
「人とのつながりがふるさと。原点だね」松川浦の仲間と歩む復興の道のり
ドアを開けた瞬間、温泉の優しい香りに包まれる。
管野貴拓さんは、相馬市のホテル「飛天」の経営を引き継いだ。このホテルは、平成天皇皇后両陛下がご宿泊され 、羽休めに農家さんらも訪れるなど地元にも愛される名宿だ。
ホテルのロビーで取材をしていると、来店されたご家族の子どもがうれしそうにロビーを歩きまわっていた。満面の笑みで両手を振る管野さんから、親しみやすさを感じつつも、インタビューを進めていくうちに、経営者ならではの全体像を見通した広い視野や、思慮の深さが随所に垣間見えた。

数字の流れは社会の仕組み
管野貴拓さんは、1976年2月12日に福島県相馬市でホテル「みなとや」を営む家庭の次男として生を受けた。旅館は海岸沿いに位置しており、幼いころから浜辺や港市場が遊び場だった。
高校卒業後は、父の勧めで経理の専門学校に進み、興味があった経営について学び始める。その後、地元の会計事務所に入社し、着々と実務経験を積んでいった。退社後は、実家が経営する旅館の手伝いに戻り、経理の面から家業を支え続けた。
東日本大震災が相馬市を襲い、9年の時が経過した2020年、飛天の後継者を探していた先代から、知り合いのつてで復興に関する様々な仕事に取り組んでいた管野さんに声がかかった。
当時はコロナ禍で観光業界に不安が広がっていたが、「人生一回のチャンスだし、やってみよう!」と、経理の専門学校で培った知識と会計事務所や実家の経理の実務経験をもとに、事業承継することを決めた。
現在の旅館での基本的な仕事は人手が足りないところにヘルプで入り、皿洗いや生ごみ処理など、従業員が嫌がる仕事を率先してやっているそうだ。
「監督じゃなくて、キャプテンにならないと」と経営者の肩書に縛られず自ら率先して動くことで、従業員が働きやすい環境を維持している。
仲間と歩む復興の道
「人とのつながりがふるさと。原点だね」
ふるさとというと、字のごとく土地そのものを思い浮かべる人が多いだろう。しかし、管野さんにとって、これまでともに生きてきた「人や仲間」がかけがえのないふるさとなのだ。
「土地とか家よりも、人とのつながりがふるさと。原点。そこに心を寄せる人がいるからこそ『ふるさと』だと私は思う」
そう考える管野さんの背景には、地元の人と復興に向けて、ともに歩んできた過去がある。
東日本大震災直後、徐々に復旧のめどが立ち、被災した店が同業種ごとに再建計画を作り申し込むグループ補助金の募集が始まった。
当時、実家のホテル「みなとや」で働いていた管野さんは、飲食店や旅館関係の人に声をかけていった。地域一体が被災して、同じ被害を受けた彼らは「この地域を何とかしなければいけない」と志や情報を共有していく「戦友」になっていった。

「種まきの時期」から「芽生えの時期」へ
その後、環境省から松川浦の観光業に携わる人々に対して、「グリーン復興プロジェクト」が提案された。これは被災した海岸地域の観光業を復活させるためのもので、エコツーリズムを提供するプログラムだ。エコツーリズムとは自然を楽しむ観光であり、松川浦の場合は被災から復興までの過程を見ることができるプログラムになっている。
2013年の夏に第一回目のツアーが開催された。最初は試験的操業のため、一般のお客さんは一名ほどしかいなかったそうだが、経験を積んでいくうちにガイドの質も上がり、新しいコンテンツが作られ、一般のお客さんも増加していった。
特に子どもに人気がある企画は「カニ釣り」で、「最初は怖くてカニとか触れないけど、帰る頃になると慣れちゃって『時間終わりでーす』って言っても全然止めない(笑)」と大評判。子どもが夢中になって自然に触れ合い、命の大切さも学ぶことができるプログラムは、今後さらに注目されていくだろう。
管野さんは、松川浦のエコツーリズムが長く続いていくために、2016年ころに「松川浦ガイドの会」を立ち上げた。自ら会長を務めて、全体のサポートや、人手が足りない場合にヘルプとして入る。現在は、会長職を譲っているが、ガイドの会に所属して活動を続けている。
コロナで人の流れが途切れてしまったが、ここ数年でお客さんを取り戻してきているそう。松川浦の観光業が、2013年に第一回が開催された「種まきの時期」から「今、芽がちょっとずつ出てきている感じかな」と語る管野さん。これからの松川浦のエコツーリズムの発展が期待される。
美味しいものを「くぁせっと」
管野さんは、2021年10月にオープンした「浜の駅 松川浦」の理事も務めている。浜の駅松川浦では、鮮魚やお土産を扱っており、松川浦の地元の食材を味わうことができる食堂「くぁせっと」も併設されている。市長から、美味しくて安い「話題の種」となる食堂を作ってほしい、という依頼が管野さんのもとに届いたそう。
食堂「くぁせっと」は、松川浦の方言で「おいしいものを食べてください」という意味だそう。最初は相馬の漁師と管野さんの二人で会社を立ち上げようとしていたところ、相馬を盛り上げたいという思いをもつ地域の人々が次々に集まって、立ち上げに至ったそうだ。これからの目標は鮮魚の販売に力を入れることで、「ちっちゃい子どもさんがいけすに入っている魚を見て楽しめたらいいな」と語った。

