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2024/10/16 応援行為としてのブーイングが敗北した瞬間
先週末からクライマックスシリーズが始まりました。なんやかんやポストシーズンは盛り上がるものですね。
私はもっぱらパ・リーグびいきなので、この度のファーストステージも、日本ハム対ロッテ戦の方を追い掛けていたのですが、応援の視点においても、一つ大きな転換点に立ち会えたような気がしたので、今回はそのことについて書き残したいと思います。
牽制ブーイングを割れんばかりの拍手がかき消す
今年のパ・リーグのクライマックスシリーズファーストステージは、1勝1敗で第3戦までもつれ込む展開に。勝てば日本一への挑戦状を手にできる一方、負ければシーズン終了という大事な一戦は、6回まで終わって同点と、まさに両者譲らぬ試合運びを見せます。
7回表のロッテの攻撃、藤原がヒットを打ちランナーに出ると、ロッテ側応援スタンドからは、ファンの数では少ないながらも自分たちの空気を作り上げようと、お得意のリードを煽る声掛けがなされ、牽制球に対してはブーイング。
普段ならば、またやってるよロッテファン柄が悪いなあ、と遠巻きに見られてそれで終わりになりそうなところですが、この場面における牽制ブーイングは、結果として、相手の日本ハムファンの応援スイッチを入れるきっかけとなりました。
ロッテファンの牽制ブーイングに対して、球場いっぱいに集う日本ハムファンが拍手を送ったのです。すなわち、ロッテの攻撃中であるにもかかわらず、ロッテファンの応援がかき消され、日本ハムファンが守備陣を盛り立てるという構図が出来上がりました。
結果として、球場の大拍手を背にして日本ハムの投手河野が後続を断ち切って無失点に抑えたこともあり、この場面は、スポーツ新聞各社の記事でも取り上げられることとなりました。
【日本ハム】日本ハムファンがロッテファンのブーイングを拍手でかき消す!大一番で団結
<パ・CSファーストステージ:日本ハム-ロッテ>◇第3戦◇14日◇エスコンフィールド
ロッテファンのブーイングを日本ハムファンが拍手でかき消した。
2-2の7回1死一塁、日本ハム3番手河野が一走藤原に対してけん制球を送ると、左翼上部の席へ詰めかけたロッテファンからはブーイング。2度目のけん制球で再びブーイングが発生すると、本拠地エスコンフィールドの日本ハムファンが、ブーイングをかき消すように大きな拍手を送った。
さらに日本ハムファンは河野が荻野を追い込むと、再び大きな拍手。日本ハムファンの間では、3ボールになると投手に拍手を送るのが慣例だが、大一番でより一層強い団結を見せた。
さらに試合はその直後、日本ハム打線がロッテ投手陣を攻め立て、球場は一気に日本ハムの応援ムード一色に。勝ち越し点を奪ってこの試合に勝利した日本ハムは、ファイナルシリーズへと駒を進めることになりました。
あくまでプレーをしているのはグラウンドに立つ選手であり、応援そのものが試合の勝敗を直接左右する要因になるとは思いませんが、それにしてもあまりに出来すぎた展開と言いますか、球場の空気を作り上げたことも含めて考えると、大きなターニングポイントになったのではないかと思います。
ブーイングも拍手も応援行為としての根本は変わらない
さて、以前から野球ファンの間では様々物議を醸しており、今回も槍玉にあげられてしまった牽制ブーイングですが、個人的には、自ら積極的に加勢しようとは思わないものの、これもまたロッテ独特の応援スタイルの一つであることは、認めるべきと考えます。
当然、大前提として野球はスポーツであり、相手チームがなくては成り立たないものですから、過度に相手を貶めるようなやり方が応援たり得るのか、という意見があるのは理解できます。選手を傷つけるだけのようなヤジや誹謗中傷は、もはや応援とは言えません。
ただし、応援行為というのは、結局は自分が応援するチームに勝ってほしいという思いから、あらゆる手段を尽くして、自分たちの空気を作り上げていくものです。ブーイングが品の良い行いだとは私も思いませんが、仮にそれで相手の選手にプレッシャーをかけることができて、自軍が優位に立てるのならば、それは、立派な応援行為の一種だと思うのです。
むしろ、相手へのリスペクト云々で行為の優劣をつけようというのならば、先の日刊スポーツの記事内でも紹介されていますが、守備中にカウントがスリーボールになった時に発生する拍手だって、私から見れば、本質的にはブーイングと大差ないように思えます。
