『私が陸上にのめり込むまで〜ポテンシャル勝負編〜』

前回までのnote.を読んでいただきありがとうございます。

前回の部分で「私が陸上と出会うまで」というテーマで書かせていただきました。
今回の「私が陸上にのめり込むまで」というテーマで書かせていただければと思います。

『私が陸上にのめり込むまで〜ポテンシャル勝負編〜』

私はお話した通り、中学では野球・テニス・陸上・軽く卓球などをやっていました。結局、全てにおいて走りで勝負していることに気づき、陸上ならば私の強みを活かして勝負できるのでないかと思い、陸上1本で勝負することに決めました。
ちなみに中学生の頃の100mのタイムは11”7ぐらいであったと記憶してます。
全中にも出れないレベルなのでまったく速くないですよね?

私が通っていた高校はスポーツが盛んではなく、力を入れている感じもなく、校則がとてつもなく厳しい高校でした。そのため、上を志してやっている同級生もいなく、部活が終わってみんなで話をしたり、カラオケに行くなど遊びの方がメインになっていた記憶があります。今思えば、本当に速くなるための練習をまったくしていなかったと思っています。
そんな状況で陸上をやっていても速く走れるわけはないですよね。
なので、1年目の100mのタイムは11”4ぐらいでした。なぜ0.3秒速くなったのか意味がわからないですね。
ここからこのまま競技をなあなあのまま続けて良いのかと思い始めるのですが、まだまだどのようなことをしたら速く走れるのかわからなかったため、自分で考えて本当に少しずつですが努力していきました。
高校2年生でようやく都大会に出れるようになり、ここで活躍したいなと思い始めてのも少しずつ心に火がついたきっかけになったと思います。
その成果が少しずつ出てきて、秋の新人大会で初めて10秒台で走ることができました。
たしか10”97・10”92だったと思います。

これは独学というか自分の思い込みだけの結果なのでたまたまかもしれませんが、初めて10秒台が出たときは本当に嬉しかったです。

このあと本当の転機が起こります。
私は高校2年の冬に転校することになりました。
転校先の高校の陸上部の顧問の先生がインターハイなどでも審判長をするような陸上に関する知識がとてつもない先生で運命的な出会いだと感じました。

今まで独学で自分の好きなように行っていた練習が、1ヶ月のメニューが出され、内容や意味が書かれており、陸上の練習ってこうやってやるのかと初めて知ることができました。
そこの陸上部は私以外100mが12秒台の選手で決して速いとは言い切れない状況でしたが、みんなの陸上に対する取り組む姿勢が本当に素晴らしかったことを覚えています。
また、先生も質問したり、些細なことでも答えてくれるような先生で話しかけやすく、暖かく見守ってくれるような指導でした。(お腹すいたときは怖かったですが。笑)

10秒台を出し、やる気に満ち溢れていた私に素晴らしい指導者が指導をしてくれたらやる気は倍増し、陸上にのめり込んでいくのも必然ですよね。

そして、迎えた高校3年生!
無事に都大会に進出した私はここでとてつもないバケモノに出会います。
ここで彼の存在に気づくのもぶっちゃけ遅いですが、一緒に走ったときの衝撃はハンパじゃなかったです。
その彼とは、その年のインターハイチャンピオンである小林雄一くんです。
ですが、私も初めて本気で冬季練習を行い、陸上というものと向き合ってきました。
冬季練習をしっかり行ったおかげかいつでも10秒台で走れるようになっていた私でも、都大会の決勝ではまったく歯が立たない2位であったことを覚えています。(たしか0.3ぐらい離されたと思います)
100m・200mも2位は悔しかったですね。

そして、人生で1番悔しかった大会を迎えます。
インターハイに繋がる南関東大会ですね。

100m・200mを東京都2位で通過した私は、自分の力を出せればインターハイはいけるよと東京都の関係者の方々から言われていましたし、自分でも調子が良いと思っていたので大丈夫かなと思って挑んでしまいました。
先に行われた100mでは調子が良いと思っていたのがあたり、10”73という高校ベストで走ることができました。ですが、順位は神奈川の壁に阻まれ、7位でインターハイ出場を逃してしまいました。(桐蔭学園3人に負けるという悲劇。。。)
速い選手に囲まれて走るのが初めてだったので自分の走りがまったくできなかったのと、この結果で次の日に200mがあるにもかかわらず泣いてしまったのが未熟であったと思いますね。
実は200mの方が自己ベストは速く、21”6ぐらいをもっていたので自信がありました。
ここも経験不足で向かい風2m以上が吹く条件下で、こんな強い風で走ったことのない私は、後半に失速してしまい、しかも22秒かかってしまいました。順位は100mと同じ7位とインターハイの切符を手に入れることができませんでした。
このあと中央大学の後輩として入ってきた2人がこの試合の100m6位と200m6位だったことはウケましたね。笑笑(後々知りましたが2年生に阻まれたということですね。)
南関東で100m・200mともに7位で落選する選手は私以外いないぐらい最悪な結果でした。(人生で1人だけ同じ境遇の人に出会いましたが。。。笑)

これにより、自信がまったくなくなり、陸上に見放されてると感じ、これは辞めた方が良いと思い、しばらく練習することができませんでした。


『私が陸上にのめり込むまで』の高校生編は本当に思い入れが強く、この時期に頑張ったことが今後の飛躍に繋がると思うので書くことが多くて困ってます。
ここからが自分の行動力の素晴らしさを感じる場面なので次回にしようと思います。
「次回・行動力」です。楽しみにしてください。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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