花とおじサン
【これは、劇団「かんから館」が、2011年3月に上演した演劇の台本です】
〈キャスト〉
渡辺慎司
杉原真理
西村雅美
高木洋子
1
明かりがつくと、テーブルとイスがあり、渡辺が座っている。
テーブルの上には、フラワーロック。
渡辺が、フラワーロックに向かって声を出す。
渡辺 あー。
フラワーロックが踊る。
渡辺 あー。あー。
フラワーロックが踊る。
渡辺 あー。あー。あー。
フラワーロックが踊る。
渡辺 うーん。
渡辺、考え込む。
雅美が入ってくる。
雅美 おじさん、おはよう。
渡辺 あ、おはよう。‥‥雅美ちゃん、どう思う?
雅美 え?
渡辺 これ。(と、フラワーロックを指さす)
雅美 あ、ダンシングフラワーだ。なつかしー。
渡辺 フラワーロック。
雅美 え?
渡辺 だから、ダンシングフラワーじゃなくて、フラワーロック。
雅美 ああ‥‥。これどうしたんですか?
渡辺 買ってきた。
雅美 へえ。どうして‥‥
渡辺 昔のに比べて元気がないように思わないか?
雅美 え?
渡辺 あー。あー。
フラワーロックが踊る。
雅美 わ、色が変わるんだ。すごーい。
渡辺 ‥‥やっぱり元気がない。
雅美 へ?
渡辺 オモチャ屋に行ったら、新製品入荷って書いてあったから買ってみたんだけど。やっぱり昔のとは違うな。昔の方が、ほら、もっとグニャグニャ元気に踊ってたじゃないか?
雅美 でも、色が変わって、ハイテクになってるし‥‥。
渡辺 だから、何でもハイテクにすればいいってもんじゃないんだよ。
雅美 ‥‥はあ。
渡辺 ‥‥昔は良かったな。
雅美 ‥‥はあ。
渡辺 昔は良かった。
雅美 ‥‥‥。
渡辺 雅美ちゃん。
雅美 はい?
渡辺 ほしい?(フラワーロックを指さす)
雅美 え?
渡辺 あげるよ。
渡辺、部屋から出て行く。
渡辺 ‥‥昔は良かったな。
渡辺、去る。
雅美 ‥‥え?
しばしの間。
洋子が入ってくる。
洋子 おっはー。
雅美 おはよう。
洋子 あ、これ! ええっと‥‥。
雅美 ダンシングフラワー。
洋子 あ、そうそう、ダンシングフラワー。‥‥どうしたの?
雅美 もらった。おじさんに。
洋子 へぇ。
洋子、フラワーロックの前で手をたたく。
洋子 えい!
フラワーロックが踊る。
洋子 わ、すっごーい。光るんだ。‥‥えい!
洋子、手をたたく。
フラワーロックが踊る。
洋子 すっごーい! ハイテクー!
雅美 ‥‥何でもハイテクにすればいいってもんじゃないよ。
洋子 え?
雅美 それに、それ、ダンシングフラワーじゃないから。
洋子 え?
雅美 フラワーロック。
洋子 え?
雅美 だから、フラワーロックって言うの。
洋子 え‥‥だって、雅美ちゃんが‥‥。
雅美 うっそだよーん。
洋子 ひっどーい。
雅美 へへっ‥‥。あ、そうそう、昨日ね、感動的な事件があったのよね。
洋子 感動的な事件?
雅美 そう、感動的な事件。‥‥あたしさあ、ヤクザにお持ち帰りされそうになっちゃってさあ。
洋子 え、ヤクザ? 暴力団?
雅美 まあ、本物のヤクザかどうかはわかんないんだけど、まあ、そういう感じの客がグループで来てさ、店で騒いでたの。で、やな感じだなあと思ったけど、仕事だからさあ、適当に話もしなきゃなんないじゃん? そしたら、その中のボスみたいなのが何でかしんないけど、あたしのこと気に入っちゃったみたいなのよ。それで「こいつを持ち帰るぜー」とか言い出してさ。
洋子 へえ。
雅美 でさ、どう見てもヤバい客だからさあ、店長が出てきて、引き留めようとしてくれたわけ。そしたらさ、若い衆みたいのがさ、暴れ出して、大声は出すわ、グラスは投げるわ、あげくの果てに店長はボトルで殴られちゃったのよ。
洋子 へえ‥‥。それで、雅美ちゃんは大丈夫だったの?
雅美 うん。店の人が警察を呼んでくれて。
洋子 へぇ、それはよかったね。
雅美 うん。それで、あたし感動しちゃったんだなあ。
洋子 え? 何に?
雅美 もち、店長よ。あたし、惚れちゃうかも?
洋子 へえ。その人いくつ?
雅美 四十過ぎぐらいかな?
洋子 ふーん、雅美ちゃんっておじさま好みなんだ。
雅美 え? そっかなあ? 四十なんて全然若いよ。
洋子 えー、そう? 私は無理だな。
雅美 まあ、洋子はオコチャマだからね。
洋子 何よ、その言い方。オコチャマなんかじゃないわよ。
雅美 オコチャマよ、オコチャマ。
洋子 あなたとトシ変わんないじゃない!
雅美 だって、洋子、リストカットとかしてんじゃん。
洋子 え? それが、何の関係があるのよ?
雅美 リスカなんかするのはオコチャマなのよ。
洋子 そんなことないわよ!
雅美 あるわよ。リスカして登校拒否して学校やめるなんて、オコチャマの典型的パターンじゃん。
洋子 え‥‥。
雅美 ?
洋子 それ‥‥マジで言ってるわけ?
