独立という道を選んだ僕は三度死んだ。
令和元年・2019年もまもなく終わりを告げ、「2010年代」から「2020年代」という新たな年代に移り変わろうとしています。
「育休的起業」と銘打って、2016年12月末にリクルートキャリアを退職してから早いもので丸3年が経ちました。
今回の退職のことを僕は勝手に「育休的起業」と呼んでいます。
その理由は至ってシンプルで、娘をはじめ「家族と過ごす時間をもっともっと大切にしたい」という根源的な欲求からでした。
「あのとき、もっともっと家族と過ごす時間を大切にしておけば良かった」と後悔してからではもう遅い。子育ては「期間限定」ですからね。過ぎてしまった時間は二度と取り戻せません。
「じゃあ、育休を取得したら良いのでは?」というご意見も当然ありますし、僕も育休取得を検討したことがあります。
ただ、育休を取得するならば、1ヶ月や2ヶ月ではなく、少なくとも半年や一年は取りたいと思っていましたし、復帰してから少なくとも2〜3年は働いて会社に恩返しをすべきだと考えると、あと2.5年〜3.5年は会社員でい続けることになり、あっという間に30歳を過ぎてしまいます。
「20代のうちに独立・起業に挑戦してみたい」という極めてエゴイスティックな自分の思いと「家族と過ごす時間を確保するために育休を取りたい」というこれまたエゴイスティックな自分の欲求の、二兎を追って二兎を得るための選択肢が「育休的起業」だったのです。
その決断から早3年。
当時の決断が「正解」か「不正解」か?
と聞かれれば、迷いなく「正解」だったと思える3年間だったが、決して平坦な道のりではありませんでした。
三度訪れた、心身の崩壊。
昨年7月にBUSINESS INSIDERに寄稿した記事に詳しく記しているが、僕は「うつ病」に陥り、仕事がままならなかった時期がありました。
2018年2〜3月頃の僕はただただ、「消えてしまいたい」と、毎日思っていました。誰かの役に立っていたい、社会に価値を提供したい。そんな気持ちが人一倍強かったからこそ、そうなれていない自分が許せなくて、「生きている価値がない」と思いました。
僕が死んでしまえば、住宅ローンの返済義務はなくなるよな。でも、もし自殺してしまったら、子どもには一生、しこりを残してしまうだろう。自殺はできないが、生きているのも辛い。存在をフッと消せる方法ってないだろうか——。
なんとか6月には「完全復活」と言える状態まで回復したのですが、長くは続かず昨年12月頃にはまたもメンタルダウンしてしまい、今年の3月末頃まで低空飛行の時期が続きます。うつ病ではなく、実は「双極性障害Ⅱ型」であると診断されたのがこの時です。
その後、3月末から3ヶ月ほどは「フル稼働」できたものの、7~8月にはまたも大きく体調を崩してしまいました。医師のサポートもあり、9月に入る頃にはようやく復調でき、12月30日現在は至って健康な状態で、久々にポジティブな状態で年を越せそうな状態です。
振り返れば、今年は一年間のうち約5ヶ月もの期間を「ふい」にしたことになります。これによって、クライアントやパートナーをはじめ、一体どれだけ多くの方々に多大なるご迷惑をおかけしたかと思うと、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
具体的な企業名や個人名をここで挙げることは差し控えますが、本当にたくさんの方にご迷惑をおかけしたと同時に、たくさんの方々に幾度となく救っていただき、何とか今こうして、生活することができています。本当に、感謝の念が絶えません。
独立してからわずか3年で、三度死の淵に立つことになりましたが、心ある方々のおかげで三度蘇ることができました。この御恩は一生忘れませんし、いつか必ず恩返しをするとともに、僕と同じような境遇に陥る人に手を差し伸べられるような人間でありたいと、強く思っています。
それでもなお、「正解」だと思える理由。
たった三年で、三度死す。
こうした大きな「挫折」を経験してもなお、自分自身の選択を「正解」だと思える理由は二つあります。
一つは「家族と過ごす時間を最大化できた」こと。
上述の通り、「家族と過ごす時間をもっともっと大切にしたい」というのが僕が独立した動機そのものなわけですが、これは想像以上に実現できたなーと思います。
具体的な方法として、「週休3日」どころか「週休4日」にチャレンジしたこともありました。笑
結局「週休4日」にしてしまうと、休んだ分のシワ寄せが「働く週3日」に行ってしまうことと、仕事のリズムが崩れてしまい生産性が低くなる、という弊害があり、僕には合わないワークスタイルだったことがわかったので、現在は以下の働き方にたどり着いています。
【西村流の時短ワークスタイル】
①原則、平日(月~金)は毎日はたらく。
②うち1日は完全在宅ワークデイとして、書斎にこもって資料づくりや原稿づくり、読書などに没頭する日をつくる。
