見出し画像

『伊東乾氏』これは合点がいく、松本人志批評。

1.【筆者のコメント】
この『伊東乾※』氏の記事は是非皆さんに読んで欲しくて取り上げています。

松本人志の芸は、強い者が弱いものをいじめる『悪質な笑い』だった。
これを機会にいじめ芸が一掃されて欲しいと言っています。

※芸能記者や○○評論家ではなく、東京大学教授で作曲家=指揮者です。

一つ懸念があるとすると、この人自体が「バカ」を寛容できない事が無いように祈っています。


2.横山やすしの教えを理解できなかった「松本人志」

「笑いのつぼ」を勘違いした「いじめ芸」の終焉

伊東乾  2024.1.15(月)


私はタレントのスキャンダルを書きたてたいわけではなく、このような一種の社会的な「脱臼」を期に、日頃見慣れて感覚がマヒしている、実は異常な状態に、警鐘を鳴らすことを一番大切に思っています。

 1月12日付JBpress記事「叩かなければ笑い取れないのか、芸人の“どつき芸”、もう終わりにしないか」は、放送・構成作家の方が書かれた原稿とのことで、私の視点と一致する面がいくつもあるように思われました。

  **** 中略 ***


「横山やすし」が松本人志に教えたこと

 1982年、亡くなった横山やすしが司会を務めていた『ザ・テレビ演芸』(テレビ朝日系)に『ライト兄弟』という古い芸名で、松本人志と浜田雅功が出演した回がありました。

 そこで披瀝された演目は「家庭内暴力」を扱うもので、「子供」が「親なんかあまやかしといたらあかんぞ」と、子供の目線で親への暴力を肯定するボケを松本がかますというものでした。

 当時高校生だった私は「ザ・テレビ演芸」が好きで、よく見ていましたが、横山やすしの芸談はなかなかスジが通っていて、感心させられることが多かった。

「ライト兄弟」の場合も典型的で、終了後、横山やすしは「あのな、漫才師なんやから、何喋ってもええねんけどな、笑いの中には『良質な笑い』と『悪質な笑い』がある。で、あんたら2人は悪質な笑いや」と全否定してしまいます。

「それと、出てきてね、テレビで言うような漫才とちゃうねん」
「例えばやな、おとうさん、けなしたりとかな」
「自分らは新しいネタやっとると思うとるねんやろけど、こんなんは正味イモのネタや」

 とケチョンケチョン、実に見ていて溜飲が下がりました。

「笑い」とりわけ「ボケ」には「価値の転倒」がしばしば伴いますが、その「転倒」を松本人志は勘違いしているわけです。

 松本人志は、自分が「オモロい」とか「ムカつく」とか感じたものに脊髄反射的に罵声を浴びせる。

⇒それを取り巻き、特にティーンなど精神年齢がまだ低い幼稚なファンが考えなしに「笑う」。
⇒それで「笑いが取れた」と思い込み、自分には才能があると信じ込む。

 こういう悪循環をデビューから最後まで繰り返すことになりますが、「ダウンタウン」という芸名をつける以前の段階で、横山やすしは正確に病状を指摘しているわけです。

 でも、それから42年間、松本人志本人はキャリアが終わるまで勘違いに気が付かなかった。自分には芸も何もなく、単にタブー近くの話題に触れると客が沸くのを才能と思い違いしていた。

 それだけのことに過ぎません。このタレントに経済効果以外、何か「才能」があると判断する根拠を私は見出すことができません。

「売れてナンボ」の世界です。

 そして、かなりマズいものだが一時期売れた。それを「芸能界の大御所」扱いして利権を守ろうとしたプロダクションや代理店、局との共犯関係が、勘違いを「覚めない夢」として42年も永続させてしまった。

 それと、関西の演芸で歴史的に用いられ、洗練されてきた「ドツキ」「はりたおし」とは全く違うものです。というより、ほぼ性格が正反対のものです。

 今回は「どつき漫才」の常識の源流探訪として、きれいにお目に掛けましょう。

そして、こうした「しゃべくり」の「漫才」ではない、古くから伝承されてきた「萬歳」という別の技芸、このなかに相手を「ハリ倒す」笑いの原形が受け継がれていた。

 そして「いとこい」「やすきよ」以来の大阪漫才の職人気質に照らすなら、この「ハリ倒し」をポルノ化したものが、ダウンタウンの「芸」として、変に財貨を生んでしまったものの実態だったと、指摘する必要があるでしょう。

