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今年の文芸活動を振り返る

 振り返るか、2024年を。
 今年は公募に出さないという珍しい年だった。なかなか中長編が書けないというのもあるけど、なんか公募以外のルートはないかな、とやり口を探した年だった。結果、公募を出している例年より、文芸活動的には楽しかった。中長編を書かないということは、必然的に短編や掌編、フラッシュフィクション、日記、エッセイのようなものが多くなり、短いぶん、それだけ反応をもらえる頻度も高い。

 1月
 昨年優秀賞を受賞したカフカショートストーリーコンテストの「翳り」が、文學界2月号に載った。ツイッターとかで調べるかぎり、ちょいちょい読んでくれる人はいて、それで自分を知ってくれたという人も何人かいた。字数で言うと、6千字くらいで、中長編を書けない自分でもこのくらいの文字数なら書けるのだな、と安心した記憶がある。

 2月から4月
 PCを見る限り、中編を試みていた形跡があり、どれも頓挫している。このあたりで、自分はいったんそこから離れて、ちょっと違ったルートに踏み出してみようかな、と考えていた気がする。別に無理に中編を書いて公募に出さなくてもいいか、的な。

 5月
 そこで、ちょっと「笑い」のほうに走ってみようと思い、anon pressに「金玉」という作品を送ったら採用してもらえた。字数で言うと4千字くらい。文芸誌でもなんでもないけど、web上の媒体に載るのは初めてなので嬉しかった。mixi時代は人を笑わせるための文章だけを書いていて、そのころを思い出した。自分はこういうほうが書いていて楽しい、合っているのでは? と思うなど。

 6月
 梅雨。梅雨前線の活動が活発。

 7月
 ここでも、anon pressに「Gメン」という作品を載せてもらった。たぶん8千字くらい。怪文書にしては長いほうだと思う。こういうのならいくらでも書けますけど? と自信がついたものの、「こういうの」の発表先がなさすぎて。

 8月から9月
 主に怪文書系のフラッシュフィクションを書いていたと思う。こういうのなら書ける、というたしかな自信、というか立脚点がほしかった。ここでもたぶん平行して中編を書いていたが書けず。書けない原因は、本を読んでないから、というのは分かっていたけれど、まったく読む気にならず。書いている楽しさが10だとすると、読んでいる楽しさは1.7くらい。短いのを投稿して、すぐに反響をもらう。自分の中の文芸がインスタントに消費される感じが心地よかった。
 9月には初めて「古賀コン」に出した。自分の文体のチャンネルを増やしたい、視野を広げたい、みたいな気持ちがあって。1時間以内で、と言われると素が出るので、そこで自分の手癖と向き合うことができた。

 10月
 第6回「古賀コン」で、なんとか蛙賞をもらう。

 11月
 マルカフェ文藝社の「別冊棕櫚」に寄稿することになり、その原稿を書いていた。これはたしか1万2千字くらい。カフカ「翳り」のトーンで書いた。中編は書けないけど、このくらいの文字数なら書けるのかと、ここでも安心した。「炎天」という作品だよ! 来年刊行される予定だからよろしくね!
 中旬から、ある方と文章のやりとりをはじめる。来年、本になると思われる。

 12月
 なんだかんだここでも短いのを書いて、ネットとかでアップしていたけど、さすがに中編を完成させなきゃな、と思い、なんとか(クオリティは置いといて)完成させた(原稿用紙115枚)。出来栄えは別によくないけど、まあなんとなく完成したか、みたいな安堵感がほんのわずかにある。それをある出版社に送りつけるなどする。
 来年5月の東京文フリに申し込む。これも、自分の文体や文章の視野を拡げたい、という気持ちから。違うチャンネルを持つということは、きっとそういうことだと思う。殻の一部分は破れると思う。いまからわくわくしている。
 通年とおして、日記とかもたくさん書いていたと思う。昨日集計を取ったところ、noteに投稿した記事の数は88本だった。約4日に1本書いている。これに関しては、楽しいから書いていた。

 悩んだぶん、頓挫した中編や書き貯めた短編やフラッシュフィクションが大量にストックされている。そういったものを、来年は少しずつ放出していきたい。
 あと本を読んだほうがいいと思う。意外かもしれないが、本を読めば読むだけ、小説は上手くなるらしい。このことに、いまさら気がついた。月1冊くらいは読みたい。ちんちん。

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