雅美 え? ‥‥いや‥‥さ、‥‥ほら‥‥。
洋子、泣き出す。
雅美 え‥‥そんな‥‥ほら、冗談に決まってるでしょ?
洋子、泣いている。
雅美 え? ‥‥ええ?
真理が入ってくる。
真理 あ。
雅美 ‥‥あ。
真理、洋子と雅美を指さす。
真理 あんたが泣かしたのね?
雅美 い、いや‥‥だから‥‥。
真理、雅美をなぐる。
真理 この、どアホが!
雅美 だから‥‥この子が勝手に‥‥。
真理、雅美をなぐる。
真理 男が言い訳するんじゃない!
雅美 お、おとこじゃないもん!
真理、雅美をなぐる。
真理 うるさい!
雅美 え、ええーん。
雅美、泣く。
洋子、泣き止む。
洋子 へへっ、ざまーみろ!
洋子、走り去る。
真理 あ。
雅美 あ、あー!
暗転。
2
真理と雅美が座っている。
真理 でも、店長って奥さんいるよね。
雅美 うん。
真理 子供もいるよね。たしか、二人。
雅美 うん。
真理 じゃあ、不倫ってことよね。
雅美 だから、そういうんじゃなくて‥‥。
真理 そういうんじゃなくて? 何?
雅美 だから、ただの好感よ。いい感じだなーって。
真理 ふーん。そっか。
雅美 うん。
真理 ‥‥でも、そういう風には見えないんだよなあ。
雅美 え?
真理 店じゃ、もっぱらのうわさだよ。
雅美 え? どういううわさ?
真理 だから、あの二人はできてる。
雅美 だから、できてないって!
真理 いや、あたしが言ってんじゃなくて、世論だから。
雅美 世論? それって何よ?
真理 だから、あんたはもちろんだけど、店長の方も、いや、むしろ店長の雅美を見る目が違うって。
雅美 どう違うのよ?
真理 そんなの知らないわよ。違うから、違うって言ってんじゃないの?
雅美 そんなあ‥‥。
真理 あたし、別にいいと思うよ。あたしは博愛主義だから、不倫とかそういうのにこだわらないから。
雅美 だから、そんなんじゃないって。
真理 あたし、応援してるから。
雅美 だからあ‥‥。
携帯の着信音。
雅美 あ。
雅美、電話を取り出す。
雅美 (携帯の画面を見て)え?‥‥はい、もしもし。‥‥あの、どなたでしょうか? え‥‥。ママ? ママなの? ‥‥どうして、どうしてこの番号を知ってるの? ‥‥そんなのどうでもよくないわよ。‥‥うん。‥‥うん。‥‥もう、あなたには話すことはありませんから、電話を切りますよ。‥‥え? ‥‥‥‥だから、話すことはないって言ってるでしょ! ‥‥‥‥‥‥だから、どうしてそんなこと言うの? 私は自分の意志でここにいるんだから。‥‥‥‥だから、何度言ったらわかるの? 私はだまされてもいないし、洗脳なんかもされていません! ‥‥‥え?‥‥‥え?‥‥‥‥誘拐? 馬鹿なことを言わないでよ! もう、あなたとは話にならないわ。切るわよ! ‥‥え?‥‥え?‥‥仕事? そんなの、あたしがどんな仕事しようとあたしの勝手じゃない? ‥‥え? 風俗? ‥‥そんなんじゃないわよ。‥‥え?‥‥そんな話どこで聞いてきたのよ? それに仮にそうだったとしても、そんなのあなたには関係ないじゃない。‥‥だから、違うって!仮にって言ってるでしょ、仮にって。‥‥はい。‥‥はい?‥‥だから、強制なんかじゃありません! 自分の意志なの! 何度言わせるのよ? ‥‥うん。‥‥うん。‥‥え、おじさん? 今はいないわよ。‥‥だから、ウソなんかついてないって! それに、おじさんに何を言うつもりなの? どうせ誘拐犯だとか、娘を返せ!とか、いつものそんな話でしょ? だったら、電話に出てもらう必要はないわ。‥‥‥いや、だからほんとにいないんだってば。
真理が電話を代わるようにサインを出す。
雅美 え? これ?
