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「心の声」とはなんだろうか

面接に際して、僕はけして「第一印象がすべて」だとか「人なんて5分でわかる」だとか言うつもりは全くないのだが、人と会っていて理由は最初はわからないが自分がなんとなく直感的に感じるものをとても大事にしている。

「感じたこと」という結論自体を大事にして固執するということではない。そうではなくて、「自分がそう感じるのはなぜなんだろう」とその理由を相手に見つけようと、いろいろ観察したり、聞き出したりするということ。

原因が分かれば、「なーんだそんなことだったのか」と思うこともあるし、「やっぱり何かあった。あぶないあぶない」と思うこともある。しかし、いずれにせよ、何らかの原因があって、自分の中になんらかの直感という印象が生まれたということには変わりない。


なぜ直感を大事にするのか。


ひとつには、直感は「フラット」だから。人間は見たいものしかみない傾向がある。複雑で曖昧な本当のリアルを、何らかのフレームにあてはめて単純に解釈してしまう。その際に、その用いたフレームに合わない要素は「雑音」「ノイズ」として恣意的に捨てられてしまう。本当はそれが実は重要なものだったとしても。意識は物事を正しく見ようとするというよりは、効率的に、シンプルに捉えようする癖があるように思う。

そういう意識の働きを補佐するものとして、無意識からの声としての直感があると思っている。意識はなんとか合理的に解釈しようとするものである。つじつまを合わせようとするものである。なので上記のような誤った「シンプル化」をしょっちゅう行ってしまうのだが、無意識はそういうバイアスをかけて現実を見ることが少ないように思う。あるがままに、対象を捉えて解釈を行っていく。

カクテルパーティー現象(ノイズにしか聞こえない声の飛び交う雑踏の中で、自分の名前を呼ばれると、何故か気づいてしまう現象)を例に取るまでもなく、意識していなくても、人間は様々な現実からの情報を処理している。しかも、意味レベル等、かなりの高度なレベルまで。その無意識の処理、しかも意識によってバイアスがかけられずに解釈した結果は、意識が現実をバイアスかけて解釈したものよりも、信憑性が高いかもしれない。


もうひとつは、直感は「速い」から。意識はいろいろごちゃごちゃ考えて、積み上げ式で何らかの結論を導くことが多い。あれがこうだということは、これはああか。ならこうなんじゃないか、みたいな感じで。ところが無意識の情報処理は意識と違ってリニアー(線形的)ではなく、一気に多重的に並行的に情報を処理していくので、ひとつの論旨を筋道を立てて試行錯誤しながら考えていくというよりは、全部の可能性を一気に試して、結果正しいものが自ずから残る。同時並行処理は速い。直感は結論に意識よりも先に辿りついているのである。


だから、お勧めの態度としては、何か物事や人に対峙した時は、まずは網羅的に拡散的に対象を観察して、何でもかんでもそのものについての情報を集める。そしたら、次にするのは自分の心(無意識)の声である直感が何を言っているのかに耳をそばだてる。自分の気持ちに焦点を当てて、どんな気持ちになっているのかを正確に捉えてみる。

それからが意識の出番。無意識の声である直感はなぜ生まれたのかを検証してく役割が意識だ。無意識の声である直感が仮説を作り、意識がそれを検証していく。そういう態度が最もバイアスもかからず、速く現実を把握していく近道であるように思う。


自分の心の声を大事に生きていきたい。

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