「映画 ガリレオ 容疑者Xの献身」の筆者の主題は、「なあ湯川!あの事は忘れてくれないかな?」
1.【筆者のコメント】
フジTV土曜劇場で放送を見て感じた事。
作家として一番好きな東野圭吾氏原作の中でも、男が生きにくい時代の一端を垣間見れる最高傑作の一作。
人間とは?人生とは?男の生きる意味とは?を考えさせられたのは、筆者だけなのか?
刑事警察機構と法曹界は、究極被害者の救済を目的とはしていない。その機構や組織そのものの持続性が目的であるかのようにしか思えない処が、この映画を観ながら虚無感に襲われた。
■映画『ガリレオ』の映画2作がフジTVで2週に渡って放送されます。
2024年3月23日(土)に『容疑者Xの献身』(第1弾:2008年10月4日公開)
2024年3月30日(土)に『沈黙のパレード』(第3弾2022年9月16日公開)
■筆者が最初に東野圭吾を認知したのは、
フジテレビ系「月9」 第1作(第1シーズン)2007年10月15日~12月17日
でした。
TVには珍しい、物理学的な論理的証明以外に興味がないという「帝都大学理工学部物理学科准教授・湯川学(福山雅治)」が事件を解決するという設定が斬新であり、好きだった。
又、女刑事・内海薫(柴咲コウ)が、人間の下衆な気持ちつまり犯罪動機からの捜査にしか目が向かない事を一笑してしまうやり取りがお気に入りだった。
女刑事・内海薫の常識が通用しない湯川学を変人と特定している愚かさに笑ってしまった。そんな奴に事件解決を任せていいのか?それとも日本中の刑事のレベルってこんなものか?刑事の感で犯人を特定しまう事で何件の冤罪が発生しているか?と思うとうすら寒い。
ほぼ同時期(2008年)の「流星の絆 TBS」では、親の仇や冷たい世間への復讐というテーマも書けるんだと、作家東野圭吾に大いに興味を持った。
原作である小説を読んでみると、情景描写が主力な文章であり、映画と同じ様な乾いた感じが好きだ。
何でもかんでも人間の気持ちとか、警察側の大義とか、そんなものはありふれ過ぎていて陳腐なコンテンツが主力のコンテンツ業界に、東野圭吾原作のドラマは画期的だった。
■『容疑者Xの献身』を見て心がざわつく事
★湯川学は、本当に余計な事してしまった!とイラっと来た。
それで湯川を嫌いになった。
石神哲哉(堤真一)と湯川学(福山雅治)が一緒に雪山に行った時、石神が「この問題を解いても誰も幸せにならない」「なあ湯川!あの事は忘れてくれないかな?」と湯川に懇願した。
湯川はその懇願を聞き入れずに、昔の男を殺した真犯人花岡靖子(松雪泰子)に自首を進めてしまった。何故なのか?
社会正義 < 友情
じゃないのか?
湯川が己の優秀さを石神に認めさせたくて、わざわざ警察の取調室を使って石神にトリックを解明し自説を披露しているシーンが一番腹が立った。
ライバル天才石神にマウント取って、してやったりと思いたいのか?
いつもは湯川はしゃしゃり出てこないだろう?
「残念だ❗️君の才能をこんな事に使うなんて」
と湯川君に言わせているが、湯川は、
「君の答えは美しく無い」
と石神に行ったつもりなのか?
石神は二重の意味で絶望を感じただろうし、あの(※1)時自殺した方が良かったと思っただろう。湯川は残酷だな。
(※1):石上がアパートの一室で首を吊ろうとした時に、花岡靖子(松雪泰子)とその娘が隣の部屋に引っ越しの挨拶に尋ねて来て、その一瞬で石神は花岡靖子に恋をして自殺を取りやめた、というシーンがあった。
★石神は、花岡康子に生かされていたんですね。
愛とは、自分を犠牲にすることを厭わなくて、相手への献身が嬉しい事だ。
その愛の対象として、男は『女と子供』だけれど、女は『自分の子供』だけ。そこが大きく違う。
「遺伝子上の男のミッションのスイッチ」を入れて女子供を守るという「ヒロイズム行為」を命を懸けて守って来た事を否定されたら、男の存在意義は無くなる。
100万年の人類の歴史上、男のヒロイズムが無かったら人類は早期に滅亡していただろう。
今は必要ないと言われても、遺伝子上のメカニズムはすぐになくならない。
石神の気持ちは『ヒロイズムスイッチ』が入って、母娘を救った事の達成感だったのだろう。
男に組み込まれた遺伝子のなせる技の達成感を無駄にするな。
特攻隊員の気持ちを無駄にするな。
福山雅治が戦時中の「特攻隊員」を否定している映画の主題歌を歌っているからなのか?
