時間の立体性

先日、幼馴染の誕生日だった。

彼女とは一年に一度か二度、帰省した時に会うか会わないか・・・けれどずっと交流は続いている。

遠く離れた過去の友人ではなくて、現在何処かで並走している友人。

その友人の誕生日にいつも何かしら送るのだが

そのお礼に返ってきたメッセージを読んで、なんだか時間軸が不思議に立体的に感じられた。

彼女の過去、わたしの過去、共通の過去。そして、彼女のいま、彼女の娘のいま、わたしの今、わたしの息子のいま、

私たちが、自分たちだけのために生きることができた時代、つまり幼かった頃のこと、今は家族のために使っている時間を生きていて、彼女は、しばくは子供との時間を楽しむ、と言って去年教員の仕事をやめた。

それらの過去や現在や、未来のイメージの断片が、クリスマスツリーのように、夜空の星のように、あちらこちらに、ぴかり光って浮いているようだ。

一つの空間の中に色々な出来事が、並列している

そんな感覚でメッセージを読んだ。

それは、無限な感覚だった。

不思議なことに、同時に同じことを思い出し、思っていたらしい。

小学生の時、その友人が、学校の廊下の壁にもたれかかっていると、壁の中からわたしの声が彼女の名前を読んだのを聞いたらしい。

そのことを同じ日に、わたしと彼女は思い出していた。

わたしは、時間を立体的に感じた感覚の中から、あの声はもしかしたら未来からわたしが彼女を呼んだ声ではないか?と思った。

そうすると、メッセージの中に、彼女も同じことを書いていた。

シンクロニシティの誕生日だった。

今彼女は東京に家を構えて暮らしているが、娘が宝塚を目指しているらしい。もしほんとうに入れたら、西に拠点を構えるつもり、と

なるほどいいねと思う。

西へ・・・

我らのルーツは、やはり西にあり。


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