正しい牛乳パックの開け方
その牛乳は美味しいらしいが、パックは絶対に開かない。ふつうにスーパーに売っているし、価格もそのへんの牛乳と変わらないのだが、とにかく開かない。購入の際も店員から「そちらなかなか開かない仕様になってますが、大丈夫ですか?」と確認される。
言っても、牛乳パックだろ。妹尾は高を括る。この日、はじめて妹尾はその牛乳パックを購入することになった。店員から例の確認をされると、当たり前だろ、というような顔で小さくうなずいた。
早速、家に帰ってテーブルの上にパックを置いてみた。見たところ、ふつうの牛乳パックだった。多少力はいるだろうが、口の部分を開けば、ふつうに飲めるだろうと思われた。妹尾は、いつもやっている要領でパックの上部に指をかけ、わずかに力を込めて開けてみた。だが紙は完全にくっついており、まったく開かない。そうか、もう少し力が必要なのか。恐らく強く接着されているだけと思われた。パックが急に破け、牛乳が破裂する、そんなことは恐れずに、いまある力をすべて込めればいい。妹尾は腹筋に力を込め、同じやり方で開封を試みた。だがびくともしない。「びくともしないなあ」と妹尾はつぶやく。だがこの程度は想定済みだった。
妹尾はキッチンからハサミを持ってくる。「多少乱暴にはなっちまうがなあ」。妹尾は上部側面からはさみを入れる。紙を挟んだところで指に力を入れるが、切れ込みは入らない。力を込める。だがまったく切れないどころか、刃先が弾き返されるような感覚さえある。これは手強いな、と妹尾は思う。
妹尾は今度は、友人に連絡を取った。その友人は「町一番の力持ち」として知られている。毎日筋トレに励み、春夏秋冬タンクトップを着ていて、小さいクラッチバックを小脇に抱えている。その友人が家を訪れた。訪れるなり牛乳を見つけると、「これか」とつぶやき、妹尾を一瞥し、「まあ訳ないな」と一言。妹尾も友人の自信の持ちように、頼もしい気持ちになった。
友人は片手でパックを持ち上げると、どういう意味か軽く振った。ふたたびテーブルに置くと、口の部分に指を添え、奇声を上げながら思い切り開く。だがパックはびくともしない。心配する妹尾に向かって、安堵させるように笑みを浮かべると、タンクトップを脱ぎ、上半身裸になったのち、ズボンと下着を脱ぎ、下半身も裸になった。なんで下半身も、と妹尾が思ったところで、友人は同じように笑みを向ける。そのうえで、全身の筋肉に力を入れると、ふたたびパックの口に指を添え、思い切り開く。だが紙は広がらない。接着面は少しも剥がれない。友人は肩で息をしている。妹尾を見ると、「こいつは手強い」言って、「ちょっとおれの友人を連れてくる」と残して去っていった。
妹尾は一人家に取り残され、ひまになった。とりあえずコーヒーを淹れ、先日買っておいた別の牛乳を入れた。口に含み、胃にとおすと、テレビを点けた。「警察24時」がやっていた。「まだやってるんだ」。妹尾はつぶやく。首都高に自転車で入り込んだ男が道路を爆走している。数キロ後ろからパトカーが猛追してくる。飽きてきて、YouTubeを開く。「ヒカキンでも見るか」。動画が開かれ、ヒカキンは全裸でフラフープを回しながら、「おれは遠心力で空を飛ぶんだ!」と連呼していたので、意味がわからない、と思い、消した。こんなのが子供に人気があるのか。それからはずっと猫の動画を観ていた。そのときチャイムが鳴る。友人だった。なんの用だろうと思ったが、そういえば牛乳だった。妹尾はもうどうでも良くなっていた。
友人は「田中だ」と言って、田中を紹介する。田中は上半身は人間、下半身はブルドーザーだった。どういうことかと妹尾が訊くと、友人は「パックを轢いて、開封する」と言った。「轢いて開封する」という言葉の意味が妹尾にはまったく分からなかったが、面倒だったので了承した。その代わり、家が壊れるから外でやってほしい、と言った。
友人と田中は、近所の空き地に牛乳パックを持って集まった。妹尾は家で休んでいる。友人は牛乳パックを空き地の真ん中に置くと、田中に「これを轢いてくれ」指示をする。田中は「うい」言って、友人の顔面を一度殴ったあと、下半身のブルドーザーでゆっくりとパックに近づき、轢いた。一瞬、牛乳パックは湾曲したように見えたが、すぐに、形を取り戻し、毅然とした様子で地面の上に佇んだ。田中は振り返り、そのなんら変化のないパックを見つめる。友人は田中に殴られた顔を押さえながら、そのパックを同じように見つめる。二人とも途方に暮れた。
すると、どこからか足音が聞こえてきた。遠くから、たしかにこちらへと近づいてくる。「あら牛乳パックじゃないの」。友人と田中は声の方向を見る。「お母さん」がいた。「お母さん」は「あら、いま牛乳ちょうど切らしてて助かるわあ」と言いながら、牛乳パックに近づいていく。「変ねえ、なんでこんな空き地にあるのかしら」と牛乳パックを持ち上げると、パックの口を開け、その場で一飲み。「あら美味しいわ」。田中と友人は顔を見合わせる。友人は「お母さん」に、「いまどうやって開けたんですか」訊くと、「どうやってって、普通によ、普通に」。友人は、そっか普通にかあ、と思う。
一方、妹尾の家は火事になっていた。妹尾は消火の仕方を知らない。以前、濡れた布団を火にかぶせる、というやり方をテレビでやっていた気がした。急いで寝室に行き、布団を持って、シャワーで濡らした。その間も炎はまたたく間に大きくなっていき、部屋の半分ほどを包んだ。布団はなかなか濡れなかった。妹尾は完全に忘れていたが、それは「濡れない布団」として知られていた。ホームセンターで購入した際、店員から「そちらなかなか濡れませんが大丈夫ですか」と確認されていたのだ。布団を濡らす必要なんかないだろ、とそのときは思ったが、いまとなっては。妹尾はだんだん面白くなってきて、下瞼に涙を浮かべた。