ニートの小噺表紙

ニートの昔話~父親について~

 どうも。ニーフリでおなじみのニートこと守田です。水曜日はニーフリ漫画がおやすみなので、ニートの小噺のターンです。

このように、朝起きないので、もう上げておきましょう。ネタが尽きるまでは頑張って続けます(笑)
今日は唐突ですが父親について語ろうと思います(父親は健在です)。
 はっきり申し上げて、私は父が嫌いです。何度かこんなんじゃいけないと、悩んだこともあり、その度にもう少し優しくしなくては、などと思いもしたのですが、結局のところ、無理なものは無理、という結論に至りました。凡ては幼少期に決まってしまったものと思われます。

 私とて、嫌いたくて嫌いになったのではないと思っています。
 酒は飲むわ、たばこは吸うわ(何度かやめてくれとお願いしましたがその時は聞く耳もたず。たばこの煙で気分が悪くなっていたのでとても苦しかった)、パチンコは好きだわで幼い私から見てもとても自分勝手な父親にしか映りませんでした。その頃から、父親には幻滅してしまっていたのかと思います。残念ながら、やはり子供というのは素直であり、自分の目に見えたままを覚えているのです。
 小さい頃に遊んでもらわなかったから、父親とはどう接したらよいのか、先ずわかりません。
 家族と言われても、ピンと来ないのです。家の中にいる男の大人、そういう認識になっていました。それは会話もないし、話も聞いてもらえなかったからに違いないと思っています。そう、コミュニケーションが圧倒的に足りなかった結果、父親から見たら、自分を嫌うめちゃくちゃひどい娘に育ったと思うでしょう。

 うちの父はただのサラリーマンです。ただ、サービス業のため、土日も仕事で、休みは平日でした。この時点で、子供と遊ぶ時間は減ってしまっているのですが、たまに休みが被ったとしても、趣味の釣りかパチンコへ行くかのどっちかで、とても子供と遊んでくれるような父親ではなかったのです。
すると子供はどう思うか。
「ああ、やっぱり、どっか行っちゃうんだ」と思うわけです。こちらも休みが一緒なら、「何処かへ連れて行ってくれるのかな」とか、「遊んでくれるのかな」とか、少しばかり期待はしてました。けれどもそんな期待はするだけ無駄で、次第に「父は自分が遊ぶのに忙しいのだな」という認識になり、期待すらしなくなりました。そうこうしているうちに、父と遊ぶという選択肢はなくなり、例えば気まぐれで、父が何処かへ行こうと言いだしても、「何を言っているのだ?」という感じの反応になってしまっていたのです。
 そんな折、何を思ったのか突然動物園に連れて行ってくれたことがあったのですが、動物を見ている時間など与えず、私を置いて、自分だけすたすたと歩いて行かれました。一体何をしに動物園へ来たのでしょうかね。私は父の後をついて行くのに精いっぱいで、何にも見ずにただひたすら駆けるようについて行くだけで終わってしまいました。子供の歩幅と、大人の歩幅も分からないような父親でした。この時に、ただただ悲しい思いだけが残ってしまったのです。「ああ、こっち見てないな」と。
 子供の頃、特に小学校へ上がるまでに、どれだけ遊んでもらったか、言葉をかけてもらったか、訊いてもらったかは、今後一生を左右すると、今は残念に思うばかりです。
 一生懸命働いているのもわかります、でもわかってくるのはもっとずっと後になってからです。幼稚園の頃なんかは、頑張って働いているお父さん、など、目にすることが無いため、ちっとも理解しがたかったのです。だから仕事で嫌な事があっても、子供に愚痴るのは理解に苦しむし、もし愚痴ったならば、今度は子供の話も親身に聞く姿勢が無ければ、ただ話を浴びせてくる「ぐちぐちおじさん」としか思えず、鬱陶しいという感情が芽生えてくるのです。幼少の頃に、そんな思い出しかないものだから、ええ、大きくなって、「尊敬できる父親」なんぞになる筈もないのです。
 故に今更何を言っても手遅れで、私は父親という存在が鬱陶しくなってしまいました。

 なんと酷い娘だろうと、思いますねぇ。でもそれは娘から見たら、なんと酷い父親だろうと思うものです。
 まず、見えている世界が全く違う。多分、男と女って時点で違うものを見ているのだと思います。うちは三姉妹なので、男の兄弟もいないので、ますます男と言うものがわかりません。
 さて、今、父親のことを分析しますれば、「大人になれなかった大人」という判断です。母親は家政婦か何かか?と思うような扱いで、多分昔ながらの亭主関白気質なのかもしれませんが、全く持って、意味不明です。
 うちは母親が新しい考え方もできる人だったから、なおさらなのか、時代錯誤もいいところだと、思わず鼻で笑ってしまいます。そういう処も相容れないとこなのだと思います。
 もっと子供にも目を向けたら、きっと今頃こんな冷たい関係にはなってなかったろうと思います。
 もし、小さいお子さんがいる方は少し気を付けてみると良いと思います。
「今日、子供が何をしていたか知っていますか?」
「何を食べていましたか?」
「なんて声をかけましたか?」
「子供は笑っていたでしょうか?」
「あなたの話を聞く子供は愛想笑いじゃないでしょうか?」

