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学生パパになることを決めたキミへ。

僕は高校生の時から付き合っていた彼女との間に、大学一年の夏休みに子どもがいることが発覚し、その後10月に学生結婚。翌年5月にパパになりました。

そして先日、衝撃的な事実が発覚したのです

何と、僕が仲良くさせてもらってる方の娘さんが、彼氏との間に子どもを妊娠していることがわかった、のことなのです。

その娘さんはまだ大学一年生。

お相手は、というと同じくまだ大学一年生。

二人は高校時代から付き合っているそうで、絆は固く、

「結婚する。そしてこの子を産む。」

そう決めているとのことなのだ。

涙が枯れるまで泣きつくしたのだろう。
その方と会ったとき、大きく目を腫らしていた。

その話を彼女の口から聞いた瞬間、
12年前のあの日のことがふと頭によみがえってきた。

すべてが同じなのだ。
12年前の僕たちの姿と。

●高校生から付き合っていた。
●お互い大学一年でできちゃった結婚。
●しかも夏休みに。
●娘さんは大学を辞め、男は大学に通い続けることに。
●娘さんの実家でマスオさんとして暮らすことに。

もう、すべてにおいて一緒だったのだ。
恐ろしすぎるほど。

大学生をしながら、父親になるということは、
自分で言うのもあれだが、ものすごく大変。

ある時期まで、学生×父親というギャップに僕はいつも悩まされていた。

学生なのに、「自由」がない。
朝までオールしてみんなと遊んだりすることはおろか、飲み会にだって滅多に行けない。
※僕が結婚してから初めて行った飲み会は、結婚後1年以上経ってからだ。

当たり前のことだけど、学生の特権たる自由を全く行使できないのだ。

くつろぎの空間であるはずの家も、血の繋がっていない人と暮らすマスオさんは肩身が狭く、
しばらくはくつろぐ余裕なんてどこにもないだろう。

反対に。

父親なのに、自分の稼いだ金で家族を養うこともできない。
どんなに頑張ってバイトしたって、月20万が関の山。
学業との両立を考えれば、そんなには稼げないだろう。

妻の実家に数万入れているとはいえ、
実際にかかっているお金はその数倍だ。

だから父親として胸を張ることができない。
少なくとも前の僕はそうだった。

学生には、誘惑だってある。
どんなにストイックに過ごしたとしても、
異性と全く接触しないなんてことはあり得ない。

僕の場合は結婚していたことをオープンにしていたから、「そんなこと」はなかったけれど、
それを隠していた時期は、バイト先の先輩からデートに誘われたりしたこともあった。
(もちろん断ったけど)

世の中の学生パパは、ほとんどがその事実を隠している。

彼がもし学生結婚を周囲に隠したいのなら、
卒業までの3年間、幾度となく誘惑されることを覚悟した方がいい。

そして人間は、特に男は、その全てを拒絶できるほど理性的な生き物ではない。

「ちょっと魔がさしただけ」

それが命取りになる。
相手が「彼女」なら頬にビンタを食らって、
フラれておしまい。かもしれないが、それが「妻」や「ママ」となると、そう簡単にはいかない。

人生を賭けてまで産むと決意した彼女の人生をどん底に突き落とすことにほかならない。
それで離婚したら、この結婚に関わったすべての人が不幸になる。

その最大の被害者は言うまでもなく子どもだ。

そして何より、学生パパよりもつらいのは、
「学生を辞めたママ」の方だ。

「学生パパはつらい」とはいっても、
この場合はまだ社会との接点が大いにある。
だから仮に学生パパ生活がつらくて不満があっても、「捌け口」があるからどうにかなる。
少なくとも【孤独】ではない。
※「僕はほかの学生とは違うんだ・・・」という疎外感・隔絶感はあるがそれはまた別の話である。