真理が電話に出る。
真理 あー、もしもし、代わりました。初めまして。わたくし、渡辺と申します。そうです。ワタナベのジュースの素のワタナベです。‥‥いやあ、例えがちょっと古かったですかいのう。カッカッカッカッ。‥‥いやいや、逃げも隠れも致しません。実は、ちょっと出ておりましてな、今帰ってきたところです。‥‥はい、野暮用で。‥‥はい、三十秒ほど前ですかな。‥‥それでは、ご用件をお伺いしましょう。‥‥え? とぼけるな? ‥‥はあ、ちょっとトシのせいでぼけてはおりますが、とぼけてはおりませんが? ‥‥え? 雅美を返せ、とな? ‥‥いやあ、借りた物は、借金でも仇でも何でもきちんと返すよう親から教えられておりまするが、雅美さんをお借りした覚えはついぞありませぬものゆえ。‥‥はあ、ですから、ぼけてはおりますが、とぼけてはおりません。‥‥はあ‥‥はあ‥‥え? 洗脳? 洗脳と申しますと、あれですか? 脳を洗うと書くあれですか? ‥‥はあ、おかげさまで、頭を洗うだけの髪の毛はまだ残っておりますが、その頭をパカッとこじあけて脳みそを洗うわけにはいきませんで。いやあ、なかなかおもしろいことをおっしゃる。カッカッカッカッ。‥‥いや、いや、ふざけてなんかはおりませぬ。ふざけているのはあなた様の方で‥‥。
渡辺が入ってくる。
渡辺 ただいま。
真理、雅美、口に指を立てる。
渡辺 あ、電話中か。
真理 あー、失礼。それで、何の話でしたっけな? ああ、そうそう、脳みそを洗う話でしたな。‥‥え? それはもういい? ああ、そうですか? ‥‥え? 風俗? それは、あの、服装とか習慣とかの風俗ですか? ‥‥え? 風俗業? ああ、あの色っぽい方のやつですな。奥さん、あなたもなかなかお好きですなあ。いやあ、男も女も、いくつになっても色気をなくしてはいけません。それでは生きてる甲斐がないですからな。カッカッカッカッ。‥‥いや、ですから、ぼけてはおりますが、とぼけてはおりません。よいですか? そもそも色というのはですな、これは空に通じます。色すなわち空、空すなわち色なんですな。色即是空、空即是色と仏教のありがたい教えです。‥‥は? いや、私は坊主ではありません。ぼけてはおりますが、枯れてはおりませんゆえ。‥‥は? お前では話にならない? そうですか。それは困りましたなあ。代わりにうちの三之助でも出しましょうか? ‥‥いや、これは、うちで飼っている三毛猫でありまして、頭がよろしいのですわ。畜生と言えどもなかなかあなどれませんわい。カッカッカッ。‥‥いやいや、ふざけてなどおりませぬ。まっこと利口な猫でありましてな。たとえばですな‥‥え? 猫の話はいらない? ああ、そうですか? では、犬の話でも致しましょうか? ‥‥はあ? もしもし、もしもし‥‥。
しばしの間。
真理 切れちゃった。
雅美 ‥‥真理ちゃん、やるねぇ。‥‥ありがとう。
真理 いえいえ、なんぞ、これしき。
渡辺 何だったの、今の電話?
真理 いつもの迷惑電話。
渡辺 え? ‥‥それじゃ、あれかい? 今のは、ひょっとして俺の物まねのつもり?
真理 ま、そういうこと。
渡辺 ひどいなあ。‥‥それじゃ、まるで、俺、ぼけ老人みたいじゃないか?
真理 いやいや、ぼけてはおりますが、とぼけてはおりません。
雅美 アッハハハ。
渡辺 ひでえ。‥‥ひどいよ、真理ちゃん。
真理 まあまあ、撃退できたんだから、いいってことにしてよ。
雅美 そうそう。
渡辺 もう。‥‥君らにはかなわんな。
真理 ‥‥それにしても、どうして電話番号知ってたの?
雅美 よくわかんないけど、友達関係から、マスコミが聞き出したんだって。
真理 じゃあ、今の電話も、マスコミが録音とかしてるんだろね。
雅美 じゃあ、週刊誌やテレビとかにも出るのかな?
真理 そうだね。‥‥これで、明日のワイドショーの見出しは決まりだね。「疑惑の老人、渡辺が激白! 私はぼけてはいるが、枯れてはいない!」
渡辺 ひでえよ。それ、あんまりだよ。
真理・雅美 アハハハハ。
渡辺 もう!
しばしの間。
渡辺 ‥‥そうすると、ここもそろそろ引っ越しかな?
真理 え? またあ?
渡辺 うん。
真理 ねぇ、おじさん。もうそろそろやめにしない?
渡辺 え?
真理 出るとこ出て、堂々と言おうよ。「私たちは、何も悪いことはしていません」ってさ。
雅美 うん、私もそう思う。
渡辺 ‥‥だめだよ。‥‥そんなことが通用する相手だったら、苦労はしてないよ。‥‥君らもさんざんひどい目に遭ってきたから分かってるだろ?
真理 ‥‥それは、そうだけど。
渡辺 マスコミってのはさ、ハイエナみたいなやつらなんだよ。何でもいいから、生け贄にして叩きまくる。‥‥正しいかどうかなんてどうでもいいんだよ、あいつらにとってはさ。
雅美 ‥‥‥。
真理 そうかもしれないけどさ、でもさ、悔しいじゃないの? どうして私たちがこそこそ逃げ回らなきゃならないの? そんなの、やっぱりおかしいよ。‥‥ねぇ、おじさん、やっぱり闘おうよ!
渡辺 ま、真理ちゃんの気持ちもわかるけどさ、まともに話が通じる相手じゃないのさ。もう、はなっから、「疑惑の集団」って決めつけてるんだから。
真理 でもさ、一番の犠牲者はおじさんなんだよ? 誘拐犯とか洗脳者とか疑惑の教祖とか言われてんのはおじさんなんだよ? 腹立たないの?
渡辺 そりゃ、腹は立つさ。でもさ、だからって出て行ったところでさ、おもしろおかしく興味本位でなぶり者にされるのがおちだよ。それだったら、今みたいに、じっとがまんしてる方がいいんだ。
真理 でも‥‥。
渡辺 真理ちゃん、世の中にはね、道理が通らないこともいっぱいあるんだよ。
真理 ‥‥‥。
渡辺 ‥‥がまんだよ。がまん。
真理 ‥‥‥。
渡辺 雅美ちゃん。
雅美 はい?
