初秋雑感。

 昨日はnoteを何気なく彷徨っているうちに、都市伝説的なものを見つけて少し読んでしまったのが意外にもダメージだった。子供に関わるものだっただけに。(裏社会的なやつね・・・)面白がるにも内容がちょっと、というのと、子供関連なのでちょっと子育て中の身としてはそうできなかった。

それが事実かどうかは、確かめようがない。

信じるか、信じないか・・・(は、あなた次第?)どこかで聞いたようなフレーズである。

表層的には、いやいや、都市伝説でしょう。そう思えても、ネガティブなパワーは、意外と影響を与えて来るな・・・と思った。

仮に、その話が本当だとして、(いや本当に信じられないような内容だけど)そういう人たちが実際いたとしても、数々のスピ本にある共通のことを照らし合わせたらば、それらの行為もその人たちの価値観も、彼らに与えられた自由であって、それさえも許されているということになる。そして、それが自分の価値観と合わなければ、ただ放っておけばいい、

そういうことになる。

これはまさにユートピアの構図でもある。

プラトンが『国家』のなかで描いた、典型的なユートピア的理想国家も、”悪”を糾弾し、徹底的に排除し、理想を追い求めるがゆえに、逆に恐るべき警察国家を造ってしまう。ユートピア、つまり理想を追い求めることはそういう危険をはらむ。

本当の自由は、悪の存在をも許すことなのかもしれないとも思う。

そもそも、悪とは何か。



それにしても、正義感によって、なんとかしようとか、理解しようとかそのこと自体がそれら”悪”と同調することになってしまうのだから、そういった事実はあるとしても、自分は関わらないと。自分は、そこにはいないとそういうことでいいのだろうか。

まあ、そういう記事や、情報や、ニュースなどネガティブなものとあまりに同調しない方が良い、と分かっていても、やっぱり影響を受ける。

そういったネガティブなものは日々情報として蔓延しているので、無意識に影響を受けやすくなっているのかも。

ポジティブなものに目を向けようと思っても、ポジティブそうに見えるものも、意外と常識にまみれていたり・・・

ちょっと頭が混乱している。

神経が繊細モードになっている。

季節の変わり目だからか、色々なことがあったからか。暑さがようやく緩んで(というかもはや寒いけど)、夏の疲れが出たか。


ちなみに、ポジティブそうなもの

・・・と感じるのは、例えば「〇〇のためになることをするのが夢」という典型的なフレーズ。これは美談と思われがちだと思う。

でも、本当にそうなのか、最近疑問に思う。

単にそれが好きなら何も問題ないと思う。

でも「〇〇のために」と表現した時点で、それが好きというのとは違うようにも思う。

そこには、例えば他者の期待に答えることで、認められたいという欲望、などがあって、個人ではなく人を優先することが大事なんだという強固な社会的通念だったり、文化だったり・・・が垣間見える。

そういったことに、日々色々と感じるところがあって

でもそのことが、自分の中の何に繋がっているのか、まだわからずにいる。

腕の痛みとか、腰の痛みとか、疲労感とか、鼻のアレルギーとか、そういうものが何を自分に訴えているのかなと毎日思うのだけど、

まだわからず。

他人から見たらきっと明らかなことも多々あるのだろうなと思いつつ。


ずっと以前に、得た言葉。再び、思い出した。今思えば、この中には色々と誤解・混同してしまいそうなフレーズはあるけど考えてみれば深いものである。誤解や混同したままこの言葉を強く信じてしまうとそれはそれで、苦しみを生むのだけど。

全ての人類を愛し、仕えなさい
人々を助けなさい
明るくありなさい
思いやり深くありなさい
抑えきれない喜びの発電機でありなさい
全ての人々の顔に
神と善良さを見つけなさい
過去を持たない聖者は無く
未来を持たない罪人はいない
全ての人を讃えなさい
もし誰かを賛美できない時は
その人を、あなたの人生から自由にしてあげなさい
オリジナルでありなさい
創意に満ちていなさい
勇敢でありなさい
何度も何度も勇気を奮い起こしなさい
模倣をやめなさい
強くありなさい
前向きでありなさい
他人に頼るのをやめなさい
自分自身でありなさい
全ての完全さと聖なる徳は
あなたの中に秘められている・・
世界にそれを示しなさい
叡智もすでにあなたの中にある・・
それを輝かせなさい
神の恵みがあなたに自由を与えんことを
あなたの生を
薔薇の花のごとくにあらせなさい・・
沈黙の中で
薔薇はその芳香を言葉とする
OM Namah Shivai
ババジの言葉

すみません、原典を忘れてしまっていたのでこちらより引用させていただきました。

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