【映画感想】怪物

◯はじめに

これはネタバレを含みますので、未鑑賞の方はご注意ください。
特に、これから鑑賞しようとしている方は、あらすじ以上の情報は入れないで観てほしいと思うので、引き返してくださいね。(まあ個人の自由ですが)






◯感想

予告を見て気になっていた作品で、最初は、「怪物だーれだ」というセリフから、ホラーやサスペンスかと思っていました。公開が近づくにつれ、「あっ、これホラーじゃない」ということに気づき、尚更謎が深まって是非劇場で観たいと思いました。


観た結果、、最高でした。
私は主に洋画やアニメーション作品を観るのが好きで、邦画はあまり観ないのですが、この『怪物』は、私が生涯観る(未来含め)邦画作品の中でトップに君臨すると思われる作品でした。


ラストシーンについて

ラストシーンを最初に観た時は、「えっ、死後の世界?」と思うほどに眩しく美しかったです。エンドロールに切り替わった途端、自然と涙が流れていました。
彼らは土砂崩れのせいで死んでしまったのか?
死後だからあんなに開放的にはしゃいでいるのか?
一度ではわからなかったので、鑑賞した翌日、もう一度観に行ったところ、彼らはしっかり生きていました。
湊の母と保利先生が上から覗いた時、地面側の窓が開いていましたね。湊と依里が窓から水路に降りるシーンもあるので、2人で脱出したことがわかりました。

生きていて良かった、そう思うと同時に、ではこの後はどうなるの?という思いが出てきました。
リアルな描写の作品ですから、この後、きっと2人は自分の家へ帰らなくてはいけない、湊は母に泣かれ、依里は父に怒られるだろうと想像ができます。
でも、この経験は湊と依里にとって特別な思い出として残り続けるだろう、と思っています。

“その後”はどうしても気になって妄想は尽きませんが、敢えて描いていないのは、これを観た子どもたちに希望を与えるためでは無いかと考えます。
細田守監督の作品、『竜とそばかすの姫』でも、ラストは主人公の少女が兄弟をDV父親から一度救ったところまでしか描かれていません。
私たち大人は、救った後父親はどうなるのか、兄弟は施設へ行くことになるのではないか、と“その後”を気にしてしまいがちですが、子どもではそこまでの考えに至らないのではないかと考えます。
『怪物』も同様に、ラストシーンの後どうなるか、ということは子どもたちにとってはあまり重要ではなく、2人で台風の中抜け出して、トラブルがありつつも2人だけの世界で走り回って、今は幸せそう、と感じられることが重要なのかなと思いました。

怪物だーれだ

劇中では、“怪物”は湊と依里が同性を好きなことを示していますが、そんなことは当然、怪物でもなんでもありませんよね。
では、誰が怪物なのか。
私には、登場人物全員が怪物に思えました。
噂話を鵜呑みにしたり湊の話だけを信じきって学校に突撃してしまう湊の母や、保護者からの申告に対してマニュアルで済まそうとする先生たち、酒浸りで依里を虐待する依里の父、保利先生を犠牲にする湊やガールズバーに放火してしまう依里…
大人のみならず子どもたちにも、怪物の要素がありました。映画の中だけでなく、人間は誰しも、怪物の要素を持ち合わせており、もしかしたら自分たちもこの映画のようになっていた・なる可能性もあると思いました。

また、劇中では所々にステレオタイプが散りばめられていました。
湊の母は、「結婚して家庭を築いて幸せになってほしい」として、“結婚=普通”と言っています。
保利先生は、組体操で倒れた湊(だったかな?)に「それでも男か?」と言ったり、暴れた2人に対して「男らしく握手で仲直り」と言っています。
依里の父は、保利先生の出身大学を聞いたり元の勤め先を自慢したり、依里が男の子を好きなことに対しておかしいと思っているような言動がありました。
湊の母や保利先生は、深い意図があっていったわけでは無いかもしれない、子どもと話し合っていればLGBTQにも理解があったかもしれない。けれど、30〜40年の間で植え付けられてきた“普通”は、簡単には抜けず、子どもたちにも無意識のうちに植え付けてしまう。

