【乃木坂46】は限界効用の低減に陥っています。不足しているなと思うのは「メンバーから貰える癒し」と「メンバーの大きな夢を応援する」事。
1.【筆者のコメント】
久しぶりの大作です。
この記事を(2024.07)に書いた理由は、一言で言うと、乃木坂46からはビジネスの匂いが強まったと思うからです。
現メンバーから「応援したいと思えるセカンドキャリアの夢」を聞いていないから、ビジネスライクのつまらないグループになってしまった。AKBとどこが違うの?
生田絵梨花の卒業後の活躍という実績が出来てからでないと説得力が弱くなると思ったから今になった。
生田絵梨花卒業後に5期生が加入してきているので、要因の分岐点がはっきりしていて、2年後の結果が出ているから。
結局、コロナ後でも大きな伸びはない状態は変わらない。
5期生のキャラクターや個性やスキルがほぼ出てきているので、伸びしろとか言う曖昧な要素が少ない時期と思うから。
1).下記の記事に触発されてこの記事書いてます。
秋元康 エイベックスとアイドルグループを作る。64才になってもまだやるか?【乃木坂46】
2).ミクロ経済学の概念「限界効用」で乃木坂46を考えてみました。
★ それに触れる前に、前提として「成功したグループ」には必ず成功の因子がある。
その成功要因については、長々と書き連ねて来たのでそちらをご参考にしてもらうとして、
★ もう一つは、10年もやっていると観客側に「飽きが来る」事。
今回はこの「飽きが来る」のはなぜかという事を少し触れてみたいと思い書き出しました。
正直、秋元康が年甲斐もなく新しいグループを作ると言い出さなければ、現乃木坂46について書くつもりはありませんでした。
マーケティング、ミクロ経済学、行動心理学等々を多少でもかじっている人(筆者の様に近くで触れていいる人、研究者・学究の徒ではない人)でも、あらゆるものに、特にコンテンツ系は「永久に不滅」は無いと理解できるし、多少なりともその兆候が気になるので極力関わらない。
2022年初春に「アルノ劇場を仕掛けた運営」に対して、愚かにも反論を書いてしまった事もあり、秋元康の今回の行動に興味を持ってしまったので、追いかけて行かざるを得なくなりました。
2.どんなコンテンツでも提供し続ければ飽きが来て価値が下がって行きます。
(1)まず、「価値」とは。
「価値」には「使用価値」と「交換価値」があると思ってください。
アダムスミスは「国富論」の中で、価値には「使用価値」と「交換価値」の2つが存在すると説いた。 「前者はある特定の対象の効用を表現し、後者はその特定の対象の所有がもたらす、ほかの財貨に対する購買力を言う。
使用価値とは「使用メリット」のことであり、価値とは「労力の大きさ」のことです。 例えば、パンの「おいしさ」が使用価値であり、「作るのにどれくらい手間がかかったか」というのが「価値」でした。 商品とは、(自分以外の)他人に売るものです。
交換価値とは、商品を市場で売却したり処分したりすることで実現される価値のことです。他の商品と一定量交換できる価値ともいえます。
(2)次に、それをミクロ経済学の「効用と限界効用」で説明すると解かりやすい。
①効用関数
効用とは消費者が財・サービスを購入して得られる満足感のことです。
消費者は行動目標は一定の予算制約のもとで最大の効用を達成することにあります。
効用曲線が右上がりなのは、消費量が増えるほど効用も増えることを仮定しているからです。こうした仮定を非飽和の仮定といいます。
②限界効用とは?
