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2024/10/30 選手が声を上げれば応援行為は止められるのか

最近時事ネタ率が高めですが、本件もまた、スルーしてよい話題とはあまり思えず、筆を執っている次第です。
日本シリーズにしろワールドシリーズにしろ、魅力的な試合が展開されているのに、そっちのけで何やっているんでしょうね。


事のあらすじと私の感想

はじめに、今回の記事で取り上げたい出来事について、経緯を紹介いたしましょう。
先週から始まった日本シリーズ、昨日はその第3戦が福岡で開催されました。ここまでパ・リーグ王者のソフトバンクが2連勝しており、セ・リーグのクライマックスシリーズを勝ち上がってきたDeNAとすれば流れを引き戻したい試合は、中盤にDeNAがリードを奪う形で進んでいきます。

問題の場面は、6回裏のソフトバンクの攻撃中。実はこの時、私はリアルタイムで中継を見ていなかったので、各報道記事や、現地の方が撮影されていた動画を中心に、記述させていただきます。
ワンアウトでランナー一塁、打席には6番打者の今宮、カウントはツーストライクのところで、DeNAの先発投手である東が、球審に対して何やらアピール。すると、「試合進行の妨げとなりますような行為は、御遠慮いただきますよう、御協力をお願いいたします」とのアナウンスが球場内に流れます。
この妨害行為が具体的に何を指しているのか、球場内の観客もおそらく瞬時に理解することは難しかったのではないでしょうか。何事もなくプレーが再開されたように見えたのですが、マウンド上の東は再び球審にアピール。今度は、「投手が投げる間際の口笛などは、御遠慮いただきますようお願いいたします」とアナウンスされ、東が主張していた内容がより明確に伝わりました。

【DeNA】東克樹が主審に異例の要望 “指笛やめて”のちピンチ脱出
◆SMBC日本シリーズ2024第3戦 ソフトバンク―DeNA(29日・みずほペイペイドーム福岡)
 DeNAの東克樹投手が、マウンドで異例の要望を行った。2点リードの6回1死一塁、カウント2ストライク。主審を呼んで訴えた。ネット裏からの指笛応援をやめるよう要望したとみられ、その旨、主審がマイクで呼びかけた。再開後に今宮に安打を許したが無失点で切り抜けた。
 6回まで9安打を許しながら1失点。左太もも裏の肉離れから復帰したエースが、万全の状態ではない中、気迫の投球を見せた。

スポーツ報知、2024年10月29日

その後、試合自体はつつがなく進行し、最終的にはDeNAが勝利。先発の東が7回1失点の好投を見せ、大きく貢献しました。
その東選手が試合後、件の場面についてコメント。報道陣に対して、大きく取り上げてほしいと伝えたそうで、私が最初に目にしたのは、スポニチが発信した以下の内容。

【スポニチ超速報】東投手、指笛について。「これはマスコミの皆さんにぜひ書いてもらいたい。人生かけて投げている。意図的に投げるときに指笛するのはやめてもらいたい」※ハマスタは指笛禁止です。

スポニチDeNA担当2024、@SpBaystars、2024年10月29日午後10時47分

それから間もなく、東選手自身が本件に関して自ら発信しています。内容は以下のとおり。別件の内容は、今回の本筋とは関係ないのでノーコメントで。

炎上覚悟で言います。
指笛の件なんですが、禁止されていないのでやってもらって構わないんですが、ただ投球モーションに入ったタイミングで指笛をやるのはやめてください。という話です

あ、ちなみに別件ですが宮城大弥投手はめちゃくちゃ参考にさせていただいてます!
スーパーピッチャーですから!

