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ミンダナオ紛争を知ろう①

ミンダナオって何?

2021年度秋学期、久志本ゼミではミンダナオ紛争を取り上げて半年間かけて勉強しました!        
今回から皆さんにミンダナオ紛争はどのようなものなのかについて、インターネット上の情報より詳しく、学術書より簡単に紹介していきたいと思います。

早速ですが、「ミンダナオ紛争」と聞くとどのようなイメージを思い浮かべますか?

多くの人は、イスラム教徒VS政府(キリスト教徒)というイメージを持たれるのではないでしょうか?若しくは、ミンダナオという場所に関してニュース等で治安が悪いという情報などを見かけたという方もいるかもしれません。実際、ゼミのメンバーも当初は同じようなイメージを持っている人が大半でした。

しかし、実際のミンダナオ紛争はイスラム教徒VS政府などの簡単な構造ではなく、もっと複雑で多重的なものなのです。以下では、ミンダナオ紛争の概要と背景となる部分を説明していきます!

とその前に。ミンダナオがどんなところなのか基本的な情報について少し触れておきたいと思います!


ミンダナオ基礎情報

ミンダナオ島はフィリピンの南部に位置する島です。フィリピンの地図を見たときに上にある大きな島がマニラのあるルソン島、下にある大きな島はミンダナオ島!と覚えていただくとわかりやすいと思います。中心部には山々が連なり、高原地帯と盆地で構成されています。水稲地帯もあり、ほぼ自給できるほど米の収穫があります。また、日本に輸入されるバナナの大半は実はここミンダナオ産です!   

フィリピンは国民の約9割をキリスト教徒が占めています。つまりムスリムは宗教的少数派になるのですが、その多くはこのミンダナオ島中西部やスールー諸島と呼ばれるところに住んでいます。

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ここがミンダナオ島です!(出典:Google Earth)



重要語句

続いて、ミンダナオ紛争を見ていくにあたって鍵となるアクターや語句をまとめて解説します!

MNLF(モロ者族解放戦線)
設立:1968年
創設者:ミスアリ(フィリピン大学講師)、サラマット(イスラム知識人)
イスラム教徒の武装・政治組織。
かつてはフィリピンからの分離独立を目標とした反政府武装勢力だったが、1996年に政府との和平協定を締結して以降、イスラム教徒ミンダナオ自治地域(ARMM)の政府として存続している。

MILF(モロ・イスラム解放戦線)
設立:1977年
創設者:サラマット(MNLF創設メンバー)
MNLFが1976年に政府と停戦に合意したことに反対し、分離して設立された。
フィリピン南部におけるムスリム(モロ)の自治確立を目指す組織。

クラン
氏族集団のこと。
簡単に言うと結束力の強い家族のようなイメージのもので、ネットワークを持ち資源を配分するなど国家の統治が及ばない場所ではクランがその役割を担う。また親族関係に基づいたアイデンティティーを持ち、情緒的なつながりによって成り立っている。支配者はダトゥとその親族で、被支配者は支配者とパトロン・クライアント関係を結んだ領域内の人々である。

ダトゥ
伝統的・非伝統的首長のこと。共同体を率いる指導者でその権威は血統に依拠し、政治や軍事面での権力を持つ。ムスリム社会はダトゥなどのムスリム指導者を中心に結束するという傾向がある。

OIC(イスラム諸国会議機構)
イスラム諸国の政治的協力・連隊を強化すること、イスラム諸国に対する抑圧に反対し、解放運動を支援することを目的としている。
加盟国は57カ国で、世界13億人のムスリムの大部分を代表する。

ARMM(イスラム教徒ミンダナオ自治地域)
1990年に成立したミンダナオにおけるムスリムの自治区のこと。
フィリピン政府とムスリム共同体とMNLFとの和平協議を進め、1989年に「自治基本法」が成立したことにより設立された。
ミンダナオ島西部と南部一体の13州と9市で加入を問う住民投票が行われたが、賛成多数だったのは4州のみだった。汚職や腐敗が蔓延り、失敗に終わったと言える。

バンサモロ自治地域
2019年にARMMに代わる新たな自治地域として成立した。
ARMMが失敗に終わったことにより、2014年にアキノⅢ大統領とMILF議長のムラドにより新たな枠組みである「バンサモロ包括合意」が調印され、2018年にドゥテルテ大統領が「バンサモロ基本法」に調印したことにより設立された。

「バンサモロ」と「モロ」
明確な区別があるわけではなく、個々人の考えでその意味合いの違いは規定される。「モロ」は元々、MNLFがバンサ・モロ共和国として分離独立を求めて蜂起した際に様々な民族をまとめて「モロ」と呼んだことに端を発する自称。一方の「バンサモロ」は、MILFがMNLFとの差別化のために用いている自称である。

