お金の使い方。教えるよりも経験が教訓になるのか。
パパの実家では、お年玉のほかに、お盆玉と言う風習もある。
今年ぴぃはそれを楽しみにしていた。
夏休みに入ってからのぴぃが、出かけたがるようになったのは、自分のお小遣いを使って、欲しいものを手に入れるという快感の沼にハマっていたから。
最初の方こそ、自分でしっかり計画を立てて使っていた。
それが、だんだんとルーズになっていく。
目的のほとんどが、大好きなアニメのグッズ。
なかでもガチャガチャをやろうものなら歯止めが効かなくなるように。
「今日は見るだけにする」「今日は何も買わない」「今日は1,000円までしか使わない」いろいろ言いながら出かけるのだが、言った通りになったことはない。
誰かに決められたルールはきっちり守るけど、自分のお金の使い方のルールなんてあってないようなものになっていった。
案の定、夏休みの資金としておろしていた分が底をついた。
出かけたい、でもお金がないから出かける意味がない。
そんな感じの数日を過ごした。
昨日、パパの実家に行った時、予定していた通り、お盆玉をもらった。
「使ってしまいそうだから、このうちの3分の2は貯金をする。」と言っていたぴぃは、今日もまた出かけたいと言った。
そして、出先のお店で、昨日もらったばかりのお盆玉がどんどんガチャガチャに吸い込まれていった。
あと1,000円だけ、あと2回、あと1回だけ、あと、あと・・・
「なんでこんなにやって推しが出ないの??お金が無くなっちゃうよ。」
ほとんど半泣きだった。
次出るかもしれないと思うと、やめ時がわからなくなる。
もう完全にガチャガチャのマジックに囚われ、抜け出せなくなっていた。
昨日もらったばかりのお盆玉が残り500円となったところで、やっと推しが現れた。
「やっと出た・・・」と安堵の涙をこぼすぴぃ。
いっぽう私は、何度も両替機に向かうぴぃを見て呆れ気味に、
「もうその辺にしたら?」とか、「お小遣い無くなっちゃうよ。」とか、「いい加減にしたら?」とか、言ってみる。
でもぴぃは、自分が納得できるまで続ける選択をしているのだ。
ぴぃがもらったお金。使い方はぴぃの自由なのだ。
昨日もらったばかりのお盆玉が一瞬にして消えてしまったという今日の出来事が、教訓として少しでも残ればいいと切り替える。
やっと推しが出たと言うのに、我にかえったぴぃは、お金が無くなってしまったことを嘆いていた。
私「お金が無くなって悲しい気持ちと、推しがでて嬉しい気持ち、どっちが大きい?」
ぴぃ「推しが欲しくて使ったお金だから、後悔してるわけじゃない。ただ、せっかくくれたお金を一瞬で使い切ってしまって申し訳ない気持ちがある。」
私「ぴぃの好きなように使いなさいと言ってもらったお金だよ。」
ぴぃ「そうなんだよね。。。う〜ん、推しがでないまま帰ることになってたらもっと泣いてたと思う。だから推しが出てよかったって思ってる。」
私「高くついたけど、それほど欲しいものを手に入れたってことで、OKじゃん。でも、次からは・・・」
ぴぃ「わかってる。お金の使い方の話でしょ。大丈夫、今日でわかった。」
私の注意喚起を遮って、何かを噛み締めたぴぃ。
次またぴぃがお小遣いを手に入れた時、どんな使い方をするだろう?
今日の教訓が次にどうつながるか興味津々です。