東 克樹、@DeNA11AZUMA、2024年10月29日午後11時17分

選手本人がこのような声を上げたことに対して、世間一般では、概ね好意的に取られているようです。それは、マスコミ各社の報道にもよるところですが、本件の指笛を「妨害行為」と称して記事にしているものが多いことも、大きく起因しているのではないかと思います。
球場内のアナウンスの流れから言っても、はじめに、試合進行の妨げとなる行為を慎むよう注意があった後、ほとんど間を置かずに、口笛等の行為を慎むよう注意があったので、ここをイコールで結びつけたくなるのは、まあわからないでもありません。
グラウンド上でプレーをしているのは選手たちなのであり、彼らにとって文字通り生活がかかっている舞台なのだから、客席で見ているファンが、選手のプレーをあからさまに妨害することなどあってはならない。この理屈に関しては、私も全くの同意見です。例えば、レーザーポインターを向けるだとかカメラのフラッシュをたくだとか、こういうのは許されざる行為に該当しますね。

ただし翻って、本件の指笛は、明白な妨害行為と言えるのかどうか。これについては、いくら当事者である一方の選手がそのように主張しているといえども、もっと慎重に、応援行為と妨害行為の線引きはどの間でなされるのかを考慮すべきであると私は考えます。
そして、本件に対する私の感想を率直に申し上げると、東選手の主張からは、選手自身のパフォーマンスに影響が出ることだけを理由にして相手チームの応援行為を制限しようという解釈が成り立ちかねず、飛躍すると、自軍敵軍問わず、ファンが球場で応援する自由を奪われかねない危険な論理である、と指摘せざるを得ません。
以下、私がそのように考えるポイントについて、掘り下げて説明していきたいと思います。

応援行為と妨害行為の違いはどこにあるのか

本件に関する捉え方の一つとして、実際にグラウンドに立つ選手が自ら、指笛に対して否定的な声明を出している以上、指笛は妨害行為に該当する、と信じてやまない方もおられることと存じます。
ですが、一方の選手の言い分のみを取り上げて、指笛が明白な妨害行為と断じてしまうのは、私としては、アンフェアでないかと思うのです。指笛をやられた側にあたる東選手の立場から、人生がかかっているといっても過言ではないマウンド上でベストなパフォーマンスを発揮できるよう、自身の意見を表明する機会自体は、確保されて然るべきですが、だからと言って、東選手の言い分のみを無条件に外野が持て囃してしまうのでは、言ったもの勝ちになってしまいます。

応援行為とは何なのか

ちなみに私はつい最近、相手投手が牽制した際に発生するブーイングと、それに対抗すべく沸き起こった拍手を題材にして、応援行為が何たるかについて考えた記事を書きました。

この記事の中で、私なりの応援行為の定義づけとして、以下のとおり説明しました。少し長くなりますが、引用いたします。

ブーイングも拍手も応援行為としての根本は変わらない
さて、以前から野球ファンの間では様々物議を醸しており、今回も槍玉にあげられてしまった牽制ブーイングですが、個人的には、自ら積極的に加勢しようとは思わないものの、これもまたロッテ独特の応援スタイルの一つであることは、認めるべきと考えます。
当然、大前提として野球はスポーツであり、相手チームがなくては成り立たないものですから、過度に相手を貶めるようなやり方が応援たり得るのか、という意見があるのは理解できます。選手を傷つけるだけのようなヤジや誹謗中傷は、もはや応援とは言えません。
ただし、応援行為というのは、結局は自分が応援するチームに勝ってほしいという思いから、あらゆる手段を尽くして、自分たちの空気を作り上げていくものです。ブーイングが品の良い行いだとは私も思いませんが、仮にそれで相手の選手にプレッシャーをかけることができて、自軍が優位に立てるのならば、それは、立派な応援行為の一種だと思うのです。

(中略)

もっとも、応援行為というものを相手に対するリスペクトの有無で論じようとすること自体、ナンセンスな話です。先ほど申し上げたとおり、私が考える応援行為というのは、手を変え品を変え、あらゆる手段を使って、自分の応援するチームを勝利へ導こうという思いから生まれる振る舞いだと考えます。
ですから、自軍の守備中に味方選手が特に良いプレーをしたわけでないけれど、苦しい展開だから励ますために、ひいては相手チームの応援に対抗するために、なりふり構わず拍手を送る。これもまた、立派な応援行為と言うほかありません。

要するに、応援行為というのは、球場内を自分が勝ってほしいチーム寄りの雰囲気に染め上げること。私としては、これ以上でもこれ以下でもないと思っていて、そのためであれば、相手チームにプレッシャーをかける行為もまた、立派な応援行為の一つとして認めるべきと考えます。
先の記事の中では取り上げませんでしたが、他に賛否両論湧き上がる行為として取り沙汰されがちな、あと一人コールなんかも、マナー云々や好き嫌いを抜きにすれば、応援行為と言うほかありません。最近の日本プロ野球界では淘汰されてしまったアウトコールだって、応援しているチームがアウトを取ったときに盛り上げるという側面に着目すれば、これまた応援行為の一種と言えるでしょう。