 無下にするのは可哀想だからと、私はうんざりしながら話を聞いていた時期もありました。でも本当にうんざりだったのです。自分の自慢、不平不満。一を返せば、十の否定が返ってくることに、疲れてしまって、最終的には目も合わさなくなりました。

 自分、自分、自分のことばかり。子供ってやっぱり自分のことを見てくれないと悲しくなるんです。それなのに自分のことばかり…。子供から見ればそれは顕著で、子供だからそう見えるのかもしれないのですが、会社と家庭は全く違うということがわかっていたのだろうかと疑問に思います。家族って部下ではないのです。命令するものでもないのです。そこにはほんの少しの気遣いが無ければ、一緒に暮らすのは困難な事なのです。風邪になって休んでいたって、声もかけないような父親には、なんの優しさも感じ取れないです。
 家族ってだけで、エスパーでもなんでもないのですから、コミュニケーションは大事だったのです。本当にそれが幼少期になかったが為、私から見ても悲惨な老後だと思っています。でももう無理なのです。生理的に受け付けないレベルにまで、溝は深く深く、もう対岸へ渡る術を私は思いつきません。悲しい事に。

 分かっていても、どうにもならない事ってあると思います。
 いつまでも、子供は子供じゃなかったんだときっと気付くタイミングもあると思うのですが時すでに遅し、と。
 対話というのは、本当に基本中の基本のコミュニケーションではなかったでしょうか。
 私も大きくなり、働きに出て、大変な思いもたくさんしましたが、父親も大変だったのでしょう。けれど、大変なのは皆一緒なのです。学校だって大変だし、家事だって大変です。そのことに労わりがあれば少し違ったのかなと思います。一方的な労わりは、疲れてしまいます。私は父親が、母親に対して「ありがとう」を発するのを聞いたことがないのです。
 そこに居るのが当たり前になってないでしょうか。今一度、確認をおすすめします。
 照れもあるのでしょう。分からないことは娘だって同じだったのですから。大人である父親からの歩み寄りというのは本当はもっと重要だったように思います。

三つ子の魂百まで。

 侮れません。幼少の頃のショックってずっとずっと引きずってしまうのでしょう。
 父親に邪険にされた記憶は、ずっとずっと引きずっています。
 さて、私も大人になったけれど、大人になり切れないのでしょう。
 こんな薄情な娘で大変申し訳ないのですが、どちらにも否があるので痛み分けです。自分ばかりが辛い思いをしていると思っているなら、今一度原因を「考える」ことをしてほしいと思っています。

 今、娘に酷い態度をとられている方、いらっしゃったら、「考えて」欲しいのです。
 果たして小さいころに、コミュニケーションをとったかどうか。自分ばかりが被害者面をしてないかどうかを。母親に労いの言葉はかけているでしょうか。
 娘は割とシビアに世界を見ているのですから。
 その目に映るものを、理解しないまでも、踏みにじる事だけは、なさらない様。
 知りたいなら、声を掛けて、そうして耳を傾けてほしいものです。決して話の腰を途中で折らないでくださいね。

 そんなわけで、私は父親がまったく父親ではない何かだと認識してしまっています。ひとつ考えるのは、きっと父親が死んでも泣かないのだろうと言う事です。だって他人のようなものですから。家族って関係は当たり前ではなくて、本当はもっと、他人より労わらないといけない、気遣い合わなければならない関係ではなかったかと思います。
 共に過ごした記憶が多ければ多い程、きっと忘れられない大切なものが多ければ多い程、失ったとき悲しいのだろうと思います。
 私は、今一緒にいる、猫のあっちゃんを失ってしまう方が恐ろしいのですから。愛情を注いで、それに応えて貰った数だけ、悲しみに暮れると思うのです。愛しくて切なくなって…。

 なんの愛情も感じられなかった、親しみすら失ったら、自分の父親ですら他人のようになるという事実が現実です。

 まったくもって、ひどい娘で、大変申し訳ないのですが、一生懸命働いてくださったことに感謝するけれど、ここまで大きくなれたのも父親が働いてくれたおかげなのだろうけど、それがはっきりわかるのはきっと自分も働いて初めてわかる事だと思うのです。
 子供には解らなかったこと故、働いてやってる、では子供には伝わらないのです。残念ながら、手遅れなのです。
 さてさて、「働いてやってる」、全国の父親たちは、はたして未来への愛の投資はしているでしょうか?これってシンプルだけど、大事なことかもしれません。頑張って働いた、疲れた、けれど、もうひと頑張り!で優しい未来が待っているかもしれないです。
 これは溝が深すぎてもう父親との関係を修復できない私の懺悔です。
 家族という優しい奇跡をどうぞ大事になさってください。

 こんな人でなしですが、さてさて、今日も頑張って楽しく生きてます。最近落ち込むこともあるけれど、やらねばならぬ何事も!です。
 ニーフリ四コマ漫画も読んでくださると嬉しいです!ニーフリ動画も音声付で楽しいのでみてやってくださいね!
 は~~どっかから書籍化の声かかんないかな~~!

ってか書いてて本当に申し訳なくなってきた。どうしてまあ、こんなに薄情になっちまったんだろうねぇ…。人間ってやっぱり、知らないうちに愛情を推し量っておるのだね。不思議なことよ。



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