あおさ漁師たちの力に
管野さんは、ホテル「飛天」と浜の駅食堂「くぁせっと」の経営に加えて、もう一つの団体「すてっぱず松川浦」のメンバーでもある。「すてっぱず」とは「ものすごい」を意味する方言。すてっぱず松川浦では、あおさの商品開発と販売を行っている。
ホテルではよく「松川浦は何がお土産なの?」と聞かれることが多く、以前は、乾燥あおさしかお土産の選択肢がなかったそう。あおさが松川浦の特産品であり、新たなお土産品が欲しいと考えた。
震災のときから親交がある株式会社マルリフーズ代表取締役の稲村利公さんと松川浦あおさ漁師の遠藤友幸さんに声をかけて、2020年7月に「すてっぱず松川浦」を立ち上げた。
管野さんはあおさを「どこにでもいられる脇役」と考える。
いわゆる「主役」とされるカニや魚は鮮度が命で、現時点では、お土産として松川浦から遠く離れた人に食べてもらうのは難しい。「加工品として売れるお土産としてはうってつけ。あおさだからできるんだよね」とあおさの魅力を語った。
数々の仕事を通して、復興に携わってきた管野さんは、今たくさんの仲間に囲まれている。そして現在は、仲間である地元のあおさ漁師たちの力になりたいという思いから、ホテル「飛天」の食事にも力を入れている。
ホテル「飛天」では、相馬市松川浦の特産品である、あおさを使った料理を提供していることが特徴だ。管野さんはあおさ料理を提供し、お土産の購入につなげる努力をしている。
「お客さんに最初の一歩目を踏み出してもらうためにも旅館の役目は大きいよね」
天ぷらの衣、茶わん蒸しの餡やジェラートなど、献立の節々にあおさを混ぜ込み、他県から来るお客さんにとってあまりなじみがないあおさのおいしさを伝えるきっかけを作っている。

これから
「仲間が獲ってきた魚をおいしく食べてもらいたい」
管野さんは、次なる目標のひとつとして、より多くの人に松川浦の鮮魚を届けるために、魚の加工場を作る計画に着手している。現在は、魚の加工場がなく、松川浦でとれた鮮魚を離れた地域まで届けることができない。しかし、加工することでお土産や旅館での鮮魚の提供も可能になるのだ。
これからも仲間とやりたいと思うことをひとつずつ達成していきたいと語る管野さんにとって一番の幸せを感じる瞬間は仲間とお酒を飲む時。
「仲間がいて、おいしいお酒とごはんがあれば最高だね(笑)」
管野 貴拓さん
ホテル飛天 代表取締役。福島県相馬市出身。「浜の駅 松川浦」の食堂「浜の台所 くぁせっと」代表でもあり 、「松川浦ガイドの会」でも活躍 。「松川浦出身」と言葉にするほど、松川浦をこよなく愛する。実家のホテルみなとやの専務を経験後、地元からの人望の厚さにより抜擢され、ホテル飛天の経営を引き継いだ。持ち前の明るさと人柄が求心力となり、松川浦の旅館事業者、漁業者たちとともに 、浜を盛り上げる一役を担っている 。
インタビュアー・執筆
武井 彩留
立命館大学 国際関係学部 3回生