愛のある選択とは。〜猫の骨折と手術に思うこと
土曜日に、5階の窓から転落して重傷を負ったうちの猫のメルちゃんが少し元気になって来たので、普通の動物病院から今朝、専門の運動器の病院へ行きました。
新たに、右の手の骨折箇所が3つ(指三本)、見つかりました。
(前の病院で分かっていたのが、顎の骨、右の大腿骨の骨折です。)
レントゲンだけでは分からないので、CTを今日の午後取って、さらに詳しく見ていって、今後の治療(手術の方針)を決めるということになりました。
本当は手術は早くしたほうがいいけれど、事故のショックから、貧血の値が出ていて、まだ麻酔を打って手術するまでには回復していないので、今日の手術は延期、早くても土曜日ということになりました。その時点だと事故から一週間。
土曜日に再検査して、貧血の値が落ち着いたら手術。
貧血の値が低いままに麻酔をしてしまうと、そのまま戻ってこられない場合があると。
CTを取って見ないと、まだ詳しいことは分からないけれど、足の手術は必須ですが、顎と手については、あまりにも骨が小さいので、手術したとしても障害なく治るのか?今の段階では分からないそうです。
成長途中でもあり、このまま手術せずに自然治癒したとして、ちゃんと治るかもしれないし、多少障害が残るかもしれないとのこと。
手については、おそらく、多少の障害が残ったとしても、猫にとってはそこまでの障害ではないとは思いますが・・・と、先生。
顎については、今は右にグッと、曲がっている状況なので、今日の午後の麻酔時にどのくらいくっつき始めているか、どのくらい戻せるか、やって見ますと。
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そして、費用のお話ですが。と先生。
結論から言えば、全ての箇所をそれぞれ手術するフルコースだと、110万円はかかるでしょう。という計算になりました。
しかし、複数箇所を同時に手術すれば、麻酔代の10万円は、一度で済むので、少し安くなるようです。
足の手術は、35万円。手が30万、顎が35万。
ピンで固定したりすると、固定をとるときにも18万。
ちなみに、CT検査が9万円ほど。
保険は、その瞬間はうろ覚えだったのですが、3割負担のはずだけれど、手術の一回の上限値はメルちゃんのプランだと、7割かつ14万が限度額。
かなりの出費になりそうです。
今日の夕方、迎えにいってCTの結果と合わせてより具体的な治療方針を聞いて、決断しなくてはならない。
帰りの車では、自分は落ち着いているようでいて、かなり動揺しているなと感じました。
買い物にも寄ったのですが、どうも地に足が着いていないような感覚。これはまずい・・・相当、動揺している。
帰ってから勤務中の相方くんに電話してもらって話して、少しだけ今落ち着いています。
足についてはどうあれ、手術はしなくてはいけないけれど、手と顎をどうするか。
4つの選択肢がある。
1. 手術した場合→障害なく治る
2. 手術した場合→障害残る
3. 手術しない場合→障害なく治る
4. 手術しない場合→障害残る
このどれもが、あくまで今の段階だと、可能性が全部にある。
私も数年前そうでしたが、人間だって、骨折しても、必ずしも手術するわけではなくて固定だけで治る場合も多いです。
猫も、固定だけで治るところは手術しなくてもいいかもしれないという話を先生ともしました。
そもそも、とても小さい骨なので、手術できるのか?そういうリスクもあると。
相方くんと話してなんとなく同じ方向性に話がまとまったのが、足はもちろん手術してもらう。顎と手に関しては、今日の午後の検査結果も踏まえて、しなくてもいいものであれば、しなくてもいいのではないか。自然治癒に任せられる程度であれば、その選択肢もあるよね。と。
顎、固定しても、また手術して、痛い思いして・・・・。その間の餌はどうなるんだろう。
犬とは違って猫は顎も小さいので固定もなかなか困難だそうです。方法としては2つあって、ピン(金属?)で固定する場合と、くっつける(糊とかボンドのようなイメージに捉えた)ものがあってくっつける場合と。
ピンで固定ったって、どこを固定すんのよ。と思います。顔の横のあたり・・・?
しかし、金額を聞いて、ちょっと震えました。けど、こうして相方くんと話し、書きながらよくよく考えてみると、フルコースで手術することにはならないのではないかとも。
帰りの車で、頭の中でぐるぐるしていたのは、
お金の払える払えないで、手術するしないを決めるのか?いや、そんなはずはない。死んだほうがよかったのか。そんなはずはない。そもそも、お金の問題ではなくて命の問題なのに。手術したとしても、障害なく治る保証は無い。自分は愛をお金で計ってしまっているのか?!
自分を責め始める自分。
いやいや、落ち着こう。
そういうことでは無い。
そもそも、五階の窓から転落して、無事だったのは、奇跡だと言える。
前の病院の先生も、それは何度もそう言ってくれました。そして、先生自身が、(自宅が病院の上にあるのかな?)夜中もちゃんと見てくれて、本当に一生懸命診察とお世話をしてくれて、深い愛情を感じました。
今度の病院の先生も、とても丁寧に説明されて、やはり深い愛情を感じました。
「骨折したから、命が助かったんですよ。骨折していなかったら死んでいましたよ。」
と仰いました。
それは、仕事を超えた愛情だなと感じました。
ここで少し話がアレなんですけど、「お金のない世界」について先日書いて、そのことを強く思い出しました。
お金の支払いの心配がなければ、この手術をどう受け止めているか。
自分に聞いて見ます。
手術、治る保証はなくてもできるものはするのか。
・・・・・・
考えて見た結果、やっぱり、前述した、自然治癒を合わせたところで考えてみるのかな・・・と思いました。
お金のない世界だと、先生も、必ずその仕事が好きであり、好きだからやっているという状態で無ければ成り立たないので、きっと愛を判断材料にするだろう、と思います。
お金のない世界では、全ての人が仕事を好きでやっている世界なので、全てのものが無償で提供されるので、手術も、材料も技術も、愛のために提供される。
お金の世界から、一歩脱するには、個人個人が、好きであることをやること、そして、判断は常に、愛のある判断をすること。そこが出発地点であり、不変のことなのだなと思いました。
メルちゃんが少し障害の残る猫になったとして、私はメルちゃんを愛さな無くなるのかというとそんなことはないです。
メルちゃんは、とても痛い思いをして、いろんなことを教えてくれている、と思いました。それが実感として湧いてきたとき、めちゃくちゃ涙が出てきました。
でも、これは結果ではなくて、まだ教えてくれている真っ最中です。
日に日に、目に見えるように元気になって、ものすごい生命力、生きようとしている。
無事でよかった、もちろん当然、そう思っている。でも、ただそれだけを、お金のない世界ではもっともっと素直に純粋に感じることができるのでしょう。好きなことを自らやるということがどれだけ重要なのか、またひとつ、理解が深まったような気がします。
繰り返し、これをやっていかないとすぐにまた、色々な洗脳に心も体も頭も染まってしまうので・・・
今日の夕方また、選択を迫られる。一人ではなくて、家族みんなでそれを選んでいく機会に恵まれたのだな、と思います。
なぜか今日はデスマス調で書いたのだけど、なんとなく。