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【少子化シリーズ】専業主婦になりたい若い女性ってどの位いるの?

1.【筆者のコメント】

「富裕層でお金使い放題なら、働かないだろう?」それが本音だけれど、そんな金持ち日本に数%しかいないから、将来の為に働くのだと思う。

バリキャリは、結婚しにくいという実態もあるしね。女医と東大卒の女性は独身率高い。
「とりあえず結婚はしたいが、子供は1人で良いかな?」
が本音なんじゃない。


※ 表紙は「古典的な理想のママ」のイメージイラスト。
専業主婦だから子供に愛情を注げるという「思い込み」が有るから、
この絵を見ると、専業主婦と思っちゃう。
しかし実態は、経済環境が良くなったのに、何故専業主婦が減っているの?

【解説】バリキャリとは
「バリバリ働くキャリアウーマン」の略で、積極的にキャリアを積み、昇進・昇給していく女性を指します。仕事一筋に頑張り、大きなプロジェクトに関わったり、リーダーとして後輩や部下を率いて業務に取り組むといった、社内でも中心となるようなメンバーといえるでしょう。



2.専業主婦ってどの位いるの?

戦前の農家では、理想の母親が存在していたが、専業主婦ではなく農作業も手伝っていた。
目が廻る忙しさだけれど、その原因は舅や夫の横暴ではなく、農業自体の生産性の低さ。


1).専業主婦はいつ定着したのか
  ~そして未来は?意外な歴史を探る

石渡嶺司大学ジャーナリスト


★ 江戸~昭和戦前に専業主婦は傍流

ところで、専業主婦はその存在の前提として、家計を支え得る配偶者が必要です。
では、武士階級に公家など結婚した女性が専業主婦で成立し得た人口はどれくらいか、と言えば10~20%程度。
一般庶民は夫婦で働かなくては家計が成り立ちませんでした。
これは明治以降、大正から昭和の戦前でも同じです。


少し時代は飛びますが、1933年(昭和8年)『経済座談』(平井泰太郎、千倉書房)には、
「ちかごろ共稼ぎがだいぶ増えたと言われるが、サラリーマンにそういうのが増えただけだ」
とあります。

大正時代の雑誌『主婦之友』1921年6月号「職業婦人の悲痛なる叫び」には、子連れ禁止だった学校に勤務する女性教師が用務員(記事では「こづかいさん」)に頼み込み、用務員室で授乳した、との手記が掲載されました。

つまり、専業主婦という選択は戦前においてはそれほど多くない選択肢だったのです。

★ 戦後に専業主婦が急増した理由

1945年、日本が敗戦するとGHQが日本を統治。同年、五大改革指令が出ますが、その一つが女性解放です。
旧民法も戸主権や「女性の無能力」規定などが廃止。1946年の衆議院選挙では婦人参政権が行使され39人の女性代議士が誕生します。
歴史などの教科書の記載から、「これで女性解放が進んだ」と考える中高生や一般人も多いでしょう。
が、実際はそう単純ではありません。
戦後、1950年代から1960年代にかけて、専業主婦が増えていきます。

これには四点ほど要因があります。

一点目:第一次産業から製造業への転換

塩原秀子・帝京大学講師の「既婚女性の労働」(『帝京経済学研究 38』 2005)では次のように述べています。

戦前から戦後の1950年代頃までは、産業の中心が第一次産業であり、したがって、農林漁業 従事者が多く、男女ともに就業していることが多かった。この頃の女性の就業は、農業以外は家事使用人、女工など一部の職業以外難しい状況にあり、このため、有配偶女子の非農林漁業就業率は 1940年13.0%と大変低いものである。敗戦後、日本経済が復興する1955年頃から、日本の産業構造は第一次産業から製造業を中心とする第二次産業へと高度化し、農林漁業に従事する有配偶女子は次第に減少し、非農林漁業への有配偶女子就業率は高くなった。
これに補足すると、戦争中に男性は徴集され戦地に赴いていました。だからこそ、女子勤労挺身隊が結成され、工場での勤労奉仕をしていたのです。
それが敗戦により、男性が帰国。復興と相まって工場等での勤務者が増えます。そうなると、女性労働者とバッティングしてしまいます。

二点目:製造業を中心とする経済成長

戦後、日本は高度経済成長を成し遂げます。それだけ豊かになれば専業主婦が成立するのは当然です。
何しろ、専業主婦が成立する前提となる「配偶者が家計を支える」ことが可能なので。

三点目:「幸せ主婦」の出現
(後で書きますが、この世代から、サラリーの銀行口座振り込み、キャッシュカードを奥さんが握るという状態になります。実質家庭の女帝です。)

