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パチンコ屋とドンキとヤンキーのいないユートピアってどうよ?

知人と食事をしていて、何となくユートピアの話になった。

そもそもは、トヨタが発表した「都市」の話がきっかけ。
あれって、たぶん失敗するよね、と私は言った。あの都市に限らず、昔から未来都市の予想図とか、ニュータウンの広告とか見てると、絶対に知的でオシャレな感じの家族たちが談笑してたり、カッコイイ車が道路に停まってたりするイラストとかがあるんだけど、あれが著しく現実感に欠ける。ああいう街には、必ず美術館とか図書館はあるんだけど、絶対にパチンコ屋はない。それで、私たちが下した結論は、パチンコ屋とドンキとヤンキーの存在を想定しない、視野に入れてない人工都市は絶対に失敗する、ということ。
それで、都市に限らず、人間が想定する理想世界=ユートピアには、いつもそういう夾雑物が欠落していて、それ故にリアリティのない無菌室みたいになってしまって、ことごとく失敗してるよね、という話になった。
確かにそうだ。大昔から、ユートピア論はいろいろあるけど、例えば一番壮大なユートピア実験と言ったら、社会主義、共産主義だろう。あれが頓挫してしまったのも、やっぱりこの「リアリティ」の欠如が原因だったのではないか?
そこで想定されていた解放されるべき人民やプロレタリアートは、やっぱりいつでも良い人なんであって、悪い奴はいない。あくまでも、自由と平等の理想に燃えた賢い人民なのであって、彼らは美しい同志愛で結束している。卑劣な人民とか、強欲な人民とか、自己中の人民とか、怠け者の人民なんかはおよそ想定されていない。いわば性善説、君子の理想社会なのである。
評判の悪いプロレタリアート独裁にしたって、「独裁」という言葉の響きは恐いけど、あくまでも既成社会のゴタゴタしたしがらみを一度強制的にリセットしてしまおうということなんであって、そもそも「必要悪」と規定してある。「恐怖政治」や「粛清」なんかを意味したものでは全然ないのだ。
ところが、やはりここには夾雑物=バグが想定されていなかった。言うまでもなく、人間は猥雑な存在であり、煩悩の塊である。ゆえに、その人間の社会も当然、雑多で猥雑なものとならざるを得ないのだ。
つまり、パチンコ屋とドンキとヤンキーを組み込んでいないユートピアは、必然的に失敗する。それが昨晩の結論であった。


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