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泥とチョコテリーヌ

さすがにもうダメかと思ったけど、なぜか生きているなと思いながらねっとりとした香ばしい濃厚なチョコテリーヌにフォークを埋め、軽く力を入れてもったりと切り離す。手の動作によって滞留していた空気が動いたのか、鼻先を掠めたアッサムとヴェネズエラ産カカオマスのナッツの香りが混ざり合う。あまりに香しくて一瞬ためらった。全く食欲がなかったからだ。何かを食べても仕方ない、どうせ、と思っていたから。でも。

飲み下せるかなと思いながら口に入れた瞬間、今日十何度目かの涙が洪水のように溢れた。でも、テリーヌを汚すわけにはいかない。皿に落涙しないように慎重に顔をあげる。真っ白な皿の手前で、濃く塗られた木製のテーブルにぽつりぽつりと水滴が落ちる。表面張力で膨らんだままのそれを指で拭う。指をティッシュで拭う。下まぶたも拭う。でも涙は延々とあふれてきて、止まらない。泣くか食べるかどっちかにしようと自分に言い聞かせるけれど無理そうなので、目からだらだら流れるのを気にしながらもテリーヌを口に運んだ。

ねっとりしたチョコテリーヌが口の中いっぱいにへばりつく。それをアッサムで流す。熱く淹れられたアッサムはあっというまにチョコを溶かしていく。そして、飲み下す。おいしさが私に泣いてもいいと言っている気がして、眼球が押し出されそうなほど涙が溢れる。その繰り返しで着ていたグレーのTシャツが涙のシミだらけになった。

甘いとおいしいは優しい。嫌なことがあったの、そう、ならたくさん甘い思いをして癒されてちょうだい、とささやいてくれている気がする。

それにここはもう自宅だ。誰にも邪魔されることなく泣ける場所。声を出して泣いても誰にもとがめられることなく、眉をひそめられることもなく、思う存分涙を、ヘドロのようにこびりついた感情を排泄できる場所なのだ。

甲状腺の治療経過は良好だった。でも担当医から心を抉られることを何度も言われ、転院することになった。

転院先は大きな病院だけど、ただただ恐怖だった。また同じ事の繰り返しにはならないか。同じようなことを言われはしまいか。躁鬱ということでさげすまれ嫌がられ、何も発していないのにため息をつかれたりはしないか。

5年ほど前、躁鬱を患っていると問診票に書いたら、それだけで露骨に嫌な顔をされたことがあった。それ以来、頭の病気と関係ない治療の場合は、怖くて既往歴に書けないでいた。

でも、次の病院ではしっかり紹介状のカルテに書かれているので、最初から医者は身構えて接してくるだろう。怖い。怖い。怖い。怖い。恐怖に食い殺されそうだ。

もったりとしたチョコテリーヌが口の中を執拗に満たしては、紅茶で溶かされ流されていく。涙はまだ止まらない。さすがに泣きすぎだろうとは自分でも思う。もう何がつらくて泣いているのか分からなくなってきた。

治療方針は少なくとも今とは変わる可能性が高い。早く対処できたではないか。患者の気持ちに寄り添うことができない医師から離れるのは一番の解決策ではないか。なのに、行動できた自分を置き去りにして「私」は今壊れたように泣いている。そのまま壊れたらいいのに、とどこからか聞こえた気がした。

フォークの尖端を最後の一口に突き立てる。持ち上げられたチョコテリーヌの塊が口の中へと消えていく。熱い紅茶とまざりあい、熱気が冷めやらぬうちに喉元を通過する。香りと残骸が口内に残されている。ああ、こんなにも美味しいのに、と思う。

こんなにも美味しいのに、私は美味しさだけに集中できない。自分を呪いたくなった。口の中からこの上ないとろけるような愛で慰撫してくれているのに、かたくなに全てを受け入れられない自分がおろかしい。舌がとろけるほど美味しいことは食べる前から知っていた。なのに、その美味しさを純粋に楽しめない自分が情けなくて、私は嗚咽した。

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