア、マネジメント、経営の悩みが少しはわかるつもりです。コンサルティングや執筆などもそれらの経験を踏まえて、理屈だけの机上の空論ではなく、現実的、実践的であることをモットーとしています。

そんな我々人材研究所が何かお手伝いできることがございましたら、遠慮なくお声がけいただけますと幸いです。最後は宣伝で恐縮でした。

それでは、最後までご覧いただき、誠にありがとうございました。

おわり


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