③毎日16時~16時半には仕事を終えて、16時台の電車に乗って帰宅する。(帰宅ラッシュを避けられるため座って帰れる)
④講演/イベント主催/飲み会・会食を含め、17時以降の「時間外労働」は週に1回、月に4回まで。
⑤月に1度、平日に休みを取って妻と2人でデートに行く日を設ける。
忘年会シーズンの12月ばかりは、④のルールを大きく逸脱して週に2~3回は「時間外労働」をしてしまいました(笑)
が、この「時短ワークスタイル」に移行してからは、仕事と家族のバランスがちょうど良いのか、極めてストレスフリーでファミリーファーストな日々を送ることができています。
このワークスタイルは、娘が小学校に上がる2022年4月までは継続したいと思っています。
「副業前提社会」をリードする、という覚悟。
もう一つ、独立して良かったと思える理由があります。
それは、「副業前提社会」をリードするという覚悟が芽生えたことです。
2015年、「二兎を追って二兎を得られる世の中を創る」をビジョンに掲げて株式会社HARESを創業した当時は、「副業禁止」の会社がまだ9割と、「副業OK」という会社は圧倒的にマイノリティでしたし、実際に複業をやっている、という人もごくわずかでした。
そんな中、2016年にロート製薬さんが副業解禁を公表したことを契機に、メディアで毎日のように「副業解禁」が特集されるようになり、「これからは、副業解禁が一気に進む」「これからは、複業という働き方がメジャーな選択肢になる」ということを確信したことも、僕が3年前に独立を決めた大きな要因になっています。
↑サイボウズさんにお声がけいただき、ロート製薬の山田会長(当時)と、サイボウズの青野社長の対談のモデレーターおよび執筆をさせていただいたのも、良い思い出です。
その後、大手企業を中心に、何社もの企業の副業解禁のお手伝いをさせていただくほか、経済産業省の「人材力研究会」の兼業副業領域の代表として委員を務めさせていただいたり、「副業ではなく、複業をせよ」と至るところで発信を続けた結果、昨年12月には『複業の教科書』を上梓しました。
こうして、自分の持てるリソースの多くを副業・複業領域にべットできたのは、独立したからこそであって、会社員を辞めていたら恐らくできていなかったことでしょう。
まだまだ道半ばですが、来たる「副業前提社会」をリードするという覚悟が芽生え、自分のアイデンティティとして根付いたことは、独立したからこそ得られたものだと思っていますし、独立を「正解」だと思える理由の一つになっています。
2020年・2021年は「仕込み」の2年に。
さて、独立してから3年間の振り返りをしたところで、2020年以降の展望について書こうと思います。
2020年をどんな一年にしたいか。
きっと、これまでの僕だったら大見得を切って「2020年は飛躍の一年に!」と言っていたと思いますが、良くも悪くも、今の僕は自分に対してそこまで大きな期待をしていません(笑)。
先に述べたとおり、2022年の3月末までは「ファミリーファースト」を貫くワークスタイルを徹底したい、と元々思っていたのですが、先日とある方に四柱推命(「算命学」とも言われます)僕の中長期の運勢を占ってもらったところ、こんな結果が出ました。
なんと、2020年と2021年は「行動をおこさない受身の2年」だそうで、2022年が「車騎星」と言われる「仕事アクセル全開」な一年になるそうです。元々、2022年の4月からはアクセル全開で行こう!と思っていたことも相まって、元々「占い」というソリューションに否定的だった僕ですが、この占い結果にめちゃくちゃ背中を押されました(笑)。
・・・ということで、2020年は来たる2022年に備えて「仕込み」の1年にしたいと思います。
具体的には、
・とにかく「健康第一」で、1年を通して一度も体調を崩すことがないように最善を尽くす。
・目の前のお客様、目の前の仕事に真摯に向き合いベストを尽くしつつ、常に「腹八分目」を意識して、仕事を受けすぎない。
・「小さなチャレンジ」はしても良いが、大きな資本が必要になる「大きなチャレンジ」はしない。
・「2020年代は『副業前提社会』になる」という仮説に基づき、引き続き企業の「副業解禁」の支援、および個人の「複業立ち上げ支援」に注力する。
・2022年にスタートダッシュが切れるように、目の前の仕事を通じてひたすら足腰を鍛える。
というイメージですが、とにかく『いのちだいじに』モードで、やれることをやりきる、という一年にしたいと思っています。
みなさんに迷惑をかけっぱなしの一年、三年でしたが、2019年は大変お世話になりました。
こんな僕ですが、2020年も何卒よろしくお願いいたします。
良いお年をお迎えください!!!
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