ところで、こういう問題こそ、自分の感覚のみに頼らず、客観的にはどのように定義づけるのが妥当なのか、という視点も必要かもしれません。というわけで、手持ちの辞書で「応援」という語句を引いてみます。

1 力を添えて助けること。加勢。「資金を出して―する」「―演説」
2 (競技で)拍手をし声をかけて、味方やひいきの選手をはげますこと。「―歌」「―団」

西尾実・岩淵悦太郎・水谷静夫編『岩波国語辞典』第6版、岩波書店

野球はスポーツですから、本来的には2の意味で「応援」という言葉が用いられるべきであり、そうなってくると、先の例で言う牽制ブーイングなんかは、味方に対してでなく相手に対する働きかけなので純粋な応援たり得ない、という考え方も出てくるかもしれません。
ですが、私の認識としての野球の応援というのは、歴史的にひも解くと、相手チームや相手選手に対するヤジなども包摂したものと見ています。そのことに対する良し悪しについては、また様々感想を抱かれるでしょうが、昔の野球場に民度など求めるほうがよっぽどお門違いだと私は思います。
なぜ昔の観客は平気でヤジを飛ばせたのか。現実的には、ファン自身の単なる憂さ晴らしという側面も否めないでしょうが、決してそれだけでなく、味方のチームに対する愛が有り余って、と捉えることだってできるでしょう。この考え方に立てば、野球の応援行為というのは、広義では1にも当てはまるものとも言えそうです。

妨害行為とは何なのか

ここまで応援行為にばかりフォーカスを当ててきましたが、一方の妨害行為についても考えてみましょう。こちらも同様に、まずは辞書で「妨害」を引いてみることとします。

(わきから)じゃますること。「安眠―」「営業―」

西尾実・岩淵悦太郎・水谷静夫編『岩波国語辞典』第6版、岩波書店

極めてシンプルな定義ですが、これだけだと解像度が低く、もう少し日本のプロ野球に落とし込む必要があります。
NPBが定める「試合観戦契約約款」の中には、禁止行為が定められており、この中に、グラウンド内の選手に対する妨害行為が、具体的に列挙されています。以下、関係する条文を抜粋して引用。

第8条 (禁止行為)
 何人も、以下の行為を行ってはならない。
(略)
(3) フラッシュ、光線、その他これらに類するものを使用した試合妨害の虞のある行為
(略)
(6) 他の観客及び監督、コーチ、選手、主催者及びその職員等、販売店その他の球場関係者への威嚇、作為又は不作為の強要、暴力、誹謗中傷その他の迷惑を及ぼす行為
(略)
(8) グラウンドへの乱入、客席、コンコース、グラウンド等への物品の投げ入れ、フェンス、ダグアウト、柵、手すり、ネット等へのよじ登り又はぶら下がり行為、グラウンド内に身を乗り出す行為、その他自己又は他人の生命、身体、財産に危険を及ぼす虞のある行為
(9) グラウンド、バックスクリーンその他の立入禁止場所への立入行為
(10) 宴会、パーティ、賭博、麻雀、その他試合観戦にふさわしくない行為
(11) みだりに球場外で気勢を上げ騒音を出す行為
(12) 球場管理者の定める球場管理に関する規則又は球場での掲示その他の方法で告知された注意事項に違反する行為
(13) 試合の円滑な進行又は他の観客の観戦を妨げ又は妨げる虞のある行為
(以下略)

試合観戦契約約款

例えば、本記事で先述したような、選手に対してレーザーポインターを向けたりフラッシュをたいたりするのは、試合観戦契約約款第8条第1項第3号に該当し、明白な妨害行為にあたると言えるわけですね。
また、昔であれば球場内にヤジが飛び交う光景は日常的だったかもしれませんが、今のこの御時世、人格否定など度を過ぎた声掛けを行おうものなら、第6号「選手への誹謗中傷」に該当します。これまたれっきとした妨害行為とみなされるでしょう。
ブーイングは…その局面に対して不平不満の声を上げている状態を指すものだと思うのですが、捉え方によっては、第6号「選手への威嚇」とみなされるかもしれませんね。約款上アウトと断じられてしまうと、反論は苦しいものとなりそう。