ミンダナオ紛争の概要

ミンダナオ紛争とは、簡単に説明すると米国統治から続くキリスト教徒のミンダナオ再定住政策により、同地域で多数派を占めるムスリムが段階的に土地を搾取され、経済的・社会的に周辺化したことを発端とした分離独立・自治拡大のための紛争です。交渉の再開と頓挫を繰り返しながら断続的に戦闘が続いてきました。
フィリピン政府と独立・自治を求めるムスリムたちという対立構造に、クラン間抗争やマレーシアなどの他のイスラム圏諸国、イスラーム過激派組織といった要素が加わり、複雑に絡まり合いながら現在まで展開してきました。つまり単にイスラム教徒VS政府(キリスト教徒)という単純な構造ではなく、もっと複雑で絡み合った構造になっているのです。
ここからは背景部分として植民地支配以前のフィリピンの様子、そしてスペインとアメリカによる統治時代にどのようなことが行われていたのかについて述べたいと思います。こうした独立前の状況や植民地政府の政策とその帰結は、のちのフィリピンの国家としてのあり方や社会構造などに深い影響を及ぼしています。

ミンダナオ紛争におけるステークホルダーの関わり(参考:JICA「ミンダナオ紛争概要」)


独立以前のミンダナオ

フィリピン、ミンダナオの歴史をざっくりと「イスラーム化以前」、「イスラーム王国の建国」、「植民地支配」に分けて説明します!


イスラーム化以前

まず、前イスラーム期についてです。当時フィリピンの島々に暮らす人々は、ラジャやダトゥといった首長を中心とした集落を作っていました。この政治・社会的な単位は「バランガイ」と呼ばれています。このバランガイのリーダーにあたるのがダトゥなのですが、彼らは立法や司法、政治の長を担いました。ここでのポイントは、この時代バランガイにダトゥを中心にした社会制度があったということです。

イスラーム王国の建国

ここからはよりフィリピン南部に焦点を当てていきます。イスラームが流入してくるようになると、ダトゥはムスリムの支配層と同盟関係を築くことで権威を高め、ムスリムとしてのアイデンティティに目覚めます。
そして、いよいよイスラーム王国が建国されます。15世紀半ばから16世紀初頭、現在のミンダナオ島とスールー諸島に跨る地域に二つのイスラーム王国が作られました。この時、スルタン(王国の君主)は現地にいたダトゥと主従関係を結んで支配を行いました。ダトゥ制度を活用して間接的に統治を進めた、つまりダトゥを中心とした伝統的な組織、社会構造が維持されたのです。この過程でダトゥはムスリムとしてのアイデンティティーに目覚めていき、フィリピン南部でのイスラーム受容が進みました。

時代により領域は変動しますが、イメージとしてはイスラーム王国はこの辺りに成立しました。(出典:Google Earth)


植民地支配の始まり

続いては、フィリピンがスペインによる植民地支配を受けていた16世紀後半以降のこと。スペインは南部のイスラーム地域を侵略するにあたり、ルソン島やビサヤ島などの北部のカトリック地域の住民を入植させるプログラムを実施しました。これによりイスラム教徒とカトリック教徒という対立構造が生まれ、両者の間に強い敵対心が醸成されることになっていきます。
そして、時代はスペインの支配からアメリカによる植民地支配へと移っていきます。アメリカはフィリピン南部地域を「未開地域」とし、文明化を目的として北部のカトリック教徒たちの入植を進めます。その結果、南部ではカトリック教徒の人口比が高くなり、イスラム教徒は土地を剥奪されたり、経済的・社会的・政治的にも弱い立場に追い込まれていきました。
さらに、1913年にアメリカで反植民地主義を掲げる民主党政権が誕生したことで、植民地政策の名目はフィリピンの早期独立へと変わっていきます。しかし、これはアメリカ本位の国家建設を目指すものであり、ミンダナオ統合の手段としてダトゥを取り込む政策を行いました。影響力があり、かつ米国支配を支持するダトゥに権威を与え、一方で抵抗したダトゥは排除し、社会構造における権威を失わせました。このようにアメリカにとって都合の良いミンダナオの権力基盤を強化した結果、ダトゥ間の対立が生じ、ムスリムの社会的分断が激化したのです。

最後に

このように、ミンダナオ地域はスペインやアメリカの植民地主義政策により分断され亀裂が生まれており、これがミンダナオ紛争における発端と言えます。このようなことに対して、旧宗主国であるアメリカやスペインの責任について皆さんはどのように考えますか?
次回からは独立後の状況について政権ごとに整理し、説明したいと思います。お楽しみに!

出典・参考


谷口美代子『平和構築を支援する ミンダナオ紛争と和平への道』、名古屋大学出版。
JICA「ミンダナオ紛争概要」、(https://www.jica.go.jp/jica-ri/ja/news/topics/
l75nbg000019r288-att/20210224_miyazaki.pdf
閲覧日2022年1月10日)。


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