2024/09/26 未知なる応援歌との遭遇は誇るべき体験
少し日を置いてしまいましたが、今年のパ・リーグは、ソフトバンクが4年ぶりのリーグ優勝を果たしました。シーズン通じて盤石な戦いぶりで、有無を言わさぬ強さでしたね。
広く知られていない応援歌で盛り上がるのは難しい
ところで、このソフトバンク優勝決定戦は、京セラドームのオリックス戦だったのですが、試合は中盤にソフトバンクが逆転すると、徐々に差が広がる展開。8回裏のオリックスの攻撃を迎えた時点で、5点差がついていました。
昨年まで3連覇を果たしていながら、忸怩たる思いもあったことでしょう。この場面でオリックスが用いた応援歌は「紅の丑」。球団合併前の近鉄で、試合終盤劣性時に使用していたチャンステーマを、この崖っぷちの展開で引っ張り出してきました。
私が過去に投稿した動画では、使用歴は'04までと整理している一方、動画内コメントにて、球団合併後も年に1回程度、ごくまれながら発動機会がある旨、言及させていただいています。
ただし、球団公式ホームページ等で、「紅の丑」の存在が明らかにされているわけではありません。いくら昨年の日本シリーズでも使用実績があるとはいえ、俯瞰的に評すれば、最近オリックスファンになられた方や、応援歌に特段の興味を持たない方にとっては、馴染みの薄い曲かと思われます。
実際に、今回この応援歌が、満員御礼の試合のラスト2イニング通しで使用されたことに対して、快く思わない層も一部いらっしゃったみたいです。
私の感覚としても、「紅の丑」の使用頻度が極めて低い状況下で、球場全体を巻き込んで盛り上がれるような応援歌としての立ち位置を確立しているかと言われれば、そうではないと思います。応援団の方だって、そんなこと言われるまでもなく重々承知していることでしょう。
ただ、少し立場を変えて考えてみれば、この局面でオリックスが置かれた状況を諸々勘案した上で、定番曲を差し置いてまで「紅の丑」の使い時と判断したことに思い至るはず。
もっとも、こうした一部の過激な主張をされる方に限って、相手の立場に立って物事を考えようだなんて端から考えていないのでしょうから、真面目に相手をする気はありません。
それでも応援歌を歌い継ぐことで伝わる応援文化
昔から使われてきた応援歌が、現在も何の支障もなく球場で歌える機会があること。これは、全球団を見渡してみると、決して当たり前のことではなく、むしろ珍しい部類に入ります。
個々の球団の諸事情については、応援団関係者でもなんでもない私には踏み込めない領域もあり、この場で触れるのは割愛しますが、部外者が無責任に、昔のあの応援歌を流用してほしいなあと思っても、見えない力が働いてそれが叶わないというのが、応援歌の世界では往々にしてあります。
その点、公式にも取り上げられない存在ながら、細々とでも決して途絶えることなく今なお歌い継がれる「紅の丑」の歩みというのは、応援歌の中では割と異色の経歴の持ち主と言えます。
今のこの御時世、昔の応援歌でも動画サイトで探せば、映像や音源で資料として出てきますし、何なら私も、その一端を担えればという気持ちもあって応援歌の動画を投稿しています。
それでも、応援歌を次世代に継承していくには、実際に球場で歌える体験に勝るものはなく、こうした機会が与えられている応援歌は、極めて貴重な存在だということを、第一に書き残しておきたいです。
未知なる応援歌こそが造詣を深める鍵となる
それから、この一件を通じて私からお伝えしたいことがもう一つ。それは、知らない応援歌との出会いは、決して恥ずべきことではなく、新たな知識を得るための好機になるということです。
これにはまず、単純にその応援歌の存在そのものを知るということが一義的にあります。もし現地で実際に応援されていた方であれば、先の私の動画内コメントでも言及しているとおりなのですが、レアな体験ができたという風に誇れる出来事です。歌えない応援歌が流れてきたからつまらないと忌避するのではなく、新しい応援歌との瑞々しい出会いを喜んでほしいのです。
そして、応援歌の存在を認識したというレベルからさらにもう一歩踏み込んで、その応援歌の歴史にも触れることにより、当時のチームの状況に思いを馳せることができます。
「紅の丑」で言えば、使用開始当初は近鉄球団で、試合終盤ビハインドの展開で使用されていたチャンステーマであること。そして、現在のオリックス球団を語る上で避けては通れない球団合併という悲劇を経ながら、使用される応援歌のレパートリーから完全に姿を消すことなく、20年経った今でも特別な試合で演奏され続けていること。
ここ数年のオリックスの躍進がきっかけでファンになった方からすれば、どれも自分事として捉えるにはピンと来ない話かもしれません。それでも、こうした経緯があったという知識を携えるだけでも、その球団を応援する意味合いが、一段と深まるはずです。
私が思う応援歌の良さというのは、こうしたところに凝縮されているのだと思います。すなわち、応援歌というのは、単なる応援の手段という枠組みに収まらず、その応援歌が使われる球団や選手の有様を映す鏡のようなものであり、この魅力に気がついてしまったならば、自分に知らない応援歌だからと拒絶するような真似はできなくなることでしょう。
というわけで、応援歌が好きな人からすれば、お決まりの文句を並べただけの内容に感じられたかもしれませんが、時事ネタに便乗しつつ日記的に文章を残すというのも、noteの真っ当な使い道と思いますので、御容赦ください。
というか、ここまで散々美辞麗句を並べておいてあれですが、要は私が投稿した動画のプロモーション記事に過ぎません。浅ましい知恵にお付き合いいただき失礼いたしました。