指笛は応援行為なのか妨害行為なのか

回りくどくなってしまうのは私の文章力のなさによるところで申し訳なく思うのですが、ここでようやく本題に戻ります。
それでは、今回論点となっている指笛は、明白な妨害行為と言えるものなのだろうか。ここまでの判断材料をそろえてみると、やられた選手が声を上げたからと言って、無条件に妨害行為と断定してしまうのは、幾分浅はかだと思えてきませんか。

まず、東選手本人の主張の中にもありますが、少なくとも、今回問題が起こった試合の舞台であるみずほPayPayドームでは、指笛は禁止事項として指定されていませんでした。
このグラウンドルールも、今回の問題の整理上なかなか厄介なところでして、横浜スタジアムでは指笛が禁止されている等、球場によって扱いがまちまちです。仮に横浜スタジアムで指笛を吹こうものなら、約款第8条第1項第12号「球場管理者の定める球場管理に関する規則又は球場での掲示その他の方法で告知された注意事項に違反する行為」に当たることを根拠として、指笛禁止の主張が成立します。
ただし、第12号に関して言えば、妨害行為かどうかというよりも、スタジアムルールの問題の範疇内でないかと私は思います。言い換えると、妨害行為というのは概して、球場の条件に問わず線引きされるべきものであって、球場によっては第12号が適用されるのだから妨害行為に該当する、という論理は、拡大解釈なのではないかと思うわけです。

みずほPayPayドームのルール上、指笛が禁止されていないことは、東選手も認識の上で、投球モーションに入った際に指笛を吹くのをやめてほしい、というのが、主張の本旨でした。
この主張と、約款を照らし合わせると、第6号で言う「他の選手へのその他迷惑行為」か、第13号で言う「試合の円滑な進行を妨げ又は妨げる虞のある行為」であれば、妨害行為に該当する根拠になり得る可能性はあります。
ただし、ここで挙げた各号の文言の中に、具体的に指笛が含まれているわけではありません。書いてなければ何をやってもよしとする思想は逆の方向で危険であり、私もそこまで主張したいわけではありませんが、少なくとも、指笛が妨害行為に当たるのかそうでないのか、解釈の余地が多分にあるグレーゾーンに含まれる、という考え方はそこまで的外れなものでしょうか。

改めて話を戻しますと、私が考える応援行為というのは、あらゆる手段を尽くし、時に相手チームや相手選手に対して圧をかけてでも、球場の空気を自分たちのものにしようとする働きかけです。
仮に、今回問題の場面で指笛を吹いたのがDeNAファンであるならば、東選手にとって何らプラスに働いていなかったということで、今後は自粛していただきたい、と話が収まりますが、前後関係や試合展開から言って、あの場面で指笛を吹いたのは、ソフトバンクファンである可能性が高いと思います。
その前提に立って、ソフトバンクの攻撃中の雰囲気を盛り上げるべく、指笛を吹いていたファンが球場内に存在しており、ピッチャーがモーションに入るタイミングで指笛が一層大きくなった、という構図を切り取ってみると、応援の風景を説明するものとしては特段不自然に感じないのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

今回の問題で意見を表明しているのは、やられた側の東選手なので、その側の味方に立とうとする声が大きくなってしまうのはやむを得ないところもあると思うのですが、その一方で、ソフトバンクの選手視点や、応援するソフトバンクファン側の視点が、あまりに欠落しているような気がしてなりません。
球場内に口笛等を禁じるようアナウンスがあった後も、東投手に対して指笛を行っていた観客が存在していたことに対し、理解ができないという意見も目にしました。確かに、この試合のこの局面においては、審判団は指笛を妨害行為と認めて注意喚起のアナウンスを球場内に流したわけですから、到底褒められた行為とは言えませんが、それが全く理解できないとまで断じられるものなのかというと…。ソフトバンクを応援したいという根底にある思いに、球場独特の空気感も相まって、指笛が妨害行為に当たるのか、いくらアナウンスが流れたからと言って簡単には納得しかねるというファン心理は、ありえなくもないだろうと私は感じます。