■限界概念
限界概念とは、財やサービスなどの変数を微少量だけ増やしたときの、(その変数に依存する)別の変数の追加1単位あたりの増加分もしくは増加率を表します。
■限界効用
財の消費量が1単位増加したときに得られる効用の増加分を限界効用(MU)といいます。
効用曲線における接点の傾きが限界効用です。先ほどの効用曲線に傾きを可視化すると以下のようになります。
③限界効用低減の法則
★効用は、単位数を増やすと限界効用は、下がっていきます。
これを限界効用逓減の法則といいます。
消費量が増えるほど、確かに効用は増えます。
しかし、その増え方はだんだんゆるやかになっていくのです。
単位数を増やすと限界効用は、下がっていきます。これを限界効用逓減の法則と言います。
例えばラーメンを食べるとすると、一杯目は満足ですが、2杯目3杯目になってくると「もう….いい……」となると思うのです….つまり、得られる効用が少なくなっているのです。
④効用最大の消費量
★凄い極論を言うと、無料のものは金出して購入したモノより心理的な価値は下がります。
無料の水を値段を付けてコモデティーに仕上げた話。
水道水は実態と違って価値が下がっています。
(3)上記理論を乃木坂46に当て嵌めると
①女性アイドルの「使用価値」は非常に薄いし、メンバーを所有出来ないので「交換価値」をファン(購入者)は得られない。
女性アイドルは「使用価値」の割合が非常に薄く、握手会で握った手で「マスを掻く」(又は写真に向かって射精する)事の使用価値はあるかもしれない。
使用価値を突き詰めると、風俗業に近づいて行く。
ちなみに、2万円のCDを購入して、当日何時間か並んで数分の握手で満足できるのは、SEX機会が少ないオスだからであって、挿入から射精迄数分でも満足する「オス」ならではの特徴。
「メス」は自分だけ長時間を求めるので男性アイドルの握手会でのファン側の満足感が少ない。メスの場合、SEXの相手を見つけるのは簡単であり、自ら金を支払わない。
「ジャニーズ」の効用は「母性を刺激した育成ゲーム」であって、思えばいいでしょう。
レアなグッズのオークション的交換価値は発生するだろうが、ビジネスをしている側から狙って提供するものではなく、中古市場のレアものという位置づけ。
人気が無ければただのごみ。
アイドルを労働の対価で得られるものではない、つまり交換価値では無い。
②乃木坂46への消費を「限界効用低減の法則」に則ってみれば、
握手会やライブの回数が増えれば、満足度が上がって行くという事になります。その分、価値が減衰する。つまり日常の言葉で言うと『飽きが来る』と言う事。
だから提供側は、「飽きたから、応援するのを辞める」という事になる前に、新しいメンバーを提供して新しい「価値」に嵌っていただく。それがAKBが生み出したビジネスモデル。次々にオーデションをして「若い新鮮なメンバー」を提供する。キャバクラのビジネスモデルと同じ。
キャバクラは金出せばSEX出来るじゃないか?と反論されるでしょうが、SEX出来るかどうかは「価値」と対価の問題であり、しかも嫌われる客はそれも敵わない。いずれにしても飽きが来るから、目新しい若い子を常にお披露目する。
メンバーに飽きたからメンバーのお代わりを要求するのは、「ロリコンオタク」であり、人数はほぼ固定化されていて乃木坂46の場合約10万人。
若干の入れ替わりはあるが、本能に根差した性癖であれば、退出するとしたら限界効用の価値低減である。
一方、劇的に増加する事は無いのは、既にAKB48以降18年の市場なので、日本中のロリオタは既にどこかのアイドルオタクになっている。アイドルオタク市場は飽和状態である。
1学年の一定数しかロリオタに固執しない一方、何かの理由で退出する人もいるので、大きく増えていない。
乃木坂のメイン顧客である「ロリオタ」の人数がある一定数である限り、それに合わせた施策しかして打っていなければ、今後の伸びしろはない。
3.限界効用の価値低減が起こらないメンバーが少数いた。
違う視点で見て『メンバーに求める「価値」が違うファン』が存在したのである。
言うまでもなく代表例は、生田絵梨花のファンである。
卒業後2.5年経過しても、ファンクラブはますます盛況である。
では生田絵梨花ファンは、どんな「価値」を見出したのであろうか?