渡辺 その携帯、番号が知れてるんだったらまずいから。
雅美 はい、わかってます。
渡辺 頼むよ。
雅美 はーい。
しばしの間。
渡辺 ‥‥がまんだ。がまん。
真理・雅美 ‥‥‥。
暗転。
3
真理と渡辺が座っている。
真理 あたし、洋子のこと、他人事とは思えないのよねぇ。
渡辺 そうか。
真理 まあ、あたしの場合は、高校も大学も卒業したし、就職もしたけど、結局、やめちゃって、後はひきこもりの人生だからねぇ。
渡辺 ああ、そうだな。
真理 幸い、あたしはいじめとか受けたことはなかったけど、それはたまたまであって、何にも考えずに何となく高校時代を通り過ぎただけだし、もし、あの時にそういう目に遭っていたら、洋子と同じで、やっぱり登校拒否になってたんじゃないかなあ。
渡辺 かもしれないな。
真理 て言うかさ、誰もがそういう可能性を持って生きてるような気がするのよ。だって、そうでしょ?「何で生きてるのか」とか「何のために生きてるのか」なんて、すぐに答えられる人なんてそうそういないんじゃない? それを大多数の人は、何となくうまくぶつからないでやり過ごしてるだけだと思うんだよねぇ。あたしの学生時代みたいに。
渡辺 まあ、そうかもな。
真理 あたし、思うんだけどさあ、「何で死ぬのか?」って言う人に一度聞いてみたいわけよ。「何で生きるのか?」って。どう答えるんだろうねぇ? ほんと、一度聞いてみたい。‥‥それからさ、「死ぬ勇気があるんだったら、どうしてその勇気で生きないんだ?」って怒る人もよくいるけど、死ぬのに勇気なんかいるわけ? なんとなく生きてるみたいにさ、なんとなく死んじゃうんじゃない? おじさん、そう思わない?
渡辺 確かに勇気はいらないけど、生きるのには力はいるぞ。
真理 ふーん、力かあ? ‥‥だったらさ、その生きる力がないから死ぬのかなあ? 風船がプシューとへこんじゃうみたいに。‥‥絶対、パンって破裂するんじゃないよね。プシューだよね。
渡辺 プシューねぇ。そういう言い方もあるか‥‥。
真理 そうだよ。絶対プシュー。‥‥プシュー。
雅美と洋子が入ってくる。
洋子 ねぇねぇ、それ、何の遊び?
真理 プシュー。
洋子 プシュー?
真理 ねぇ、そう思わない? あたしたち、絶対プシューだよね。
洋子 はあ?
雅美 あの‥‥話が見えないんですけどぉ‥‥。
真理 だからさ、死ぬのにパンって破裂して死ぬのと、プシューとへこんで死ぬのがあるわけよ。それで、あたしたちはプシューのパターンよね。
雅美 はあ?
洋子 うん、そう思うよ。
雅美 え? 洋子、何でわかるの?
洋子 だって‥‥。
真理 ほらあ、やっぱりあたしと洋子はおんなじなのよ。
雅美 えっ? えっ?
洋子 それ、どういうこと?
真理 だからさあ‥‥ああ、もっかいおんなじ話すんのめんどくさい。‥‥おじさん、話して。
渡辺 おいおい、何で俺なんだよ?
真理 いいじゃん。
渡辺 自分で話せよ。
真理 だからあ、めんどうなの。
洋子 ねぇ、ねぇ、何の話してたの?
真理 ‥‥生きるとは何か?
雅美・洋子 は?
真理 ‥‥死ぬとは何か?
雅美・洋子 は?
真理 武士道とは死ぬることと見つけたり!
雅美・洋子 え?
渡辺 おいおい、それじゃ、余計にわかんなくなっちまうじゃないか。
真理 へへへ‥‥。
雅美 真理ちゃん、お酒飲んでるの?
真理 ああ、お酒。飲みたいねぇ。
渡辺 まあ、二人とも、そんなとこに突っ立ってないで、座りなよ。
雅美・洋子 はーい。
渡辺 真理ちゃんとさ、昔話してたんだよ。ここに来た頃の話。
雅美・洋子 はあ。
渡辺 それで、何で死のうと思ったのか?って話になってさ。そしたら、真理ちゃんがさ、なんとなく生きてんのと、なんとなく死ぬのとは大して変わらないって言い出してさ‥‥。
洋子 ああ、それでプシューなんですね。
真理 ご名算!
雅美 だから、何で洋子はわかるわけ?
洋子 いや、だから、プシューって消えてくように死にたいって思ってたから。
雅美 はあ?
真理 じゃさ、じゃあ聞くけど、雅美はどうして死のうと思ったわけ?
雅美 え? ‥‥そんなの、ひと言では言えないよ。
真理 二言でも三言でもいいからさあ‥‥。
雅美 死にたい理由って言われてもねぇ‥‥今になったら、自分でもよくわかんないな。‥‥とにかく、いっぱいいっぱい嫌なことがあったのよね。それで、とにかくそこから逃げ出したいって感じだったような気がする。別に死ぬんじゃなくてもよかったのかもしれないけどさ‥‥とにかくあの時は、もう死んでもいいかって思ってた。
真理 ‥‥それで、あのサイトを見つけたわけだ。
雅美 そう。‥‥あの時は、朝から晩まで、ご飯も食べずに探してたのよね。「死」とか「自殺」とかに引っかかる掲示板や、サイトを隅から隅まで眺め続けてた。‥‥でも、なかなかしっくりくるのがなかったのよね。自殺サイトや掲示板はいっぱいあったけど、これだ!っていう感じがしなかった。‥‥それで三日目だったかなあ、もう、頭がもうろうとしてきてる中であの言葉に出会ったのよね。
真理・洋子 遠くへ行きたいと思いませんか?
雅美 ‥‥そう。
洋子 ‥‥でも、どうして「遠くへ行きたい」だったんですか?
渡辺 どうしてって‥‥。だって、みんな思ってたんだろ? 遠くへ行きたいって。
真理・雅美・洋子 (うなずく)
渡辺 まあ、タネ明かしをするとね、あの言葉には大して意味はないんだ。俺が昔好きだった歌の題名なんだ。
洋子 歌?