  **** 中略 ***


 扇子をもって「太夫」が真面目なことをいうと、ツヅミを持った「才蔵」が可笑しなことを言ってはぐらかす・・・。

 今日でいう「ボケ」の原形。

 これに対して「太夫」が、手にした扇で「才蔵」の頭をピシャリと叩いて「エエかげんにシナサイ!」でオチが着く。

 このような元来の牧歌的な萬歳にご興味の方は、砂川捨丸(1890-1971)中村春代(1897-1975)(「捨丸・春代」)の動画などをご覧いただくとよいでしょう。 

 上のリンクでは約10分の高座でまず最初の4割、4分20秒周辺で「胸へのドツキ」が見られます。

 次いで4分50秒周辺、真ん中あたりで、頭を素手で叩くところまでエスカレートし、佳境に入った7分18秒あたりと8分近辺の2回、扇子で派手に捨丸師匠のおでこを春代師がハリ倒して観客が沸く。

「序・破・急」という能狂言の基本に則して、客の笑いを取っているのがはっきりと分かります。こういう「ドツキ」は否定されるようなものではなく、狂言同様、長らく伝えられてしかるべきものでしょう。

 ここで使われている「張り扇」は、伝統的にお能の稽古などで拍子をとるのに見台などを叩くものです。

 こんなもので相手の頭など叩いてはいけないわけですが、そのお行儀の悪いことをやって、笑いを取っている。

 とりわけ捨丸・春代の場合、女性の春代師が男の捨丸師匠をぶっ叩くという、当時の男性優位だった日本社会の日常を転倒するところに爽やかな「笑い」があった。

 文化人類学者の山口昌男さんは「祝祭的転倒」として、迂遠な日常の価値をひっくり返すところに笑いがあふれる芸のダイナミクスを鮮やかに分析しています。まさにその典型になっているわけです。

 大阪「笑いの殿堂」第一回に「叩かれて 鼓とともに70年」として捨丸・春代が顕彰されているのは、理由のないことではないのです。

 日頃強そうにしている奴が、やり込められてあたふたしたりするから「面白い」。

 西川きよし・横山やすしの漫才でも、日頃威勢のいい「やっさん」が眼鏡を取り上げられて「あ、メガネ、メガネ」とやり込められるから「面白い」。

強そうにしている奴がやられるから、見ている側も安心して笑えた。

 それが、日本の多くのシリーズ時代劇(「水戸黄門」「大岡越前」「遠山の金さん」など枚挙のいとまがない)から優雅で日本的なプロレスリング(古くは「力道山・豊登vsシャープ兄弟」「ジャイアント馬場vsアブドーラ・ザ・ブッチャー」などなど)でもお決まりの「勧善懲悪」で、強弱のバランスが逆転してシーソーが人揺れして「ども・ありがとうございましたー」となる。

 そういう意味では、こうした「ドツキ」の根は深く、おそらく「日本大衆芸能」がある限り、なくなることはないでしょう。

強者が弱者をいじめる暴力は「笑い」か?

 さて、10代の松本人志たちが横山やすし師匠に「あんたら2人は悪質な笑いや」と言ったのは、どんなものだったか?

 文字面だけ見ると「立場が弱い子供」が「お父さんお母さん」などの「親」に逆襲するという「日常価値の転換」のようにも見えるプロットではあります。

 ところが実際に扱っているのは、体力に勝るティーンの子供たちが、40代、50代のお父さんやお母さんに奮う、新聞で扱われていた「家庭内暴力」社会問題そのものの構図です。

 それが日常なのだから、ちっとも価値など転倒しない。

松本人志は、お父さんの藁人形の鼻に釘を打ち付けて苦しめるといった内容を語り、観客席からは、声の高い「幼い笑い」が返ってくる。

 大人は反応しない。単にイヤな顔をして黙っていたはずで、それを「ちっともウケん客やな~」程度にしか松本人志の了見では、受け止められなかったらしい。

 実際、録画でもスタジオの客席は全然沸かない。

 当時17歳だった私がテレビで見ていても「やだな」と思う程度に「家庭内暴力ポルノ」、最悪な画面でした。

 むしろ「親なんかつけあがらせとったらあかんで」などと息巻いているアホなティーンを地でいく松本人志、浜田雅功を、体力では劣るだろうオッサンの「横山やすし」がこき下ろし、『ザ・テレビ演芸』という番組の全体として、まことに爽やかな話芸を等身大で成立させ、エンドマークとなった。