もちろんファンが思う価値を生田絵梨花自身がセルフ・プロデュースして作り出したものではない。
ポジティブな意味で、次何が出て来るのか想定できない人。
◎「生田絵梨花」は、多面的で分かりにくい価値であるので、その複雑性を見抜くという推し側のプライドを刺激する。
一般的な芸能人としての価値として
・ドイツ生まれのお嬢さん
・著名な音楽プロデューサー佐久間正英氏の「従姪」である
・ビジュアルが良い・好みの顔
・歌が上手い
・ピアノが上手い
・バラエティセンスが抜群にある
・料理は破壊的、絵も破壊的、ポンコツな部分が愛らしい
・変人でメンバーに迷惑かける
・大食いであり、楽屋の弁当を持って帰る
・メンバーイチの努力家
・くじけないメンタル
・なりたい自分が明確で、それに対するマイルストンを実行している
・自ら切り開く能力と意欲があり、しかもそれが運を引き寄せる
つまり、「庶民が漫画の中で見る典型的なお嬢様」というステレオタイプの人間ではなく、自分をどうコントロールできているのか?不思議なくらい多面的である。その意味での希少性は高い。
逆に、分かりにくい処が大きく劇的に広がらない所以。
◎鉄道やアニメの初期頃のオタクにある他者に分からないからこそ価値があるという自尊心を刺激する対象である。
今は鉄オタもアニメオタクもメジャーになってしまって、社会的地位が著しく上がってしまったのでわかりにくい例示かもしれないが。
◎イノベータ理論で言う処の「イノベータ」の心理状態。
誰よりも早く、希少価値を見つけて、時間経過とともに普及する様を見て、「いかに自分の見る目が高いか」と一人ほくそ笑む自己満足の極み。
◎「人はね、限界と思ってからもうちょっといける」
2014年2月に放送されたテレビ東京系『乃木坂って、どこ?』(2011年~2015年)より、「人はね、限界だと思ってからもうちょっといける」。
8thシングル『気づいたら片思い』の選抜メンバーがフォーメーションの列ごとに分かれて女子会を行った放送でのこと。
大食いで知られる生田が、満腹になったメンバーに向けて諭すようにこの言葉をかけたのだった。
その後々も生田絵梨花という人物を現わす名言になっている。
何気なく放った一言にスタジオも笑いの渦に。
“面白発言”にとどまらず、努力家な生田が言うからこそ説得力が生まれ、「彼女の生き方とリンクしている」「勇気を貰える」と多くの声が集まり、生田の代名詞と言っていいほどの伝説の一言となっている。
「腹がいっぱいだ~」という時に「まだ食えるぜ」という事を言うだけの為に選ぶ「ワードセンス」か?という温度差が凄いので、バナナマンを含め笑いが起きる。
当時17才の女子高校2年生がさらっと言った事の凄さと、それがバラエティーセンスが優れていて選んだ言葉としたら凄い事である。
それと同時に、それを言ってもおかしくないだけの日頃の努力を見せつけられているから、「何言っているんだ!」とはならず、むしろ生田絵梨花に負けていられない、とメンバー全員が思った。
ファンも尊敬の念と自らを鼓舞するきっかけになる。
メンバーを鼓舞するとしても、バラエティTVのワードセンスとしても満点のセリフである。凄いとしか言いようがない。
◎実像に近いアイドルだったはずだよね
アイドルに限らず、「コンテンツは自らの欲求や心が生み出す偶像である」という一般論がある。
生田絵梨花の場合、純粋なプライベート空間・時間以外は、限りなく実像を見せている。それも、少しずつ10年掛かって捲れて来た事実であって、自分から変人だ~とかアッピールしているわけでは無い。
多くの乃木坂現メンバーがアイドルを演じている状況との対比で、生田絵梨花が実像でしかもよりそれが「高い価値」を感じるならば、現在の乃木坂46の価値は相対的に低くなる。
『卒業メンバーの価値の分』だけ効用が下がってしまっているという状況下にある。
1期生ファンは、言葉に出さないだけで皆そう思っている。
高山一実の様に育った地元をなぜ見せないか。
親や兄弟が電話でTVに出て来て実態をなぜ暴露しないのか?