表面上は、ブーイングが相手選手に対するネガティブな働きかけであるのに対し、拍手は自選手に対する励ましになります。ですので、私の所見に対して、相手を貶めるわけでもなく自分のチームの選手を応援しているだけなのに何が悪いんだ、と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
ところで、日本における野球の応援というのは、古くから、攻撃中のチームが応援するものと相場が決まっています。応援歌も、打席に立つ選手に対して歌うものであり、マウンドに登る投手が相手の打者と相対している最中、投手に対して応援歌を歌うことはまずありません。
履き違えられてはいけないのですが、かといって守備中に一言も声を発してはいけないのかと言えば、そうでもありません。ピッチャーがストライクを取ったとき、相手打者を打ち取ったときなど、良いプレーに対して声掛けなり拍手なりすることは、応援する上で自然な振る舞いです。
とはいえ、基本的に応援行為は、攻撃側に対して行われるもの。どうしてこんな文化になったのか、あまり突き止めて考えたことはありませんし、今回の話の本筋からも逸れてしまうので、そのことの是非は置いておくとして、日本で野球を応援するというのは、そういう習わしあってのものなのです。
以上を踏まえて考えたときに、スリーボールになったときに拍手を送るというのは、少なくとも、従来の日本の野球の応援文化からは外れたものではないかと考えます。
相手チームが応援中であって、守備側が特段良いプレーを見せたわけでもないのに、ただ自分の応援する選手ががんばってほしいからと拍手を送るのは、リスペクト論で評価するならば、場をわきまえた行為とは言えず、相手チームへのリスペクトを欠いたものと指摘できないでしょうか。
もっとも、応援行為というものを相手に対するリスペクトの有無で論じようとすること自体、ナンセンスな話です。先ほど申し上げたとおり、私が考える応援行為というのは、手を変え品を変え、あらゆる手段を使って、自分の応援するチームを勝利へ導こうという思いから生まれる振る舞いだと考えます。
ですから、自軍の守備中に味方選手が特に良いプレーをしたわけでないけれど、苦しい展開だから励ますために、ひいては相手チームの応援に対抗するために、なりふり構わず拍手を送る。これもまた、立派な応援行為と言うほかありません。
ただ、その根源にあるのは、相手チームを差し置いてでも自分の応援するチームに勝ってほしいという気持ちにほかならないと私は考えます。この点、ブーイングも拍手も、本質的には変わらないものであり、表面的な見え方だけを取って、ブーイングは悪、拍手は善、とするような風潮には、異を唱えたいです。
応援行為としてのブーイングが敗北した瞬間
ここでようやく、本記事のタイトル回収となるわけですが、ブーイングも拍手も、それぞれ一つの応援行為として認められるという前提に立った上で、件の試合を改めて振り返ったときに私が感じたこと。
それは、応援行為としてのブーイングが、あの瞬間は純粋に相手の応援に負けていた、ということです。
ロッテの応援というのは、一から十まで応援団が攻撃中全ての場面でリードしているかというと必ずしもそうではなく、ファンの自然発生的な声援に身を任せる瞬間が存在します。
屁理屈に聞こえるかもしれませんが、牽制ブーイングというのも、最初からブーイングすることを目的としたものでなければ、応援団自ら積極的にブーイングを促しているわけでもありません。
今回のケースで言えば、牽制ブーイングの前段として、俊足の藤原が塁に出たことで、リードを取っている際の声掛けがありますが、これは、別に応援団が直接的に扇動して発生するものではありません。あの場面も、ファンが誰からともなくリードを煽る声を上げ始め、それが自然に伝播していきました。そして、牽制をもらうと、いつもの如くブーイングをかますファンがいました。
一方、ロッテファンの気性として、ランナーが牽制をもらえばブーイングすることは、応援団も重々承知しているものと思われます。そして、ロッテファンも応援団のリードを無視してまで好き勝手応援するわけではないので、仮に応援団がコールなり応援歌なりのリードを始めれば、たちまち指示に従います。
この視点で考えた時、ロッテ応援団は、牽制ブーイングを直接リードする立場ではない一方、牽制ブーイングを止める術自体は持っている立場にあるとは言えます。
転じてあの場面、ロッテとしては、日本ハムに追い付かれた後なかなかランナーも出せず、球場も徐々にホーム特有の劇的な展開を期待する雰囲気に包まれ、重苦しさを感じていた中で、久々に出たランナー。