なお、今回の指笛を問題視する論拠の一つとして、指笛がスパイ行為の常套手段であるという主張も見かけられます。
これに関しては、過去NPBにおいても別途コミッショナーから、スパイ行為の禁止に関する通達がなされるといった歴史もあり、許されざる行為の一つです。このことを理由にして、指笛の禁止を主張するのであれば、私としても理解に及ぶところです。
ですが、東選手が発信した内容からは、スパイ行為と絡めてではなく、あくまで選手自身のパフォーマンスに影響することを理由に指笛禁止を訴えているものとしか読み取れませんでした。この発信内容では、残念ながら、指笛のみならず応援行為全般にまで影響が及びかねないと私は感じたため、こうして長々とお気持ち表明している次第です。

選手は相手チームの応援行為に口を出せるのか

自軍の応援行為に口を出した事例

さて、現場サイドからの応援行為に対する物言いという論点においても、これまたつい最近、気合を入れろコールを題材にして、記事を書いたことがありました。

この時は、日本ハム応援団が試合中に行ったコールの内容に対して、新庄監督が注文をつけたものでした。
私としては内心思うところがありつつ、時代の流れとして、応援のあり方が変わっていくのだろうなあという未来予想図を描きました。以下、記事の内容を引用。

プロ野球の応援もアマチュア化していくのだろうか

(中略)

これまで書いてきたことを今一度振り返りますと、まず、私の見立てとして、選手のパフォーマンスに影響を及ぼすような応援を強行することはないと予想します。そして、新庄監督のコメントによると、今のプロ野球選手のマインドは、ファンが(勝手に)思っていた以上に、アマチュア寄りです。
以上を総合すると、プロ野球の応援も、次第にアマチュア野球の応援に寄せていく形になるのではないか。これが、本件を通じて私が感じた未来予想図です。
ファンも選手と同じ方向を見て、勝利に向けて一体感のある空気を作り上げていこう。チームが負けている時だって、選手はみんな一生懸命がんばっているのだから、ファンは後押しする声をかけてあげよう。
そんなハートフルな応援席というのも、まあ素敵な雰囲気になるのでしょう。老若男女問わず、安心して球場に足を運べるようになるのでしょう。

個人的には、好き勝手声を出せていた自由な雰囲気の応援席が名残惜しくも感じますが、球場で応援ができなくなるよりかはよっぽどマシなので、仮にそのような変化が起こったとして、諸手を上げて大歓迎とまでは言いませんが、全否定するつもりもありません。ただ、客観視すると、私の感覚はもはやマイノリティであって、許されざる時代になることを、今から覚悟しておいたほうがよいのでしょう。
逆に、こうした変化に対して肯定的な方におかれましても、引き換えにして失われつつあるものがあるということは、良し悪しは別として、心に留めていただきたい。私が今回この記事を長々と書いて、最終的に伝えたいことは、ここに行き着くのだと思いました。

現場の人間が、自分のチームの応援行為に対してだけに口出しをしている分には、応援行為そのものが否定されていない限り、私としても、許容しなければならないラインだと考えます。むしろ、選手にとってよりよい応援行為とは何なのかを考え直す契機にもなり得るでしょう。

敵軍の応援行為に口を出す意味合い

一方、今回の経緯を振り返ってみた時、指笛を吹いた観客がどちらのチームを応援していたのか断定はできませんし、指笛が応援行為なのか妨害行為なのかという論点も、ここまで散々書いてきたとおり、揺らぎがあるところです。
ただ、様々な解釈ができる中の一つとして、DeNAの東選手が、自身のパフォーマンスに影響があることを理由に、相手チームであるソフトバンクファンの応援行為について口を出した、と捉えることも不可能ではないと思います。
こうした構図に当てはめると、新庄監督が自軍の応援団に注文をつけたのとは、全く別次元での問題が生じる恐れがあると私は考えます。

例えば、今回槍玉に上がったのは指笛でしたが、それを、投球モーションに入る際にプレッシャーをかける声掛けに置き換えてみるとしましょう。ある球団の投手が、人生をかけてマウンドに立っているのだから、投げるときに意図的に煽るような声掛けをするのはやめてほしい、と主張したとしたら…。
あるいは、応援歌に置き換えてみましょうか。自分は投げるのが仕事であり、その最中に応援歌を演奏されるのはすごく気になるので、自分が投げるときに応援歌を演奏するのはやめてほしい、と主張されたならば…。