映画「悲しみの忘れ方」で生駒の実家を見せていたし、西野のじいさんと飯食っていたし、松村の実家や衛藤の実家を訪問して家族勢ぞろいしていた。ここで紹介できない位に実態のメンバーに迫る企画を沢山していたが、現在出来ないのは「コンプライアンス」とか言う怪物のせいなのか?中西アルノを見ていると「見せるのは不利じゃないのか?」という疑問が湧く。
逆に、新規メンバーがもたらす価値が「1期メインメンバー」より大きければ、再成長すると言う事になる。
リニューアル商品が売り上げをあげるのがそれにあたる。
同じ価格で新機能が加わるとか、ファンが新たな価値を感じてそれを購入する動機になる事。
5期生は、モデル事務所や芸能事務所に居そうな若手タレントの集合体であり、乃木坂既存ロリオタ以外の人にとって、乃木坂でなければ居ないメンバーではない。つまり、白石麻衣や橋本奈々未の様な「素人なのにタレントのたまごを超えている」希少性はごく薄いので、ロリオタ以外の興味をひかない。
AKBが衰退して、芸能タレントの卵が大勢募集してきて、募集要項が「加入時点で事務所に所属していない人」ならば、加入前に所属事務所を退所してしまえば乃木坂運営的には何の問題もない。
しかも、アルノ事件で
「メンバー個人の過去のプライバシーの曝露については法的処置をとる」
と脅しているので、なかなか過去が表面化しにくいから、タレント予備軍なら過去を隠蔽する事なんてやるだろう。
しかしだからこそ、「信じられない」と思う一部の賢明なファンも増えているだろう。今時、何もないわけはなく、中高一貫の女子高出身の池田瑛紗くらいしか信用できない。
希少性って、永く支持され購入されるが、規模は大きくない。
しかし、自分では手に入らないけれど憧れる人が多いモノは永く生きていける。
生田絵梨花が居た時代の乃木坂46は、その印象があったが、2024年の乃木坂46は、「価値そのものの低減」が起こっている。
TVの視聴者が払っているモノは、時間である。
個人が持てる時間は有限なモノであるという認識が広がって来た。
その有限な時間を楽しみたいと思う気持ちが現在の若い消費者の特徴でもある。
「価値」は多様化しているが、ファン個人個人の時間と気持ちとお金をつぎ込んだモノが、「自分が知っていたモノ」と違う事には大きな反発を感じる。それは、掛けて来た過去の時間とカネと気持ちを裏切られたけれど、きっぱり捨てられない気持ちも大きいので、信じた自分に嫌気があるから、裏切りの場合余計怒りは大きくなる。
5期生はもうヤバい話は出てこないのかもしれないが、6期生が又アルノ事件の様な事を起こす様だと、又周りから疎まれる事になる。
マーケティングの神様「フィリップ・コトラー」が「嘘がバレた場合損失は今までの比ではなく大きい」と言っている。
4.【ついでに!】
(1)コンコルド効果とは?
物やサービスを買う時には合理的な判断だけではなく行動心理が働いており、行動心理学を知る事で、効果的なマーケティング施策を打ち出しやすくなります。
「もったいない、取り返したい」のあげく損失拡大
コンコルド効果とは、ある対象にお金や気持ち、時間を投資し続けることが大きな損失になるとわかっていても、それまでの投資を惜しんでやめられない心理のこと。
正にオタクの心理ですね。
しかし、その上を行く気持ちがあります。それは、家族です。
赤ん坊の時からの手塩に育てた、又は育てられた時間とカネと気持ち。
乃木坂46 1期生のコアなファンは「一緒に乃木坂46を創設し成長させた時間とカネと気持ちをメンバーと分かち合っているつもりでいます」
それは3期生以降のメンバーとそのコアなファンの間には無い。単なる「コモディティー」でしかないから、時が経てば捨てる。
経済学では、スイッチングコストが低いと言います
(2)サンクコスト
しかし一般に人間は投下額が大きいほど、元を取り戻そうとする心理が働き、経済行為を中止できない傾向がある。
たとえば、イギリス・フランス政府共同の超音速旅客機「コンコルド」開発計画では、開発途上から赤字になることがわかっていたが、投資額が巨額に上ったため開発をやめられなかった。
こうした行為を「コンコルドの誤謬(ごびゅう)Concord fallacy」とか、「サンクコストの呪縛(じゅばく)」とよぶ。
(3)精神的コストの削減が、人の行動原理だ
「行動デザイン」を学ぶ第7回:
「人が感じる5つのコスト」(金銭的コスト、時間的コスト、肉体的コスト、頭脳的コスト、精神的コスト)の中で、もっとも見落としがちな「精神的コスト」について考えていきたい。
◎人は自由を我慢して生きている?!