これをきっかけに球場の空気をロッテ側に持ってくるには、応援団がリードして応援を展開するよりも、ヒール役を演じ切る覚悟で、ロッテファン一人一人が自ら発する声の力に賭けたのではないか、と想像します。
そしてこの判断が、日本ハムファンの大拍手を誘引し、球場の空気は日本ハム一色に。結果的に、ロッテ応援団とロッテファンが選択した賭けは敗れてしまった、ということだと思います。
そもそもが、リーグ上位に立ったチームのホームアドバンデージとして、球場にいるファンの絶対数が違うわけですから、ビジターチームが普通に応援していたのでは、ホームチームの圧倒的な応援にのみ込まれてしまいます。それに抗うべく、ファン各々が思い思いに出す声の力を信じようという根拠に基づく応援団の判断は、誰にも責められるものではありません。
ですが現実は、ブーイングをかき消す拍手で球場を支配された挙句、試合にも敗れてしまいました。プレーをしているのは選手たちですが、応援団及びファンの視点でこの試合の反省点を探るに当たり、応援勝負で純粋に負けてしまったという事実から目をそらすわけにはいかないでしょう。
逆に、拍手によって選手を勇気づけることに成功した日本ハムファンの視点で、声量で劣らないロッテの応援にも屈することなく、自分たちの応援で球場の空気を作り上げたことは、誇りと感じるに不足ない出来事でしょう。
ただしそれは、ブーイングが応援行為として卑劣であり、拍手が応援行為として高潔だから、というものではないことにも思いを馳せていただきたいです。どちらもれっきとした応援行為であり、その応援がぶつかり合った結果、この試合では純粋に日本ハムファンの応援がロッテファンの応援を上回った。それ以上でもそれ以下でもないと私は思います。
同じ轍を踏まぬよう応援方法を再考するきっかけとできるか
最後に、応援団の関係者でも何でもない私が提言するのもおこがましいことこの上ないですが、この一件をもって私が期待したいのは、ブーイングに変わる応援方法を再考することです。
これもまた、ブーイングが応援行為にふさわしくないという世の風潮に屈するわけでは断じてありません。ブーイングも立派な応援行為の一つであることを認めた上で、それでも、このままブーイングを続けることで、かえって相手チームを利する結果になりかねないが故、応援で優位に立つために変化すべき時が来たのではないかと考えます。
少なくとも、ロッテの牽制ブーイングに関しては、拍手で応酬するという対抗策が世に広まったことで、今後、日本ハムに限らず、他チームも追随する可能性があります。
相手チームを盛り上げかねない危険性をはらんでいるとわかっていながら、牽制ブーイングという応援方法に拘泥し続ける理由は、正直思い浮かばず、すなわち、牽制ブーイングはもはや応援行為として有用な手段ではなくなった、と評さざるを得ません。
先に述べたように、応援団のリード次第で、牽制ブーイングを防ぐことはできなくもありませんが、何せ数十年とロッテの応援スタンドの間で根付いてしまった風習です。これを変えていくには、ランナーが出たときの新しい応援スタイルでも編み出して、それを応援団主導で積極的に発信していく姿勢が必要でないかと思います。
また、応援行為として恒常的にブーイングを用いている球団というのは、正直ロッテくらいしか思い浮かばないところではありますが、もう少し場面を限定すると、例えばFA移籍した選手に対して、移籍元のチームのファンがブーイングするなんて光景も時折見られます。
私の立場としては、再三申し上げているとおり、ブーイングそのものは応援行為として立派に認められるべきものだとは思いますが、その一方で本件のように、ブーイングがきっかけとなって、応援の手痛いしっぺ返しを食らうことがあることがおわかりいただけたのではないかと思います。
応援というのは、あくまで自分の応援するチームが勝ってほしいから行うもの。そのことを念頭に、つい感情的にブーイングしたくなったときも、それが本当に自軍を優位に立たせる声掛けとなるのか、意識するきっかけとなれば幸いです。
ちなみに、このクライマックスシリーズファーストステージを両軍の応援に着眼してみた時、日本ハムが負けたら終わりの第2戦、2点ビハインドと劣勢で迎えた7回の攻撃から発動した、イニング先頭打者からのチャンステーマ攻勢も、球場の空気を変えるのに大きな役割を果たしたと思います。
第3戦では、東京ドーム限定チャンステーマも発動しました。日本ハムが本拠地をエスコンフィールドに移して以来、主催試合はすべてエスコン開催となっており、歌える機会は減っているはずですが、そこはさすが日本ハムの球団歌。突然の発動にも、他のチャンステーマと遜色ない声量でしたね。