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母と美術館へ

母と以前から行きたかった美術館へ行ってきた。本当は子ども達も一緒に連れて行きたかったのだが、まだ静かに見れる年齢ではないのでその間は夫が近くの公園で遊んでくれることになった。(本当に感謝。。)

美術館でゆっくり絵を見るのは何年ぶりだろうか、日常を忘れられる時間を過ごすのも、どのくらいぶりだろう。
こんな素晴らしい休日があっていいものかと思ってしまうくらい幸せな時間だった。

"母と二人"というのも特別だった。
躁鬱病を患う母は比較的安定している時でないと外出は難しいので、計画を立ててもなかなか予定通りにいかない為、その日の体調で行けるかどうかを決める。

長い鬱の後は躁状態になりやすいので注意が必要なのだが、最近は比較的安定した日が続いたので思い切って出掛けることにした。父は最近忙しかったので、今日は自分の身の回りのことをやりたいようでまたの機会になった。たまには離れてお互い楽しむのも必要だ。

母と二人デートは初めてかもしれない。
お互い年齢を重ねて丸くなったので、二人で長時間一緒にいても以前のように衝突しなくなった。このタイミングでの二人の時間は、私にとってとても大切な思い出になりそうだ。たくさん写真を撮っておいて良かった。

見に行った作品はグランマ・モーゼスの美術展。昔のアメリカの農村風景と小人のように小さな人達、柔らかく多彩な色遣いが特徴的な絵で、どの作品も懐かしさを感じられる絵だった。

グランマ・モーゼスの事は初見だった。けれど彼女の作品はなぜか知っている気がする。案の定いろいろなところで使われているようで、クッキー缶やトートバッグを飾られていたのを見たとき腑に落ちた。私はきっと幼い頃からこの絵とどこかで出会っていて、きっとそのたびに心惹かれていた。

グランマ・モーゼスは始めの頃は刺繍で絵を描いていたようで、リウマチで針仕事が難しくなった70歳頃から油絵に転向したようだ。
その後100歳まで描き続けたという。すごい。

当時の暮らしぶりもフォーカスされていて、身の回りにあるものをなんでも手作りして、それが絵画になっていた。手作りの洋服はもちろん、ろうそく、砂糖(シロップ)、アップルバターなど村中総出で作っていた様子が描かれている。

昔の暮らしは忙しい。古民家に住んでみてまだ数年も経っていないのだけど、不便が当たり前だった昔の日常がタフだったと感じるのは言うまでもなく、昔暮らしの忙しさはきっと外の国でも同じ。

ただ、現代の一分一秒を争うようなせわしない忙しさとは少し違う。とくに農作業はゆっくり静かに行う作業が多く、時間を要する。どちらも善し悪しあるが幸福度が高いのはおそらく後者だろう。

多忙な農村暮らしの中で絵画と向き合う時間をどう捻出していたのだろうと絵を見ながら考えていた。

おそらく彼女にとって絵を描く時間が唯一、自己表現できる場所であり、リラックスできる時間。

私がこうしてnoteに書き綴り自分を浄化するような時間を過ごすように、きっと彼女も多忙な中で絵を描く時間を楽しみに過ごしたのだろう。

グランマ・モーゼスの言葉に

人生は自分で作り上げるもの、これまでも、これからも。

という言葉がある。

この言葉を見て少し涙してしまった。


母もこの言葉を気に入ったようだ。
私にこう書いてあるよ、と指差して教えてくれた。母として娘である私に教えてくれたのだろう。病気で少し子供のようになってしまった母だけど、私はいつまでも母の子だ。
以前は素直に向き合えなかったけれど、今はもう大丈夫。
教えてくれてありがとうと思える。

私の人生、願わくばグランマ・モーゼスのように身の回りのものを手作りで暮らす生き方をしてみたいものだが、現実的にそうもいかない。

息子の定期通院、習い事、学校行事のあれこれ。現代社会と向き合う機会はそこら中にある。そして好きな仕事をこなす為には時間も限られている。

山暮らしが始まれば少しは俗世から離れられると思っていたのだが、子供たちは相変わらずテレビやタブレットが好きで、私もスマホであれこれ書くのはやめられない。

グランマ・モーゼスは後世代の忙しい暮らしぶりを見て不安を吐露していた。もう少し前の世代は毎日をもっと豊かに生きていたと言っていた。

私達がモーゼスくらい年老いた時、果たしてどう言うだろう?

私達の時代はもっと豊かだったと言うのだろうか?それとも豊かさを求めて皆、懸命だったと言うのだろうか。

そして私達の子供たちはどのように感じるのだろうか?

時と共に変化してきた暮らし。今の時代のありがたさや良さもたくさんある。便利になったのは先人達の苦労あってこそだ。

私は今、自分自身に生き方を問われている気がする。

昔の暮らしをリスペクトしてきた過去。

大きな治療を受けた息子との日々。

現代の恩恵をたくさん受けて、大切にしたいものを守りながらこの先どう生きていくか。

否定からはなにも生まれない。
今までの私、ごめんね。
いろいろ否定していたけれど
どうやらその行いは間違っていたみたい。

調和を大切に暮らしていけるように心掛けていけたらいい。現代も昔もそれぞれの良さがある。どちらも否定せずにじょうずに取り入れて暮らしていけたら良い。

そのうち子供たちが大きくなって
彼らからたくさん教わることがあるだろう。
ダメ出しされる日も近いだろうな。

言いたいことを言い合って仲良く暮らしていけたらいい。否定ではなく主張なら大歓迎だ。

母との貴重な時間が気づかせてくれた大切なこと。まだまだたくさんあるけれど、眠くなってしまったのでここでおしまい。

修整、付け足しはまた後日。ありがとうnote。気軽で本当に助かっているよ。

#グランマモーゼス
#美術館




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