渡辺 そう。
♪知らない町を歩いてみたい どこか遠くへ行きたい
真理 あ、その歌、聞いたことがある。
渡辺 だろ? ‥‥でもさ、この歌は、死にたいって歌じゃなくて、本当は生きる歌なんだ。生きたいってメッセージの歌なんだ。
真理・雅美・洋子 ‥‥‥。
渡辺 俺もさ、一度死のうと思ったことがあってさ、一人で列車に乗って、遠い所に行ってさ、誰にも知られず消えちまいたいと思ってさ。‥‥そしたら、何となくこの歌を口ずさんでた。‥‥だから、「遠くへ行きたい」って書いたら、誰かわかってくれる人がいるかもしれないって思ったんだよな。
真理・雅美・洋子 ‥‥‥。
渡辺 俺は結局死ななかった。いや、死ねなかったという思いをずっと引きずってたように思うんだ。変な話だけど、ここのみんななら分かってもらえると思うんだけど、自殺を考える人間にとっては、死んだ奴が勝ち組で、死ねない奴は負け組なんだよな。ほら、お前は、死ぬことすらできなかったんだって‥‥。それで、よけいみじめになって‥‥。
洋子 おじさん、それわかるよ。‥‥リストカットって、自殺みたいにおっきなことじゃないけど、ちょっとだけ死んでみようって思うのよね。で、リスカしてちょっと死んでみて、それでリスカなんかしてる自分が余計嫌になって、またリスカしちゃって‥‥。何遍手首を切ったって死ぬ訳じゃないんだけど、その負け組みたいなみじめさは手首の上にも、心の中にも確実に蓄積されていって‥‥それで、そんなみじめな自分にけじめをつけなくちゃって思うようになって‥‥。
真理 生きててすみません‥‥て?
洋子 え?
真理 そういうの、誰か言ってたじゃん?
渡辺 太宰治だな。‥‥生まれてすみません。
真理 そうそう、太宰治。‥‥あの人も、確か何度も自殺未遂して、結局自殺しちゃったけど‥‥やっぱりおじさんの言う負け組だったのかなあ?
渡辺 そうかもしれないなあ。
洋子 生まれてすみません‥‥か。何か分かる気がするな。‥‥私、ずっといじめられてて、親とか先生からも、お前は被害者なんだ、お前は何も悪くないんだって言われて。そう言われれば、言われるほど、何だか自分に責任があるような気がしてきちゃって‥‥その、生まれてすみません? ‥‥こんな自分ですみませんみたいな気がしてきて‥‥。
真理 ‥‥それで、遠くへ行きたくなった?
洋子 ‥‥うん。
雅美 でも、結局だまされちゃったのよねぇ。あの頃、練炭自殺とかが流行ってたから、あのサイトを見つけた時、絶対そういう呼びかけだと思ったのに‥‥。
渡辺 おいおい、だまされたはひどいだろ?
雅美 でも、事実じゃん?
洋子 そだね。
真理 確かに。見事にだまされちゃった。
真理・雅美・洋子 アハハハハ‥‥。
間。
渡辺 俺は、遠くへ行こうとは言ったけど、自殺しようとは言ってないぜ。
真理 それは、そうだけど‥‥。
洋子 でも、おじさんも、死のうとした時、遠くへ行きたいって思ったんでしょ?
渡辺 ああ、思ったよ。それで、失敗して、ああ、俺は遠くへ行けなかったって思った。
洋子 じゃあ、どうして?
渡辺 どうして? ‥‥ああ、どうして「遠くへ行きたいと思いませんか?」ってサイトを作ったのかって?
洋子 うん。
渡辺 ‥‥まあ、いくつか理由はあるんだけど、一つは、さっきも言ったけど、「遠くへ行きたい」ってのは生きる歌、生きようとする歌だと気づいたことかな? ‥‥それから、「遠く」ってのは、あの世だけじゃないってことかな? ‥‥人間至る所青山有りだな。
洋子 それ‥‥どういう意味?
渡辺 よくは知らないんだけど、青山というのはお墓のことらしい。で、人間というのは、どこへ行っても死ぬことはできる、みたいな言葉だそうだ。‥‥まあ、だから、あくせくしてあわてて死ななくても、どうせどこかでくたばるんだから‥‥って感じかな?
洋子 へえ‥‥変なの。
渡辺 変か?
洋子 うん、変だよ。‥‥でも、いい言葉だね。
渡辺 そうだろう? 覚えておきな。
洋子 うん。‥‥人間至る所青山有り。
真理・雅美 人間至る所青山有り。
渡辺 な、昔の人はいいことを言うだろ?
洋子 そだね。
渡辺 だから、年寄りを大切にしなくちゃな? ‥‥おじさんみたいな。
洋子 え? そういう意味なの?
渡辺 そうだ。
真理・雅美・洋子 アハハハハ‥‥。
間。
雅美 ‥‥そうだよねぇ。みんなが、そんな風におおらかに生きられたらいいのにねぇ。
洋子 そうだねぇ。
雅美 誰がどこで何をしようと、どうやって行きようと、どうやって死のうと、ほっといてくれたらいいのにねぇ。
真理 それ、マスコミのこと?
雅美 うん。
洋子 私も、それ賛成だな。自由に生きて、自由に死んで、お墓なんかいらないから、骨をパーっと空にまいてさ、それでおしまい。そういうのがいいなあ。
真理 ♪千の風に 千の風になって あの大きな空を吹き渡っています
全員 アハハハハ‥‥。
洋子 ねぇ、おじさん。
渡辺 うん?
洋子 インドに行こうよ。
渡辺 え? インド?
洋子 インドじゃ、人が死んだら、燃やして、ガンジス川に流しちゃうんでしょ?
