自分が本当にやりたいこと
教師は、いくら自分で思っていることがあっても
結局、上に立つ管理職次第だということを
今の学校に来て、本当に30年も教員をやっていて
改めて知った。
今まではどれだけ恵まれていたのかということを
知る良い機会にはなっている。
働くことにいささか疲れたと
思っていたのだ。
勝手に伸ばされた定年65歳、
小学校教員を続ける体力に自信もなく
今の学校の
やってもやっても…なんだろう
責任を擦り付けてくる管理職にほんと疲れていた。
だから(それだけでもないが)コーチングも勉強したし
公認心理師の資格も取って
別の道も模索している。
でも、
辞めたいと思っていても
まだやれると思っている自分もいる。
辞める勇気がないのかもしれないとも思った。
ここまで来て、リスクを負うのが怖いのかもとも思った。
一方で、
いくら大きなことを言っていても
公教育のすてきなところは
情報がない保護者や子どもとも関われることだとも思う。
何かをどうにかしたいと思っている人は
きっと自分から情報を取りに行く。
そこで、何かに出会って行動をするから
そこから何かを得ることができる。
でも、本当に困っているひとに
情報が届いているのかな?
と思うことも現場にいると少なからずある。
元気がない子どもを元気にできるかもしれないのは
身近にいる私たちかもしれない。
情報のない人に、直接とっかかりを投げることができるのは
やっぱり目の前にいる私たちかもしれない。
元気がない先生を元気にできるのも
身近にいる自分かもしれない。
そう思うと
辞めて…って壮大なことを語るより
やっぱり目の前にいる子どもを含む
関りのある人たちをまずは笑顔にすることが
大切なのかも。
決して自分を犠牲にしているわけでもなく
子どもを前にしていると
本気で楽しんでいる自分がいるから
変な考えが変な相容れられない人たちとは
距離を置きながら
目の前のできることを
コーチングだったりティーチングだったり
カウンセリングやコンサルしながら
試していくのが今できることなのかもしれない。
まずは、足元から。
そして、同時に次のステップの経験を積み重ねる。
そんな意識を忘れずにしていこうかなとも思う。
この考えもまた、あちこちふらふら
動いていくのでしょうけど。
とりあえず、
大好きな1年生の担任をしていると
仕事に向かう気持ちも楽しいから不思議。
マスクが取れて、笑顔でいられるのも大きいのかもしれない。