戦前は結婚は恋愛結婚よりも家と家のつながりが重視されました。そのため、姑による嫁いびりは普遍的なものでもあったのです。それが戦後、大きく変化します。
『専業主婦が消える日』(金森トシ江・北村節子、有斐閣、1986年)には、こうあります。
第一次ベビーブーム世代がいわゆる結婚適齢期に入った70年代前半には、婚姻件数が年間100万組を突破するラッシュの時期を迎える。こうした新婚組を含めて、高度経済成長期には都市化、核家族化、サラリーマン化が進む。そのサラリーマンたちは昇級・昇進を明るく約束されて仕事を生きがいとし、妻の多くは団地に象徴される平和な城の中で、家電・マイカーなど産業界からつぎつぎに提供される幸福のシンボルに目を輝かせながら、家事・育児にいそしんだ。
この時期、家事労働はまだ適当に主婦の手に残されていた。急増したサラリーマン家庭の主婦の多くは、その母の世代の貧乏苦労や姑苦労や多勢の子育てや重い家事労働から解放された。

戦後の男女共学と職場の男女交際の歳月は、恋愛結婚組もふくめて夫婦の間に友だちのような一種の平等感をもちこんだ。
少なくとも当時20代、30代の主婦たちは※、その母の世代のように関白亭主の横暴さに泣かされる体験からも解放された。
(※現在約70才~80才の女性)

四点目:政府の方策

政府の方策は憲法・民法などの法制面では男女平等としていました。が、実際は男女平等とは言えない面も多々あったのです。
1958年には学習指導要領が改訂され(1962年から施行)、中学校の「職業・家庭」は「技術・家庭」となり、家庭は女子のみ必修となりました(男子は技術を履修)。同じく高等学校普通科でも女子は家庭一般が必修扱いです。
戦前、勧業銀行で誕生した性別定年制度は戦後、各企業に引き継がれ、低賃金で働く主婦パートが誕生したのも戦後です。
1962年には池田勇人内閣が「人づくり」政策を発表。社会、学校、家庭を健全化することで人間性の回復を目指す、という政策でした。この中で池田本人の発言でないにしてもよく登場したのが「母親は家庭に帰れ」です。どこかで聞いたような、と思いきや、何のことはない、戦前・ナチスドイツの女性政策をそのまま踏襲しています。
が、当時はこうした政府の方策が差別的、と批判されることはほぼありませんでした。

以上の四点、どれか一つが専業主婦志向を高めた、ということではないでしょう。それぞれが複雑に絡み合った結果、専業主婦志向が高まっていった(あるいは女性のキャリアは専業主婦になるのが当然視されていった)、と見るのが自然、と考えます。


★バブル期と2010年代の奇妙な一致

同記事では女子大生の就職意識(日本リクルートセンター調査)で1985年卒について、
「子どもができても定年まで仕事をもちつづけたい」30.3%、
「子どもができたら仕事をやめ大きくなったら再就職したい」46.5%、
「子どもができるまでは仕事を続けたい」13.2%
というデータを掲載しています。

一方、「希望する結婚生活」(リクルート調査月報1985-1-2)については

「専業主婦となるが余暇は自分のために使う」26.6%、
「専業主婦となり自分の余暇よりも夫や子供のために時間を使う」18.3%、
「結婚後も仕事を持つが夫や子供に迷惑がかからない範囲で働く」51.1%、
「結婚後も仕事を持ち、夫や子供にも多少負担をかけることになっても仕事中心の生活を送る」4.0%。

記事では「彼女達のイメージするキャリアライフは、多分に家庭中心的なものなのである」としています。

この状況は30年後の2010年代前半でも、奇妙なまでに一致します。
『専業主婦になりたい女たち』(白河桃子、ポプラ新書、2014年)には、2012年の早稲田大学2・3年生(112人)、2013年の都内中堅女子大1年生(1098人)への「理想ライフプラン」についてのアンケート結果を掲載しています。

設問の「バリキャリ」は総合職などで男性と同等にかつ安くすること、「ゆるキャリ」は事務職などで補助的なしごとをすることを意味します。

「バリキャリで一生働く」は中堅女子大18%、早稲田43%。
「ゆるキャリで細く長く」は中堅女子大38%、早稲田29%。
残りの「いつかは専業主婦」「子育てで辞めて復帰する」「バリキャリで太く短く」(30歳前後まで働きその後は家庭に入る)の3選択肢を足すと、中堅女子大44%、早稲田28%。

この数値が「これが隠れた専業主婦願望、『いつかは専業主婦』の正体だと思います」と著者は指摘しています。

同書では、「一度仕事を辞め再就職した女性で、年収300万円以上になる人はわずか1割」(2011年お茶の水女子大学調査)などを紹介したうえで、
大卒でもよほどの専門性か国家資格でもない限り、仕事の流動性の低い日本では「一度子育てで無業になる」ことは、その後「年収100万前後のパート職」になることを意味します。
と、警告。