 横山やすしの横綱相撲で、これをもって「番組の司会進行」の鑑というべきでしょう。

 しかし、1980~90年代のテレビは「強いものが弱いものをいじめる」式の「芸」が市民権を得ていた面がありました。
 典型的なのは「熱湯コマーシャル」など、本当に体に熱さや痛みを感じる局面に、いつも「やられ役」が定番化した。
「いじられキャラ」「リアクション芸人」などと呼ばれるタレントが登場、定着していきます。
 具体名を挙げるなら「だちょう倶楽部」の故・上島竜平(1961-2022)、出川哲朗(1964-)といった人々がお茶の間に定着するのと前後して「弱い者がひどい目に遭う」シーンが画面でありふれていったように思います。
 しかし「捨丸・春代」の舞台ですら、いちど刺激に慣れてしまうと、同じものでは満足しなくなるのが人間というもの。
「芸」というものは、時間を追うごとに刺激の強度を強くしないとウケない、エスカレートの宿命を負っています。

「弱い者」が「強い者」に反撃するのは爽快ですが、「強い者」が「弱い者」をいじめるのも、慣れてくれば刺激が少なくなり、エスカレートしていくのは人間社会必定の理というべきでしょう。

 そしてこの時期、1980年代中半~90年代にかけて、エスカレートしたイジメ芸を工夫し、暴力的なシゲキに慣れてしまった日本社会で「悪質な笑い(横山やすし)」で視聴率を取っていったのが、最上級生の「ダウンタウン」と、彼らに組み敷かれる、例えば「いじられキャラ」だった山崎邦正(1968-) 後輩芸人たちという「いじめ芸ポルノ」の構図が成立していったわけです。

たまたまこの時期、彼らと同世代でテレビの仕事に携わり、古き良き日本の話芸が好きだった私には、この手の「テレビのポルノ化」は「世も末」としか言いようがないとの思いでした。

 ポルノというのは、つまりこういうことです。

仮に「男女の情事現場」とか、「局部の近接映像」といったものがテレビでオンエアされたら、人はどう反応するか?

「なになに?」と見にくる人は少なくないかと思います。と同時に、何割かの人は顔をしかめ、いやな気分になって去って行く。

 それでも「視聴率」は取れ、お金は儲かる。

 また、コアなファンは、それに味を占めてついて行くようになる。これが「ポルノ」の特徴です。

 エロビデオやら、かつての週刊誌の袋とじグラビアやらと同様、「儲かることは分かっているけれど、分別があればやらない荒稼ぎ」を「ポルノ」と呼んでいるわけです。

ところが、「松本人志」は正面からこの「ポルノ」を見せびらかすことで視聴率を稼いだ。

 単に「分別がない」だけの状態を「才能」と勘違いして「失われた30年」の病んだ社会病理に訴えた。

 そして、インターネットの登場で沈没しつつあるテレビメディア、つまり沈没途中の船の中だけで通用する「はだかの王様」という権力者に祭り上げられた。


 ホテルなどで「ハダカの王様」だったかどうかはよく知りませんが、何にしろ、いまは事務所や代理店から見限られ、切られつつある。スポンサーが降り始めてしまいましたから。

 ということで、この機にぜひ、日本のメディアが成し遂げるべきことは「ドツキ芸」がいかん、ではなく、強いものが弱いものをイジメて、それを見せびらかす、江戸時代の公開処刑「磔獄門(はりつけごくもん)」同様の「暴力いじめ芸ポルノ」の電波からの追放の方向に、各社広報担当者の意識が向くと、効果的な「ポルノ」の駆逐になるでしょう。

 ある種の「芸人」は、もう画面に乗る必要性も十分性もありません。過去の営業の惰性で、お金が回っているだけの悪循環に過ぎず、松本人志と同時に断ち切るチャンスかもしれない。

 テレビ欄の「松本人志」をすべて「トミーズ雅」に差し替えるだけでもよほど、気持ちの良いテレビに回復すると思います。少なくとも「松本軍団のいじめショー」は一掃されることになるから。

「強い者」の側に立って一部の「弱い者」がひどい目に遭うのを見て、心密に喜ぶといった状況を「弱い者いじめ」というわけで、これで視聴率が取れてしまった「失われた30年」という時代が、いかに不健康な社会心理で回っていたか、そのことをしっかり見据える必要があると思います。

 世の中全体でも「強い者」が無茶苦茶な専横を押し通し、正直者がバカを見るようなことになってはいないか?

