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北海道における季語 砂時計第5号 俳句評

写真は7月21日、まさに今が満開の花盛りの紫陽花です。(北海道滝川市)

今日は、以下のようなツイートを見かけたので、この冒頭をどういう経緯で書いたかを含め、コメントします。

石原ユキオ氏(@yukioi)のポスト
#砂時計第5号 ちょっとひっかかったこと。鈴木総史さんの俳句評の冒頭で「(北海道は)季語が少ない」「歳時記とズレる」「俳句を詠むことが難しい土地であるのかも」と書かれていて、ここで言う俳句って有季の俳句のことだと思うけど、有季にこだわるにしても「東京が中心って考えがそもそもおかしい。俺らは北海道の季感で俳句をやる。熊は素手で倒す」みたいなマインドが育っていたりはしないのかな。

まず、「北海道の季語の難しさ・俳句を詠むことの難しさ」について。
東京から北海道の旭川にやってきた私は、ギャップに衝撃受けました。11月には雪が降り始めて、GWまで解けない。12月から3月は雪に閉ざされるわけです。
そういった私の実感ベースで書いてます。特に中央の季語をベースに句を生み出してきた私にとって、北海道での現状は苦しみでしかありませんでした。

【「東京が中心って考えがそもそもおかしい。俺らは北海道の季感で俳句をやる。熊は素手で倒す」みたいなマインド】
とありますが、現実問題、俳句甲子園や各種新人賞、俳句賞、句集での賞については、中央の季語を基準に審査されています(そもそも、出身地・居住地を明かし、そこを勘案しての審査ではないですから)。この現状では、石原氏の言うようなマインドは育ちにくいはずです。北海道の季感でやると損をするわけですから。
(熊に関する一連の文章は、北海道への蔑視だと思いますので、不愉快極まりないです。「失礼な冗談」だそうで、撤回の意志は無いそうです。)

そういった観点から、それらを目指す人は、北海道の季感でやろうというのは難しいわけです。
(数年前の俳句甲子園にて、柿という兼題が出てました。旭川東の方がディベートをする中で衝撃だったのは、「北海道には、柿が自生していない」ということでした。そんな中でも句を詠まないといけないわけです。)

北海道は、桜と桃と梅が立夏前後に一斉に咲きます。雛祭に桃の花なんてありえないし、梅見は5月だし、桜はエゾヒカンザクラなんですよね。
金木犀もないです。以下参照。
https://sectpoclit.com/soshi-3/

セクトポクリットにて心の叫びを書きましたが、、、
https://sectpoclit.com/soshi-7/)の終盤にて
「地貌季語の扱いは、非常に難しいため、なんとも言い難いが、ただでさえ内地より季語が少ない北海道。ほかの季語においてもそうだが、もうすこし、我々に(道民に)寄り添った歳時記にしてくれまいか。切なる願いだ。」と記しています。

佐々木丁冬が蝦夷歳時記を細かくまとめていますし、北海道ならではの句を詠んで残していこうという取り組みはもちろんあります。
私も、流氷の句を残すべく、積極的に句集に入れる予定です。

「北海道の人は北海道の季感で頑張るマインドはないのか?」という提示は、中央の無責任さとも取れてしまいます。中央が地貌季語へ寛容になれば、使用機会が増えて、変わっていくのではないでしょうか?

つらつら書きましたが、最後に。
北海道にしかない季語もあるわけで、そういった魅力もあるんです。そこが大好き北海道。

鈴木総史

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