論理がめちゃくちゃに飛躍していることは百も承知です。そんな荒唐無稽な仮定など意味があるのか、と思われる方もいるかもしれません。
ですが、選手からしてみれば、それこそ人生がかかっているのですから、自分のパフォーマンスのためであれば、相手側の応援など排除してしまいたいという思考に至ったとしても、そこまで不思議な事とは思えません。
そして、世の中には、私みたいに応援歌や応援文化全般が好きな人間ばかりでなく、鳴り物応援全般に否定的な反応を示される方も一定数存在します。そういう人からしてみたら、まさに我が意を得たり。選手ファーストでこの際応援行為など止めてしまおう、という風潮が形成されてもおかしくありません。

応援の自由が奪われかねない危険性

東選手の主張に潜んでいる危険性というのは、このことです。指笛が応援行為なのか妨害行為なのかもうやむやなまま、解釈によっては相手チームの応援行為を止めてほしいとも読み取れかねない主張をされるのは、応援歌が好きな私としては、到底容認できるものではありません。

何も、東選手が声を上げたこと自体に異を唱えたいわけではありません。先にも申し上げたとおり、自分の思いを口にすることそのものの自由は担保されるべきです。
今回の東選手の主張は、試合終了直後に発信されたものです。選手の立場で発言することの影響力の大きさは最低限自覚してほしいとは思いますが、試合にも勝って興奮冷めやらぬ中、常にあらゆる方面に配慮して発言することは難しいだろうというのは、心中察するところです。

ですが、私には私なりの、大事にしたいもの、生き甲斐があり、その内の一つが応援歌なのです。
選手の人生と比べられたらどんなにちっぽけなものかもわかりませんが、それでも、自分の人生を彩るものの一つが奪われかねないという危機感を覚えたら、それをぶつける相手が実際にプレーしている選手になろうとも、こちら側の言いたい意見くらい言わせてほしいです。

私の意見に対して、応援行為だとか鳴り物応援そのものに否定的な人からすれば、相容れられる要素はどこにもないでしょう。しがない一ファンに過ぎない私の戯言など構うことなく、どうぞ気品あふれる球場の雰囲気づくりでも目指していただければと思います。
一方で、もしも応援歌というものを後世に残したいと思っていただけるファンの方に、この長々とした文章をお読みいただけたのならば。これだけの記事を書いておいて信じてもらえないかもしれませんが、私自身、指笛という行為に対する好き嫌いの感情で言えば、そこまで好きではありませんし、そもそも指笛が吹けません。ですが、指笛も含めて、表面的には受け入れ難い応援行為だからと言って、それだけを排除しながら応援の自由を保つというのは、いささか虫の良い話であり、あらゆる応援の多様性が認められているからこそ、応援歌が今もなお歌い継がれているものだと私は思うのです。
選手が主張しているからというだけで思考を放棄するのではなく、清濁併せ持つ混沌とした球場の雰囲気の中から、現在の魅力的な応援文化が生まれていることにも思いを馳せていただきたい。安易に応援行為の一つを禁じる方向に走ってしまえば、やがて応援行為全般の禁止にもつながりかねない可能性を理解した上で、それでも東選手の主張に諸手を上げて肯定できるのか。それが、この記事を通じて、私が読者の皆様に問いたいことです。


というわけで、本件を受けて私もいくつかお気持ち表明のツイートをしたものの、旧Twitterの文字数制限の中では、その裏にあるこれだけの気持ちなど説明しきれないので、うまく伝わりきっていない部分もあったのだろうと思い、こうしてnoteの記事を書いた次第です。
ただ、これはこれで、10,000字超と超大作の記事になってしまい、読む気が失せますね。もっと簡潔に本意を伝えられる文章力がほしい。

ちなみにサムネイルは、相手投手にプレッシャーをかける類の応援歌って何かあっただろうかと考えたときに思い浮かんだもの。'07頃に使われており、『ガラガラヘビがやってくる』が原曲で、2周演奏した後、相手投手が投げるまで選手コールを続けるというものです。が、実録を聴けていません。聴いてみたい。

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