と役の湯川と福山雅治を混同するだけでなく、時系列も無視する様なツッコミを入れてしまいたくなる。
『容疑者Xの献身』は、ひっそりと真っ当に生きて行こうとする母娘を救おうとする石神哲哉(堤真一)のヒロイズムを台無しにする事なのか。
暴力団に追われている昔のクズ男に金をねだられ、しかも娘を暴行されてつい殺してしまったのだとしたら、ある意味正当防衛であると思う。
昔の西部劇ならそれが正義だった。
★まあ、「愚民相手のTVドラマの主役は法的正義に従わなければならない」というモラルの限界として犯罪摘発を湯川にさせるシナリオになったのだろうと思うけれど。
現実社会は、暴力団の身代わり自首犯人は処罰して、それを命じた組幹部や依頼した影の実力者は処罰されない。
湯川が、石神の目論見を見抜いてわざわざそれを破綻させる必要があったのだろうか?
石神が花岡靖子を救った事で得られた「ミッション達成感」を湯川が粉々にした事で、今後の石神の牢獄は生き地獄になって本当に気の毒だと思った。
日本国の法の番人たちが捕まえられるのは、刀狩された力の弱い庶民だけなんだよね。そのダブスタが庶民の政治不信の一要因となっている。
■日本国の「法治国家の正義」は、個人のヒロイズムを否定している。
イスラム圏では、個人の復讐を一部認めているが、そちらの方が遺伝子に沿った法律だと思う。家族を殺されたら、家長はそいつを死をもって復讐する事を許されている。
他人事の警察より、憎しみが強い家族の方が怖いだろうから、ある意味抑止力になる。
個人のヒロイズムの存在を否定していれば、草食化と言われる現状になってしまう。
男は、官僚や女の都合の良い生き方に強制させれられているが、そのいびつさが今後どうなるか見モノではある。
「誰の為の法律や警察機構なのか」と言われれば、日本の警察機構は「国家権力の正当性を主張する官僚の正義」としか思えない。
司法機構は、殺人犯の人権を主張して精神鑑定を主張して無罪にしようとする左翼勢力のなすがままに成ってやしないか?
犯罪集団は極悪人としてこの世から抹消して欲しいが、未だに何万人も存在している。
石神哲哉(堤真一)は、国家では救えない隣人の母子を救おうとしていた。
国家警察は事件化すれば、例えば花岡靖子(松雪泰子)とその娘が殺されれば動き出す。しかし、民事不介入といってろくでなしの花岡靖子の元夫は捕まえない。
個人としての正義が国家としての正義に迫害されている気がした。
法治国家だからと言って、人生にとってねじれた正義を断罪出来る人間なんかいないのにな。
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3.2008年の公開時も大ヒットだったが…なぜ福山雅治vs.堤真一の『容疑者Xの献身』は「2024年のほうが“胸に突き刺さる”」のか
週刊文春CINEMA オンライン オリジナル 田幸 和歌子
2024/03/23
映画版随一の人気作『容疑者Xの献身』
最大の魅力は「数学の天才・石神」を演じる堤真一
今観るとより一層残酷さが際立つ二人の対比
作品としてわざと貧富の格差を設定したのは明らかだけれど、そこにこの物語の主題が有るのなら、凄く陳腐な物語になっている。
文春も含めて、メディアの底の浅さを露呈するから、辞めた方が良いと思うよ。
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3/23(土)