「憎まれっ子、世にはばかる」という諺があるが、幸いなことに、他人に憎まれないように振るまえる人の方が圧倒的に多いので「憎まれても平気な人」は常に少数であり、それゆえに時に他人に大きな影響を及ぼす(世にはばかる)。「憎まれるほど害はないが、他人に気を使わない」タイプの人間は「自由な人」と呼ばれ、集団の中では少し浮いた存在として認識される。多くの人はそう思われないように、「自由である権利」を抑制して我慢して生きているのだ。そのストレスもまた「精神的コスト」の一種ということになるだろう。
◎「他の人もやっている」選択に、人は心惹かれる
「同調」も認知バイアスの一種である。
「人と違う方向に歩く」「誰もやっていないことをする」といった行動は、自分だけが犠牲になるリスクがあるので、それを回避する方が脳の感じるコストは小さくなる。「多くの人に選ばれている」「○秒に1本、売れています」といった訴求が意外に効果的なのは、それを選ぶことで精神的コストを節約できるからだ(多数派同調バイアス)。
「制服」の普及も「精神的コスト」で説明できる。好きな洋服を着る権利や自由が保証されている時でも、例えば、毎朝「何を着て行こうか」と悩んだり、クラスメイトと洋服がかぶって恥ずかしい思いをすることが実はストレスであり「精神的コスト」が大きいのだ。
「誰かがルールを決めてくれた方が楽」という気分は、確実に存在している。人は一般に押し付けられたルールには反発するが、自分の精神的コストを下げるルールなら喜んで同調する可能性がある。
◎郷土愛も精神的コストを引き下げる
制服のメリットは、このような精神的コストの回避だけではない。「集団への帰属を可視化できる」ことも制服や徽章の大きなメリットだ。集団から排除されたら、(特に古代では)生きてはいけない。集団への帰属、集団が共有する規範への同調は、生存に関わる重要なテーマだったのだ。
「郷土愛」のような感情も「精神的コスト」に関わっている。
自分の出身地を代表するような商品を自分が選択しないことにも、他人がそれを選ばない(否定する)ことにも強い感情が生まれ、その感情の処理に大きなエネルギーが消費される。自県代表の商品を自分で買うという行動は、むしろ精神的コストの削減につながるので喚起しやすいのだ。
◎人は他人のためなら動きやすい
顧客本人が「欲しい」「したい」と思っていても、それが行動につながるとは限らない。
その障壁はさまざまだが、その多くは「5つのコスト」で大体、説明がつく。例えば、「ロボット掃除機を欲しい」と思った主婦(特に専業主婦)が購入をためらう理由は、実は「金銭」よりも「精神的コスト」が大きいという。なぜなら普段、家庭にいることが多い専業主婦の場合は、特に自分が家にいてテレビを見ている間にロボットに掃除をさせている状況に「後ろめたさ」を感じ、「誰かに後ろ指を指されるのでは?」と気が引けてしまうからだそうだ。昔、食器洗浄器が普及し始めた時代にも同じような話があった。
だから、食器洗浄器のセールストークの決め手は「あなたの家事が楽になりますよ(自分が手抜きできる)」ではなく、「皿洗いを機械に任せれば、その分子どもや家族と触れ合う時間が生まれますよ(家族の時間を生み出す)」だった。自分のためには行動しにくくても、家族や大事な人のためには行動しやすいのだ。
◎ OK率を高めて、押し付け感を回避する
旅行や外食に一人で行く人はまだ少数なので、行き先に関しては相手の同意が必要になる。本当はマニアックなところに行きたくても、相手にその趣味を押し付けるのは抵抗がある。筆者は「OK率」と呼んでいるが、相手が喜んで同意しそうな行き先(=OK率が高そうな場所)が提案され、採用されることが多い。だから誰もが否定しにくい無難な場所、「みんながよく行く場所」が「鉄板」としてますます一人勝ちしていくのだ。外部の評価サイトの評価スコアが参照されるのは、評価が高ければ不安(精神的コスト)が削減されるからだ。評価サイトの評価が高くない、あるいは評価サイトに出てこないような観光地、テーマパーク、外食などは、この「OK率」をどう高めるかがブランディングやコミュニケーションの課題になる。
余談ですが、Z世代と言われる連中の中に、特に一人っ子は他人という概念が薄く、共同体に参加しないと生きていけないとは思っていない。
それが、中間管理職を悩ませる源である。
【上記各理論から言って】
生田絵梨花程に卒業後の活躍が期待され約束されているのであれば、彼女のファンを辞める事は心理的に割に合わない。
自分の過去のつぎ込んだ金と時間と気持ちは正解だったと納得させる方を選ぶ。
その為には、ファンを継続し続ける方が気持ちを納得させられる。
一方、生田絵梨花ファンは、変わったものを選んでいる自覚は無く、特選品を選んでいると思っている。多様性を理解している人達かもしれない。
自身が孤立を恐れないかどうかは不明だが、変人で理解しがたいからこそファンになっている自覚はある。世の中に受け入れられるかどうかは選別の理由にはなっていないが、世の中に知れ渡って行く過程は楽しい。