旅と旅人の記憶 シーパンドン

ラオス南部、カンボジアとの国境ではメコン川がぷっくと膨らんで、たくさんの中洲を抱えながら滔々とラオスに別れを告げている。それぞれの小さな中洲では多くの人が生活を営んでおり、メコン川に生息する白い淡水イルカが観光の目玉だ。この楽園を、現地では千の島々という名でシーパンドンと呼ぶ。

私もラオス旅の最後に、この旅人の掃き溜めに流れ着いていた。夜は毎晩旅人達と中洲の橋に集まって、誰が1番綺麗にジョイントを巻けるか競いながら、その芸術的に綺麗に仕上がったジョイントを皆でぷくぷくとふかし、満点の星空を眺めていた。川の流れと虫の音と、そうしていつしか蚊帳付きのハンモックに揺られて、それでもなお満点の星空を眺めていた。昼間は中洲から中洲へと当てもなく歩いては、現地の子供達の田植えを手伝って、子供達とまたさらに幼い赤ちゃんの世話をしながら、来る日も来る日も一緒に時間を過ごした。宿の家族ともすっかり仲良くなって、村の宗教行事に参加させてもらったり、一緒にご飯を食べたり。近くにはカンボジアのアンコール遺跡の一つ、ワット・プーがあって、アブだらけだったけれど、カンボジアの地雷だらけのアンコール遺跡とは違って、ほとんど観光客に見放されたようなワット・プーは、ただ静かに平和にそこにじっとしていた。

そうして平和な毎日が流れていくなか、私の心の片隅ではラオスのビザが切れてゆく日を冷静に数えていたんだ。ラオスのビザ切れ滞在は出国時にお金で解決できると聞いていた。1日5ドルといわれる相場がある一方で、相場以上の賄賂を要求されるケースも多く聞いていた。白人の旅人達がシーパンドンに流れ着いては何人か集まって国境に向かって行く。みんな不安だから集団で国境越えを乗り切ろうとしている。国境を越えた先はクメールルージュの残党がいると言われているカンボジア北部なんだもの。シーパンドンの平和で穏やかな時の流れと背中合わせの緊張感が不思議に共存する空間なんだ。

ある日ついに私にも決心がついて、宿の家族に国境を超えることを伝える。彼らの親戚がバイクタクシーで国境まで送ってくれることになった。何時間も、バイクのお兄ちゃんにしがみつきながら国境までの未舗装の道を、ラオスの思い出話しをしたり、宿の家族の話をしたり。出国賄賂の情報も聞いてみるが、こればかりは出国管理官の機嫌一つなのだから、地元民の彼でさえ何のアドバイスもできないとのこと。国境で、幸運を祈る、とすまなそうに言って別れた。こういう土壇場にきて、私はいつも1人旅の醍醐味を感じる。1人旅をする事で、自分の運試しというか、自分が神様に好かれていること、生きて良いんだということを確かめているんじゃないかと思う。数枚の一ドル札を握りしめて、靴の中とかお腹の秘密ポケットとか、分散させているUSドルをもう一度頭の中で復習する。出国管理官、警備員、小さな出国審査の建物、360度全てを確認しながら、それでもとりあえず朗らかな笑顔を保ちつつ、ラオスという国を褒めまくった。出国管理官は表情ひとつ変えずに、1日5ドルの相場通りの請求をした。

カンボジア側で乗合バスに揺られながら、やはり思い出すのは楽園のシーパンドン。満点の星空。一緒に小さな橋に寝そべって星空を見続けた旅人達。家族の一員のように面倒を見てくれた宿の家族。田植えを教えてくれた子供達の笑顔。またここに来れる日はあるのだろうか。

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