東京で違和感を感じ始めたあるとき〜パパラギ的時間のはなし

 初めて働いた会社は東京にあった。田舎の大学から初めて東京に住んだので最初は何もかもが楽しく、同期にも仲の良いグループができて、好き放題。
 会社が借り上げている1Kのマンションは当時一ヶ月一万円もかからない家賃だったし、給料とそれに匹敵する残業代は使い放題だったので遊んだり買い物したり楽しく生きていた。バブリーだったけど、バブル世代ではなく私の時代は、ロスジェネ世代と呼ばれる終わり頃だと思う。今思うと何もかも難関だった。ハードなのは当たり前・・・

 受験も難関、就職も難関。バブルは弾けた後。高校生の頃は女子大生が流行り、大学に入ると女子高生が流行り。そんな時代だったけれど、理系だったせいかあまり典型的な生活ではなかったように思う。

 仕事は本当にエンドレスでほとんど眠れない日々だったがとにかく体力があったので平気だった。けれど、東大卒の真面目な同期の一人は最初の年に業務がキツすぎたのか?上司のせいか?突如行方不明になって大騒ぎになったが、のちに逃亡していたのを発見されてそのまま会社を退職し、その後川崎の方の公務員になったとか・・・まあ建築業界ではそういう話はあとを絶たなかったが、私自身は、当時はいい具合に不真面目だったので、なんとか持ちこたえていたのかもしれない。

 それは全然関係ないけれど、とにかくめまぐるしい日々の中で眠らず休まずドップリと東京生活をしていた。

 通勤には、小田急線か京王線で新宿まで行き、そこで丸ノ内線に乗り換える。

 丸ノ内線は、コンスタントに、数分に一本やって来る。

 毎日、乗り換える時に、地下鉄のホームに降りていくと、ちょうど出たばっかりだったり、ぴったり乗れたりまちまちだった。

 そのうちに、ホームに降りて電車が出たばっかりだと、

「チッ」っと、思うようになった。

 ものの3分も待てば来るのに。

 そしてある時、そういうことに違和感を覚え始めた。

 10分待つなら、3分できたら短い!と思うだろう。

 それがどんどん短くなって行って、たった3分でも、遅いと感じる。

 そんな風に無限に時を刻んで行くように、私の当時の生活が出来上がっていた。いつしか時間の奴隷にでもなったように。


 ある時、学生時代に好きだった本を思い出した。

 それは、「パパラギ」という本。サモア島の酋長が西洋文明を体験し、現代人の矛盾を鋭く突いた本である。

 その中に、こんな一節がある。

 彼は日々の新しい1日を、がっちり決めた計画で小さく分けて粉々にすることで、神と神の大きな知恵をけがしてしまう。柔らかいヤシの実をナタでみじんにするのとまったく同じように、彼は1日を切り刻む。切り刻まれた部分には、名前がついている。秒、分、時。
(中略)
 このことはとてもこんがらがっていて、私にはまったくわけがわからなかった。だいいち、こんな子供っぽいことに必要以上に頭を使うのは、ただ不愉快になるだけだったし。
(中略)
時間のこの叫びが響き渡ると(注:サイレンのこと)、パパラギは嘆く。「ああ、なんということだ。もう一時間が過ぎてしまった。」そしてたいてい、大きな悩みでもあるかのように悲しそうな顔をする。ちょうどその時、また新しい一時間が始まっているというのに。
 これは重い病気だと考えるしか、私には理解のしようがなかった。「時間が私を避ける」「時は馬の如し」「もう少し時間が欲しい」ーいずれも、白い人の嘆きの声である。
 
『パパラギ はじめて文明を見た南海の酋長ツィアビの演説集』エーリッヒ・ショイルマン

ちなみに、パパラギとは白人のこと。

この酋長ツィアビは、時間は大いなる神のものとする。

その大いなる神の時間を切り刻むこと・・・

私は地下鉄に乗る時、それを思い出すようになった。

その頃から、色々なことが少しずつ少しずつ、疑問になって行ったように、今思う。

 今改めて読むと、めちゃくちゃ面白いではないか。

 ふと思い出したけれど、このおかしな白人病に皆多かれ少なかれかかってしまっているのだ・・・・

  


 

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