
愛のことばの自己中心性
いろいろな人たちの間で交わされているほとんどの愛のことばは、相手のことを大事にしているようにみえて、その実は、自分のためだけに発せられる自己中心的なものだ。
「わたしはあなたを一目見た時からすでに恋に落ちたのです」
つまりあなたは、わたしのなんたるかを見てわたしを発見したのではない。
「わたしにはあなたが一番あっていると思えてしかたがない」
あなたはわたしをあなた自身によってしか規定していない。わたしは完全にあなたのためのなにかという場所以外の立場を持っていない。
「わたしはあなたのそばにいたいのです」
わたしはあなたが何をしたいのかわからない。わたしはあなたの投影の対象であり、その意味では綺麗なスクリーンでしかない。これではあなたはいつまでもひとりのままでいるのと同じである。なぜなら見ているのは自分自身の姿なのだから。
「わたしはあなたのために何かしてあげたい」
贈与の目的は支配である。その証拠に恋人たちはいさかいが起こると必ず自分が相手にしてあげたことを数え始める。贈り物は相手を支配するための武器なのである。わたしは誰にも支配されることを望まない。
「わたしはあなたのことを知りたいのです」
知りたいのは恐ろしいからである。形容しがたいものはつねに恐怖の対象である。じつのところあなたはわたしを愛しているのではなく恐れているのである。わたしという存在に恐れをなし、これを名付けることにより亡きものにしようとしているのだ。それは一種の殺人願望である。あなたのことばは洗練された敵意の表現なのだ。
「わたしはあなたと運命をともにしたい」
あなたのいう運命とはまぎれもなくわたしとの生活である。わたしは望む望まざるにかかわらずわたしの生活の中にいる。あなたはいったい何を言ってるのだろうか。
「わたしの思いは変ることがない」
変わらないのは停滞である。わたしは人間であり、永遠の彼方へと考えを向けることが不可能なので、永遠に続くというものには恐怖する。わたしは心の奥ではきっと終わりを望み生きているのだ。わたしは今ここにしか無いものを求める。永遠に継続するものなどを今何故求める必要があるのか。いつでもよいのだ。
「わたしはあなたを裏切りません」
そのことばが第一の裏切りである。すべてがわたしの思い通りになることなど望んではいない。わたしはわたし以外のところからでる新しい変化を楽しむのである。常にわたしを裏切ってくれなければならないのだ。ところがあなたのそのことばは裏切りの最後を告げることばである。わたしは失望している。
「わたしがあなたと出会えたのは運命的だと思いませんか」
偶然の出来事はいつでもくだらぬものである。ここで感激しているのはあなただけだ。あなたは偶然を運命と思い、期待を必然と思っている。わたしはそのくだらない思い込みに同意する機会を失ってしまった以上どうすることもできない。
「わたしの苦悩はいつまで続くのでしょう」
それをわたしに問うのはわたしを他人と見ているということか。ひとつの愛の終わりを当事者が語ることはできない。愛によって狂気の淵に立たされたものは一種の無知に包まれて自分の愛の物語の結末を忘れる。語ることができるのはそのはじまりについてのみである。他人のみがその結末を記述できるのだ。
「ああ、あなたがわたしだけのものであったならば」
あなたが望んでいるのはわたしが孤児になることである。わたしが親しい人々を失えばよいと思っているのだ。わたしはあなたと同じくひとりにされたくはない。あなたのことばはわたしを窒息させるほど重苦しくまた恐ろしいものなのだ。
「わたしはあなたを思い、泣いています」
あなたは泣くことでわたしに圧力をかけたいと思っているのだ。あなたが本当に言いたいことは、わたしがあなたをどれだけひどい目にあわせたかということである。
「何故、あなたはわたしを愛してくれないのでしょう」
あなたはこんなにまでわたしを愛している自分をわたしが愛せずにはいられないと思っているからこそ、そう言えるのだ。愛してくれないと思いながら、あなたは愛さるはずとも思っている。錯乱を見据えよ。あなたはいったい何を望んでいるのだ。
「わたしがいなくなればあなたはどう思うのでしょう」
あなたがいなくなれば、きっとわたしも悲しく思う。しかしその悲しみは、あなたがいなくなったということをいつまでも引きずらないでいられるようにするための儀式である。わたしの生活はあなたへの別れの思いを通じて、変わりなく続くのである。しかし、あなたに限ったことではない。誰も本当に必要とされているものはいないのである。
「わたしはあなたを愛しているのです」
わたしはそれに対する返事を持っていない。何を言っても無駄なのだ。
「そうですか。ならばわたしはあなたを愛することを耐えましょう」
あなたは今わたしに最後の生け贄をささげようとしている。しかしもう一度今捧げようとしているものを見るべきである。あなたがわたしに捧げようとしているものは紛れもなくあなたの持つ狂気である。あなたは生け贄となり得ぬものを生け贄としようとしている。あなたがわたしに与えることができるものはもう何もないのだ。あなたができることは実際はただひとつのことなのである。あなたはわたしを見ずしてわたしを感じる。わたしに触れずしてわたしを抱く。わたしを愛さずしてわたしを祝福する。これらの円環的行動のみ、あなたは為すことができる。しかしあなたはそれらの行為のなかで、わたしにこのようなことばを言わせたことを悔恨の思いで繰り返し思い出すべきである。すべては言われるべきではなかったことばなのだから・・・
愛とはなんだろう。人間は孤独な存在だ。