渡辺 ああ、そうらしいな。
洋子 そういうのがいいよ。‥‥ねぇ、みんなでインドに行こうよ。,ねぇ、真理ちゃんも、雅美ちゃんもいいと思わない?
真理 インド?
洋子 うん、インド。
雅美 インドはカレーばっかりだよ。
洋子 うん、いいじゃん。私、カレー好きだし。
雅美 朝も、昼も、夜もカレーだよ。
洋子 別に、いいよ。
雅美 あたし、辛いのあんまり得意じゃないからなあ‥‥。
真理 それに、水飲んだら、下痢するらしいよ。それに、さっき言ってたガンジス川で普通に洗濯とかするんだよ?
洋子 そんなの、住んだら慣れるって。
真理 あたし無理。
洋子 ‥‥誰かに聞いたんだけど、インドじゃ、時間がゆっくり流れてるんだって。日本みたいにアクセクしてないの。それに、みんな好き勝手に自由に生きてて、それで文句を言う人もいないんだって。だから、インドに旅行に行ってハマっちゃった人は、日本に帰ってこないんだって。
雅美 ふーん、洋子って、インド通なんだ。
洋子 だから、こんなにこそこそ隠れて逃げ回ってるより、インドで自由に生活した方が絶対いいよ。‥‥おじさんもそう思わない?
渡辺 インドなあ。‥‥洋子ちゃんの言うのもわかるけど、現実にはなかなか難しいよ。
洋子 どうして?
渡辺 ほら、パスポートの問題もあるし‥‥。みんなは捜索願いが出てるし、俺は警察からマークされてるしなあ‥‥。
洋子 そっか。
渡辺 うん。
洋子 ‥‥‥。
渡辺 でも、インドでみんなで暮らすって計画は、悪くないと思うよ。
洋子 でしょ?
渡辺 ‥‥狭い日本そんなに急いでどこへ行く。
洋子 え?
渡辺 ま、日本は窮屈だってこと。‥‥そうだな、疑いが晴れた暁には、いつか、みんなでインドへ行こう。
洋子 うん、行こうよ。‥‥約束だよ?
渡辺 うん、行こう。
暗転。
4
渡辺と雅美が座っている。
雅美 (外を眺めて)今日は、いいお天気だね。
渡辺 そうだな。
雅美 何となくあったかいし。
渡辺 そうだな。
雅美 いよいよ春だねぇ。
渡辺 そうだねぇ。
雅美 今年の桜はどうなのかな?
渡辺 え?
雅美 いや、去年はやけに桜が早かったでしょ? そしたら、あんなに夏が暑くなっちゃって。
渡辺 そうだったな。
雅美 クーラーがなかったから、地獄みたいだったじゃん?
渡辺 そうだ、そうだ。
雅美 この家はクーラーがあるから、いいよね。
渡辺 そうだな。
雅美 ねぇ、おじさん、夏まではこの家にいようよ。
渡辺 うーん、そうできるといいんだけどね。
雅美 大丈夫だよ。
渡辺 そうかなあ?
雅美 それにさ、引っ越したら、また一からやり直しじゃん?
渡辺 え? 何が?
雅美 ほら、仕事とかさ。
渡辺 ああ。
雅美 水商売は、人の出入りが激しいんだけどさ、それでも、人間関係とかもあるからさ。
渡辺 ‥‥そうだな。
雅美 まるで転校生みたいだよ。
渡辺 え?
雅美 ほら、親の仕事の関係で、毎年みたいに転校する子っているじゃん? せっかく友達になれたのに、また別れてしまうっていう。
渡辺 ああ。
雅美 ああいう子の気分が分かってきたよ。で、もういっそ、友達なんか作らないでいようって‥‥。
渡辺 そんなこと考えるのか?
雅美 子供でもそうらしいよ。
渡辺 ふーん。
雅美 それに、名前もどんどん変わっていくし‥‥。優子でしょ? それから、奈津実で、愛子で、沙織で‥‥あ、その間にナンシーなんてのもあったよね。
渡辺 ‥‥すまないな。
雅美 え? 何が?
渡辺 いや‥‥みんなには苦労をかけてるなって。
雅美 何言ってんのよ。おじさんらしくもない。
渡辺 いや‥‥でも‥‥。
雅美 他の子は知らないけど、あたしはけっこう気に入ってるのよ。この仕事も生活も。何だか性に合ってるっていうのかな?
渡辺 ほんとにそうか?
雅美 うん。‥‥ほんとにほんと。
渡辺 ふーん。‥‥それならいいけどさ。
雅美 真理も洋子も、少なくとも嫌じゃないと思うよ。
渡辺 ふーん、そうか。
雅美 そうだよ。‥‥何よ、おじさん、元気出してよ!
渡辺 いや、俺は元気だよ。
雅美 何だ、そっか。‥‥心配して損しちゃった。
二人、笑う。
真理が入ってくる。
真理 おはよう。
渡辺・雅美 おはよう。
真理 あれ? 洋子は?
雅美 まだ、寝てんじゃないの?
真理 そっか。ねぼすけだよな、あの子は。
雅美 そういう真理ちゃんも、もうお昼だよ。
真理 しょうがないじゃん。朝帰りだもん。
雅美 ダメダメ、今そういう話しちゃ。
真理 え?
雅美 おじさん、泣いちゃうから。
真理 え? 何それ?
雅美 おじさん、そういうモードなの。‥‥お前たちには苦労をかけるねぇ。
真理 おとっつぁん、それは言わない約束だよ。
全員、笑う。
雅美 それそれ。
真理 え、そうなの?