しかし、学校を辞めたママの方はそうはいかない。

それまでは毎日が楽しくて楽しくてしょうがなかったキャンパスライフ。
自由を謳歌する毎日。

それがある日突然断絶されるのだ。

もちろん断絶させたのは自分の意志。

でも、どこかで必ず「みんなはいいな」とうらやましい気持ちになり、圧倒的な社会的隔絶感にさいなまれる日が必ずやってくる。

それも一度のみならず、一定のスパンで、何度も何度も。

育児や家事をこなすのも並大抵のことではない。

特に育児は楽しいことも多いが、
一歩間違えるととんでもなく苦しいことになる。

だから産後うつで自殺してしまう人や、
育児ノイローゼでかわいくてたまらないはずのわが子を虐待してしまう母親が後を絶たないのだ。

僕が言うのも変な話だが、
やがて生まれるだろうお子さんも含めた彼らの家族が幸せになれるかどうかは、
その男がどれだけ真摯でありつづけられるかにかかっている。
そういっても過言ではない。

どれだけ自分を律することができるか。
どれだけ本気でパートナーをサポートできるか。

最幸の子どもが生まれるように、全力で奥さんを愛すること。
子どもが産まれたら、全力で子どもを愛すること。
育児も家事も、大変なことこそパパが率先してやること。

そして何よりも、学生パパになる/であることを「義務・責任」としてのみみなすのではなくて、「機会」として考えていかに楽しめるか。

From Obligation To Oppotunity

ここにつきるのだと思います。

何度も繰り返しますが、学生結婚は本当にラクじゃない。

何より、「本来は喜ばしいことを、涙を流して悲しまなければならない」なんて状況はあまりに不幸ですし、絶対にオススメはしません。

ですが、できてしまった、授かってしまったのであるならば。

「おろす」ことが合理的だとはわかっていても、それができないのが人間なのだと思います。

僕もそうでした。

ならば、結婚し、産み育てるしかありませんし、そう決めたのなら、男として、何が何でもその「選択」を「正解」にしなくちゃいけない。

数学の問題と違って、人生には「正解」の選択肢なんて存在しない。

あるのは、自分の「決断」や選んだ「道」を、「正解」と思えるかどうか

言いかえれば、自分の「決断」を自ら「正解」に変えられるかどうか。

その時その時で、家族みんなで笑っていられたらその時点でその選択は「正解」だろうし、みんなが不幸になってしまえば、その選択は「不正解」だろう。

だから男は自らが下した決断を、生涯「正解」でありつづけるよう努力しつづけなければならない。

幸せなイメージを常に描きつづけ、そこに向かって走り続けなければならない。たまに休みながら。

時には思い通りにいかないことだってある。

”時には”どころか、結婚生活や子育てなんて8割ぐらいが思い通りにいかないものだ。

学業とバイトの両立がうまくいかず、単位を落としてしまい卒業が危うくなったり。

就職活動がうまくいかず、なかなか就職先が決まらなかったり。

自分の気持ちや考えを妻(夫)に理解してもらえなかったり。

子どもが思うように成長してくれなかったり。

思い通りにいかないことなんて山ほどあるのだ。

これに直面したときに、いかにまっすぐ前を見ていられるか。

最愛の妻と手を携えながら、前を向いて歩いていけるか。

やがてくる永眠のその時まで。

僕は今、とても幸せです。

いろんなことがあったけれど。

最愛の妻や息子と毎日一緒に過ごせること。

こんな幸せはありません。

だから自分の決断には100%の自信を持てるし、「正解」だと思ってる。

ずっとずっと「正解」でありつづけられるかどうか。

これは男としての永遠のミッションかもしれない。

お世話になっているあの人と、その娘さんと、その旦那さんとお子さんが、

幸せな家庭を築けますように。

そのために僕ができることがあれば何でもしたいと思っています。

「学生パパになると決めた」あなたへ。僕はいつでも力になるのでいつでも連絡くださいね。

※この記事は2010年9月17日に執筆したブログを一部再編集したものです。

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