母の弱気。
朝書いたものを、今アップしようと思ったら、なんかすでに全然違うところに気持ちはあるんだけど、とりあえず。
ブルーマンデー って今でもポピュラーな言葉なんだろうか。あまり聞くことはない様に思うけれど。
月曜日。雨。札幌はなかなか暑くならない・・というかむしろ寒い。いつも足が冷えている。こんなにずっと小寒かったっけ??
月曜の雨の朝、弱気が襲ってくる。この弱気というか、不安というのは、長年、仕事に行くとかそういう大義名分で紛らわせてきたものなのか、最近になって、沸き起こってきたものなのかはわからない。ずっとこういうかすかな感情みたいなものを無視していた様に思うので。働いていないのに、ブルーマンデーみたいな感じ。
そもそも、暦だの時間だのやるべきことだの全てが人間のルールで決めたものだ。それは慣習的なものであり、自然界での絶対的なものではない。そういう全てのルールや慣習みたいなものに小さい頃からずっと違和感を抱いて生きてきた。だけどそんな根本的なことを疑い続けることは、生きにくさをこの上なく助長するものだし、極端になればそれは異常者とも言われてしまう。
子供を見ていると、どんどん、この世界の人間の慣習を身につけて行く。それは自分が身につけているもののそのままのコピーでもあって、自分では気づいていなかったのが子供の言動で初めて気づかされる。
申し訳ないなと思う弱気。こんなに小さいのに保育園に行かせていいんだろうかという迷い。いや、本人のためにいいんだからという理屈?自分の子育ては本当にこんなんでいいんだろうか、愛情はちゃんとかけられているんだろうか、あの時ちゃんと向き合ってなかったんじゃないかとか。食べたいと思うものを食べたいと思う時に与えるやり方は間違っているんじゃないか。もっとお菓子をあげない様にしつけるべきなのか、いや、好きなものを食べさせてあげたいとか・・・もう色んな思いが、弱気や後悔や自信のなさが、どどっと襲う、月曜の朝。答えはない。これまでのどんな仕事や試験や・・・色々より難しいように感じる。
急にね、月曜の朝には、働いていない私でさえも、この社会の、世界の、緊張感を読み取ってしまうわけだ。
この緊張感が苦手だ。
東京に住んでいた時、家のまえを、黒いスーツの人が本当にたくさん、無表情で、無言で、駅に向かうあの、朝の緊張感が。
今住んでいる札幌のエリアにはそこまでの風景はあまりないし、結構平和な感じではあるけれど。
そんな緊張感の中に子どもを解き放つ日が来ると思うと、申し訳ない気もする。でも本人はなんとも思わないかもしれない。
そういうどうでもいいこと、今ここにないことをあれこれ考えるのが、こんな日の朝であり、子供がいつ起きるか、いつ起きるか、動き出す前の落ち着かない時間帯でもあるのだ。
そんな中、メルちゃん(猫)が寝ている姿は、平和な現実に私を引き戻す。
さすが、この安定感。