 若者の「将来就きたい職業」の高位に「ユーチューバー」が来てしまう程度に末期的な社会を作り出してしまったのは、私たち現在の大人自身であることをよく考え、いままさに退場しつつある「松本人志」のようなタレントを持ち上げ回してきた、空疎な経済をよく反省する必要があると思うのです。


伊東 乾のプロフィール

いとう・けん 作曲家=指揮者 東京大学教授(作曲・指揮・情報詩学研究室/生物統計・生命倫理研究室/情報基礎論研究室)東京大学ゲノムAI生命倫理研究コア統括。ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督。グローバルAI倫理コンソーシアム理事。

1965年東京生まれ。松村禎三らに作曲、橘常定にチェロと指揮を師事。私立武蔵高等学校中学校を経て東京大学理学部物理学科卒業、同大学院理学系研究科修士、総合文化研究科博士課程修了。内外の作曲委嘱のほか松平頼則「モノオペラ源氏物語」、故ジョン・ケージ遺作「OCEAN」などの世界初演、NHKニュース、ETV「芸術劇場」などメディアの音楽、地上波テレビ番組「新・題名のない音楽会」音楽監督などフリーランスで活動。2000年より東京大学大学院情報学環助教授、同准教授を経て現職。慶應義塾大学、東京藝術大学などでも後進の指導に当たる。

若くして作曲・演奏で国際的評価を受けるが、並行して数理物理や脳の認知生理に基づく音楽の科学的基礎研究の欠如をL.ノーノ、養老孟司、J.ピアース、M.マシューズ、猪瀬博、村上陽一郎、G.リゲティ、L.ベリオ各氏らから指摘され、これに着手。P.ブーレーズ、P.エトヴェーシュらと「スペクトラル・コンダクティング」指揮法メソッドを創成、K.シュトックハウゼンならびにバイロイト祝祭劇場とは脳認知に基づく時空間表現手法を体系化し、それらに基づく創作活動のほか、新ベートーヴェン全集、新モーツァルト全集の録音など演奏・録音活動も推進している。

並行して2006年、地下鉄サリン事件の実行犯となった物理学科の同級生、豊田亨氏の真実を描いた『さよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗った同級生』(集英社)で第4回開高健ノンフィクション賞を受賞。

これ以降、科学者の社会的責任、科学の倫理を問う著作を発表。福島原発事故以降は放射能の保健物理や炉心分解ロボットなど情報システムの倫理、さらには電子情報金融などを含む高度自律システム、AIの倫理に研究範囲を拡大し、ミュンヘン工科大学Facebook AI倫理研究所と共にグローバルAI倫理コンソーシアムの創設に参加、理事を務める。新型コロナウイルス感染症蔓延後はパンデミックの防疫、生物統計、生命倫理などニーズによって研究範囲が拡大。東京都世田谷区の新型コロナウイルス後遺症統計の解析責任者などを務め、音楽の枠を超える倫理と人道を問うテーマにも正面から取り組む。
また伊東研究室ではコロナ以降、ヒト被験者を用いないセキュアなテーマである古巣の物性基礎研究を白川英樹教授らと共に再拡大し、2次元有機導体ナノシートの量子化電流発見など新現象に基づくオリジナルなモジュール群の創成・そのリハビリテーションなど福祉目的への応用なども進めている。ウクライナ開戦以降は共生のアート&サイエンス国際発信も活発化させ、「STREAM教育」の国際プロジェクトでは

<「1分子のゆらぎ」が「1ニューロンのインパルス」を生み「ひとつの気づき」に至る>をモットーに最先端かつ最も高度なモラル水準で横断的な芸術基礎研究を率い、内外で後進を育成。この間、一音楽家としての創作・演奏のペースは一切落とさず、すべて自身で手掛け、JBプレス原稿も本人が手で打っている。

他の著書に『表象のディスクール』(東大出版会)、『知識・構造化ミッション』(日経BP)、『反骨のコツ』(団藤重光との共著、朝日新聞出版)、『指揮者の仕事術』(光文社)『低線量被曝のモラル』(共編著 河出書房新社)『聴能力』(集英社)『スペクトラル・コンダクティング』(東大出版会)など。

終わり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?