渡辺 い、いや、泣いてなんかいないさ。‥‥でも、苦労させてるのは事実だからさ。
真理 おとっつぁん、それは言わない約束だよ。
全員、笑う。
真理 何言ってんのよ。あたし、けっこう楽しんでるよ。今の仕事。
雅美 だから、今、ちょうどその話をしてたところ。
真理 え? そうなの?
雅美 うん。
真理 へぇ、どうしたの? おじさん、何か悪い物でも食べたの?
渡辺 食ってねぇよ。‥‥何だよ? 俺がみんなの心配をしたら、そんなにおかしいか?
真理・雅美 うん、おかしい。
全員笑う。
渡辺 もう! おまえらには負けるよ。
全員笑う。
真理 あ、そうそう、例のやつ。
雅美 あ、そだね。
雅美が去る。
渡辺 ‥‥例のやつって何だよ?
真理 ひ・み・つ。
渡辺 何だよ?
雅美が包みを持って戻ってくる。
雅美 ジャジャーン!
渡辺 え?
真理 おじさん、何だと思う?
渡辺 え?
真理・雅美 ♪ハッピバースディ トゥーユー ハッピバースディトゥー ユー ハッピバースディ ディア おじさん ハッピバースディ トゥー ユー。
包みを開けると、ケーキが入っている。
真理・雅美 おじさん、お誕生日、おめでとう!
渡辺 ‥‥‥。あ、そっか。すっかり忘れてた。
真理 なんて言っちゃって!
雅美 期待してたんでしょ!
渡辺 いや、ほんと。‥‥このトシになると、誕生日なんか、めでたくもないからさ。
雅美 ええっと、六十‥‥何歳だっけ?
渡辺 もう、いいじゃないか? そんなこと。‥‥それより、ちょうど腹も減ってきたところだ。みんなで食べようぜ。
真理 そだね!
渡辺 それじゃ、雅美ちゃん、洋子ちゃんを起こしてきてよ。
雅美 はーい。
雅美、去る。
渡辺 ‥‥正月は、冥土の旅の一里塚って言ってね。
真理 え? 今、お正月じゃないじゃん。
渡辺 昔はさ、お正月でひとつトシをとったの。数え年ってやつ。
真理 ああ。
渡辺 このトシになるとさ、一つトシをとるごとに、ああ、あと何年生きられるのかなあ‥‥って、しみじみ思えてくるんだよ。
真理 そうなの?
渡辺 うん。
真理 おじさん元気だから、‥‥そうねぇ、あと五、六十年は大丈夫だよ。
渡辺 何だよ? それじゃ、妖怪だよ!
二人、笑う。
雅美が走ってくる。
顔が真っ青。
真理 あれ? どうしたの?
雅美 洋子が‥‥、洋子が‥‥。
渡辺 どうした!
雅美 薬‥‥薬を飲んじゃったみたい‥‥。
渡辺 何の薬だ?
雅美 わかんない‥‥。でも、薬のシートがいっぱい散らばってて‥‥。
渡辺 よし!
渡辺が走って去る。
雅美 ‥‥‥。どうしよう‥‥。
真理 ‥‥大丈夫。大丈夫よ。‥‥おじさんが何とかしてくれるわ。
雅美 ‥‥‥。
真理 ‥‥‥。
長い沈黙。
渡辺が走って戻ってくる。
真理 どうなの?
渡辺 よくわからんが、どうも睡眠薬を大量に飲んだみたいだな。
真理 ‥‥‥。
渡辺 雅美ちゃん、電話をかけてくれ。
雅美 え‥‥。
渡辺 電話だよ、電話! 一一九番だ! 救急車を呼ぶんだ!
雅美 え‥‥。
真理 だめだよ、おじさん!
渡辺 何が?
真理 電話かけたら、警察も来るよ!
渡辺 ‥‥‥。
真理 おじさんも、私たちも捕まっちゃうよ!
渡辺 ‥‥そんなことを言ってる場合じゃない!
真理 でも‥‥。
渡辺 それじゃ、洋子を見殺しにしろと言うのか?
真理 ‥‥‥。
渡辺 仲間だろ?
真理 ‥‥‥。
渡辺 人の命がかかってるんだ。
真理 ‥‥‥。
渡辺 とにかく、すぐに電話しろ。‥‥それからのことは‥‥それからのことだ。
真理・雅美 ‥‥‥。
渡辺 ‥‥‥。
暗転。
救急車のサイレン。
5
真理と雅美が座っている。
真理 ‥‥そろそろ行かないとね。
雅美 ‥‥そうだね。
しばしの沈黙。
雅美 ‥‥おじさん、どうしてるかなあ?
真理 ‥‥たぶん、ブタ箱のメシがまずいって文句言ってるよ。
雅美 ‥‥かもね?
真理 きっと、そうだよ。
しばしの沈黙。
雅美 ‥‥洋子はどうなんだろ?
真理 たぶん‥‥大丈夫だよ。‥‥最近の睡眠薬で死ぬことはめったにないし、連絡も早かったから。
雅美 ‥‥そうだね。
しばしの沈黙。
雅美 洋子‥‥家に連れ戻されるんだろうね。
真理 ‥‥ああ、たぶんね。
雅美 ‥‥そうだね。
真理 ‥‥うん。
雅美 ‥‥あたしたちはどうなのかな?
真理 ‥‥おんなじだよ。ここにいたら。
雅美 ‥‥そっか。
真理 ‥‥うん。
雅美 ‥‥任意の事情聴取って、何を聞かれるんだろ?
真理 たぶん、昨日とおんなじだよ。誘拐じゃないのか、とか、洗脳されてないのか、とか、性的虐待を受けてないか、とか、強制的に働かされてはいなかったのか‥‥とか。
雅美 そっか。
真理 うん。
しばしの沈黙。
雅美 ‥‥私たち、いなくなっても、おじさん大丈夫かな?
