テキストチャットは創造的だが論理的でない
コロナ禍のストレスか、社会的に不寛容が広がっているようで苦しい。
TwitterとかLINEのオープンチャットとかを見ていると、よく傷つく。
罵詈雑言は言うまでもない。汚い言葉をみるのは不快で胸が痛くなる。
それだけでなく、どんどん良くない方向に進化して、巧妙にそう見えないようにした他者攻撃を行っている人が結構いるように思う。
自分がつながっている人の間だけなのだろうか(直接の知り合いでそういう人はほとんどいませんが)。
噛み合わない議論を延々としたり、揚げ足取りのマウントの取り合いをしたりする不毛。それを見ている自分の不毛。
不毛という字に自分の頭髪を思い、なんとなく嫌な気がしてしまう不毛。
ああ、本当に人間て嫌だな、と思ってしまうのも嫌。自分の中にもそういうところがあると思うのも嫌。
でも、SNSから離れて生きてはいけない。そういうものから離れていくリテラシーや心の強さを身につけなければ。
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先日、新著の共著者、伊達さんとオンラインコミュニケーションについての勉強会をビズリーチさん主催でやらせてもらった。と言っても、僕は完全に勉強する側でしたが。
そこで、テキストチャットとリアルの違いについての研究の話があり、少し合点がいった。
詳細は書かないが、要はテキストチャットは論理的なディスカッションや問題解決や意思決定や合意形成には向かないということだった。
話が行き違い、どんどん変な方向に行ってしまうのも当然ということだ。
僕は昔から、SNSで議論はしないことにしている。よい議論ができた試しがないから。僕の能力のせいかもしれないが、仕方ない。議論をふっかけられても、「そうかもしれませんね」ぐらいにするかスルーするかしている。
もちろん議論自体は全然嫌いではなく、日々している。でも、SNSではしない。
それが肯定された気がした。
テキストチャットは、むしろいろいろなアイデアを拡散的に出していくのが適しているメディアだそうだ。
楽しいアイデアをみんなで出し合うとか、大喜利で面白いことを言い合うとか、そういうことにはとても向いているらしい。
平和だ。
SNSは広い世の中でテキストチャット(テキストだけじゃないですが)するものだとすれば、そういう使い方がやはり良さそうだと思った。