メメント・モリ ~終わりを思うこと~

以前、将来起業家になるような人物の特徴は何かを研究したことがある。

古今東西の沢山の起業家の生い立ちや起業の背景などを調べて、そこから様々な要素を抽出してみたのだが、その中で結構大きな要素の一つとして発見したのが意外にも「死の認識」であった。

例えば、楽天の三木谷さんも確か阪神大震災が起業のきっかけと言うことであった。人はこんなにもあっけなく死ぬ。生きているうちにやれるだけのことを精一杯せねば、と。

最近でもスティーブ・ジョブズも自分の死が近いことが仕事の意欲や創造性をかきたてる(うろ覚え)的なことを言っていたことを思い出す。


人は必ず死ぬ。どんな人でも必ず。これは周知の事実である。どうやっても変わらない。

しかし、たいていの人は日々それを忘れて暮らしている。自分にだけは死は訪れないと思っている。いや、いつかは死ぬだろうと「理解」はしているが、それを「実感」はしていない。腹に落ちていない。

実感しているとしたら、びくびくするばかりで、そんなに能天気に生きていられないのかもしれないが。だから、脳のリミッターが働いて、自分の死を日々は基本的に忘却するような仕組みになっているのかもしれない。

しかし、やがてやってくる死と言う事実を無意識的にでも忌避し続けることは本当に良いことなのだろうか。


Mr.Childrenの歌の副題にもなっているが、「メメント・モリ」という言葉がある。ラテン語で「自分がいつか死ぬことを忘れるな」という意味である。

キリスト教的にはどちらかというと、「現世なんてむなしいぞ。死んだ後の天国での生活を考えて精進せよ」みたいな意味で用いられるようになったらしいが、もともとの本来の意味は「いつかは僕らは死んでしまうのだから、きちんと今を生きよう」ということである。

そう「いまをいきる」というのは、「死を思う」ことと同じなのです。

このように、太古の昔から、死と言う人生の終わりにきちんと向き合うことで、今を大切に生きるエネルギーが湧いてくるという深い知恵が語られている。僕も、それに大賛成である。


僕のブログは暗いとよく言われる。

以前、人事の方々との飲み会をしたときも、そこでも「曽和さん、大丈夫ですか・・・」と心配された。大丈夫と言えば大丈夫。大丈夫じゃないと言えば大丈夫じゃない。実際はそんなところなのですが、結局は仕事も超がんばり、普通に淡々と生きているので、大丈夫です(笑)。

さて、それはともかく、近年暗さとかネガティブさはとみに忌避され過ぎているように思う。「ポジティブシンキングですべてがうまくいく」ようによく喧伝されている。

でも、本当にそうなのかな。


どんな成功も幸せも、愛も友情も、お金も宝物も、全部あの世には持っていけない。

それをきちんと認識することで、今のこの世界の美しさをまともにとらえることが初めてできるのではないだろうか。

無尽蔵にあると思っているものを大切にすることなんてできない。終わりがあるから、別れが迎えにくることがわかっているからこそ、そのものの価値がより一層高まるのではないのだろうか。

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