真理 洋子がちゃんと証言してくれるよ。
雅美 そうかな?
真理 そうだよ。
雅美 ‥‥おじさん、有罪にならないかな?
真理 大丈夫だよ。悪いことしてないんだから。
雅美 ‥‥そだね。
真理 うん。‥‥あたしたちは、何も悪いことはしていない。
雅美 そうだよね。
真理 うん、そうだよ。
しばしの沈黙。
真理、ポケットから、封筒を取り出す。
真理 ‥‥読む?
雅美 何‥‥それ?
真理 洋子の枕元にあった。‥‥たぶん、遺書。
雅美 へぇ。
真理 ほら、救急車が来たり、警察の家宅捜索があったりして、バタバタしてたじゃない? ‥‥だから、みんなには見せられなかったんだけど。
雅美 読んだの?
真理 うん。‥‥ざっとはね。
雅美 見せて。
雅美、封筒から手紙を出して、読む。
雅美 おじさん、真理ちゃん、雅美ちゃんへ。
勝手なことをしてごめんなさい。みんなに迷惑をかけてしまって、本当にごめんなさい。
私は、つらくて死ぬのではないのです。世の中が嫌になって死ぬのではないのです。みんなが嫌いで死ぬのではないのです。
おかしな言い方になりますが、私はとても幸せなのです。十九年間生きてきて、たぶん今が一番幸せです。
だから、逆に恐いのです。こんな幸せがいつまでも続くはずはない。そんな風に思えるんです。頭の中では、そんなことはないと打ち消しますが、私の体が、私のこれまでの人生が、そんな風に思わせるのです。私なんかが幸せなんかになれるはずがないって、そう思わせるのです。
だから、この幸せの瞬間を、そのまま切り取って、冷凍保存しておきたくなりました。
だから、私は、幸せすぎて死ぬのです。決して悲しんだりしないで下さい。みんなのことだから、この私のちょっとおかしな感覚も受け入れてもらえるんじゃないかと思っています。
では、お先に遠くへ行きます。
おじさん、真理ちゃん、雅美ちゃん。みんな、みんな、ありがとう。みんな、みんな、大好きです。
真理 ‥‥‥。
しばしの沈黙。
雅美 ‥‥‥。そっかあ。
真理 ‥‥うん。
雅美 ‥‥幸せすぎると、死んじゃうんだ。
真理 ‥‥うん。
雅美 ‥‥不思議だねぇ。
真理 ‥‥不思議だね。
雅美 ‥‥でも、わかる気もするね。
真理 ‥‥うん、わかる気もする。
しばしの沈黙。
真理 ‥‥洋子だけじゃなくてさ。
雅美 うん?
真理 あたしたち、貧乏性なんだよ、きっと。
雅美 え? 貧乏性?
真理 幸せに対する貧乏性。
雅美 ‥‥ああ‥‥そうかもね。
真理 うん。‥‥きっと、そうだよ。
雅美 幸せの貧乏性かあ‥‥。
真理 ‥‥‥。
しばしの沈黙。
真理 さ、そろそろ行かないと。
雅美 そうだね。
真理 おまわりさんが来ちゃうよ。
雅美 そうだ。そうだ。
真理 さあ、こうしちゃいられねぇ。急いで、急いで。
雅美 あ。
真理 何?
雅美 この手紙、警察に渡した方がよくなくない?
真理 ‥‥ああ‥‥そだね。
雅美 裁判にも役に立つよ、きっと。
真理 うん。
雅美 どうしよう?
真理 でも、警察が来るのを待つわけにもいかないし‥‥そうだ、後で郵便で送ろうよ。
雅美 ああ‥‥それはグッドアイデア!
真理 でしょ?
二人、荷物をまとめる。
雅美 あ。
真理 何?
雅美 こんなのが出てきた。
雅美が、フラワーロックを取り出す。
真理 ああ、それ‥‥ええっと。
雅美 ダンシングフラワー。
真理 あ、そうそうダンシングフラワー。
雅美 バーカ。フラワーロックだよ。
真理 ええ? どっちでもいいじゃん。‥‥それ、どうしたの?
雅美 おじさんにもらった。
真理 へぇ。
雅美 まだ動くかな?
あー。あー。
フラワーロックが踊る。
雅美 わあ、動いた、動いた。
真理 すごい、すごい。あたしにもやらせて。
あー。あー。あー。
フラワーロックが踊る。
雅美 真理ちゃん、そんなことやってる場合じゃないよ!
真理 ああ、そうだ。‥‥って、何よ、自分から始めたくせに。
雅美 (フラワーロックに)じゃあ、お前さんを代わりに連れて行ってやるよ。(と、カバンにしまう)
真理 え? 何の代わり?
雅美 おじさんの。
真理 あ、そっか。
間。
真理 準備、オッケー?
雅美 オッケー。
真理 じゃ、行こうか?
雅美 行こう、行こう。‥‥でも、どこに行くの?
真理 うーん、風の吹くまま、気の向くまま。
雅美 そだね。
二人、歩き出す。
雅美 あ。
真理 何?
雅美 そうだ。インドに行こう。
真理 え? インド?
雅美 ほら、洋子が言ってたじゃん?
真理 ああ、そうだね。
雅美 だから、おじさんが無事シャバに戻ったら‥‥。
真理 いいね。‥‥その時は、洋子も一緒だね。
雅美 モチのロン!
真理 さあ、行こう! インド、インド。
雅美 インド、インド。
真理 インド、インド。
雅美 インド、インド。
二人去る。
暗転。
おわり