さらには、一部の本当に裕福な人、ご家族や自分の病気等の事情がある方は別として、専業主婦が減り、働く女性が増えることでさまざまな変化が起きる、と信じています。「GDPアップ」「少子化、結婚難の解消」「若年、高齢女性の貧困防止」「働く次世代の育成」そして「働き方革命」。今まで私たちをはぐくんでくれた母なる専業主婦という存在に大きな感謝と尊敬をささげ、そして勇気を持って別れを告げ、未来へと向かうときが来ているのではないでしょうか。
と同書のラストで提言しています。


★共働きは専業主婦の2倍、パワーカップルも

1985年~1995年生まれであり、親世代は1960年~1970年生まれ
男女共学と職場の男女交際の歳月は、恋愛結婚組もふくめて夫婦の間に友だちのような一種の平等感をもちこんだ世代。その母の世代のように関白亭主の横暴さにや嫁いびりに泣かされる体験からも解放された。
その代わり毒親に育てられた第一世代かもしれない。


★この提言は現実のものとなりつつあります。

2018年、専業主婦世帯と共働き世帯は600万世帯・1219万世帯と1980年のほぼ逆になっています。

安倍内閣の女性登用政策により、各社とも女性総合職の採用増加や育休後の復職プランなどの整備が進んでいます。
産経新聞2018年11月15日朝刊では「高い購買力・情報発信力…企業が熱視線 共働き高収入夫婦『パワーカップル』」記事で、タイトルにもある「パワーカップル」を紹介。
三菱総研の定義では、「パワーカップル」は共働きで、夫の年収が600万円以上、妻が400万円以上で世帯年収が1千万円以上の夫婦を指す。
同じ世帯年収1千万円以上でも、夫が1人でほとんどを稼ぐ家庭と比べると、パワーカップルの月間消費支出総額は約1・4倍も多いという。調査会社「エム・アール・アイ リサーチアソシエイツ」のアナリスト、小川歌織さんは、「同じ世帯年収でも2人で稼いでいるほうが、万一、どちらかに何かがあっても安心という感覚があり、消費意欲も増すのではないか」と分析する。

2019年現在は、と言えば、専業主婦が減りつつも、まだまだ移行期にある、と言えるでしょう。
30~40代の婚活では専業主婦希望の女性がまだ一定数います。
一方、婚活サイトでは、共働きを前提とするキャリ婚が登場するなど、変化も出ています。
今後、労働や結婚の価値観が変わっていく中で専業主婦もまた大きく変わっていくに違いありません。


【筆者の疑問】

■共働きは誰の為?

男性にとって働く事は、「家族を守るという本能のミッション・スイッチ」が入った状態であり、筆者は「ヒロイズムスイッチ」と呼んでいる。

家族の家計や子供に少しでも良い教育をしてあげたい為であり、仕事が自分の生きがいになっている人は少ないだろう。
まして、仕事が自己実現の手段となっている人はほぼいない。
過去は、稼ぎは少ないけれど自分の腕前を磨く職人が誇りだった人も多かった。


■女性にとって働く事は、誰の為?

よく聞く話は、一戸建てが欲しいとか子供の教育だとか老後資金だとか言っていますが、ゴールはどこなんだろうか?

例えば、忙しいがために子供がかぎっ子で寂しい思いをするとかは取り合わない。金銭的余裕が幸せなんだろう。


共働きだから家事や育児の負担を公平にしましょうという事は言い訳であって、家事や育児が嫌いだという事を言ってないだけ。
専業主婦でも、家政婦さん付きで小遣い使いたい放題ならどっちを選ぶか??調査が無いだけじゃないか?


子供に金かけたいと言っているが、小学高から大学まで私立に通わせるとすると、月謝だけでなく、習い事、塾、ママ友交際費等多額の金がかかる。
平均100万円/年以上、総額1800万円から2000万円は見積もりたいとすると、共働きで年収1千万円では子供2人分には足りない。

【余談ですが】乃木坂46の1期生に、女子高カルテットなるグループがあるがその中でも幼稚園から私立に通わせていた桜井玲香の習い事は6つ。
多分それだけでも月額4~6万円はかけていた。彼女の親は神奈川の富裕層と言われていたが、一人っ子だった。
そう!年収3千万円以上無いと2人の子供を理想の状態に出来ない。

【筆者が思う本音】
なぜ女性の社会進出を誉めそやすのか?
反対に、専業主婦は褒められない。

専業主婦は褒められない、憧れられない、承認欲求を満たせない。基本「アイドルの様なきらびやかな生活」をしたい。という事を言えないけれど。

だから、家事・育児はやりたくない。
「男が子供を欲しがるなら、お前が育児をやれよ!」

一方、優雅な専業主婦ならやりたい。


終わり


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