そこで、終盤で校長が言った「誰かにしか手に入らないものは幸せとは言わない。誰にでも手に入るものを幸せと言う」というセリフが刺さりました。
この言葉が湊にも響いたから、嵐の日のあの行動になったのかなと思いました。


好きなシーン

①湊の母編と保利先生編で聞こえていた楽器の音が、湊と校長が思いを乗せ楽器を吹いていた音だったとわかるところがお気に入りです。怪物が泣いているかのような、素敵なシーンでした。

②湊と依里が秘密基地で自分の額にあるカードの絵柄を当てるゲームのシーンです。湊の額にあるのはナマケモノでしたが、依里の出したヒント「すごい技を持っている」「敵に攻撃されてもじっと耐える(正確には忘れてしまいました…)」を聞いて、湊が「それは星川くんですか?」と言う切ない場面。虐待されイジメにあいながらも耐えて明るく生活する依里を思うと涙が出てきます。

③「手と鼻の接触ってこれだよ?」と言って湊の母が校長の鼻を指で触るシーン。触る前に「すみません」というように手を“ちょいっ”とあげる仕草も細かく、当事者達には笑い事ではないが観ている側は笑ってしまう、なんともシュールなシーンも好きですね。

④湊の母が保利先生を追いかけて、「こんな学校がいる先生にっ、こんな先生がいる学校に〜」と言い間違えるシーン。怒って捲し立てるように喋ろうとするとそうなるであろうリアルさがたまらなく良かったです。その後保利先生も思わず笑ったら「何かおかしなこと言いました?」とさらに怒りが増す湊の母。これは台本通りなんでしょうか。リアルすぎて凄いです。

気になる点

2回観た後も気になっている点がいくつかあります。

①孫を轢いたのは校長か、校長の夫か。
劇中、特に言及はありませんでしたね。音楽室のシーンで、湊が「嘘をついた」と言った際、校長が「一緒だ」と言っていましたが、これは“孫を轢いたのは夫だ”という嘘ともとれますが、保利先生が体罰をしていないのに“体罰をした”ことにした嘘の方ではないかなと考えますが、どうなんでしょう。

②湊の母が買い忘れたごま油を買いに行っている間、湊は消しゴムを拾うポーズのままずっと止まっていましたが、これはなぜでしょうか。
…と書き出して思い出しましたが、確かに私も小中学生時代に「うーん」と考え事したりする時、椅子に座ったまま床に向かって項垂れることがありましたので、もしかして、同じように項垂れていたのかな?

③湊はなぜ髪を切ったのか。
依里に髪を触られた日に切っていましたが、私なりに以下のように考えました。
[依里に触られ不思議な(ドキドキした)気持ちになった→髪が長い=女子みたいだからこんな気持ちになるのかもしれない→髪を切ろう]
実際はどうなんでしょう。

④なぜ湊は保利先生を犠牲にしたのか。
湊と依里の会話で、「(いじめられてることを)保利先生に言ったら?保利先生、優しいよ」と言っていたり、将来について作文に書く宿題を秘密基地でやっている時に、お互いの名前を作文の文頭に書いて「保利先生、気づくかな〜」と依里が言ったことから、ありもしない体罰をでっち上げても保利先生が何かに気づいて助けてくれて、優しいから許してもらえると思ったのでしょうか。
教師の方がこの映画を観たら恐怖でしょうね…


◯さいごに

時系列に矛盾がないか少々疑問が残るところもありますが、全世代に観てほしいと感じる映画でした。
調べたところ、ノベライズが映画公開前から発売されているようなので、読んで理解を深めたいですね。
LGBTQについて深く理解できなかったり、当事者でなくても、それぞれの考え方や生活が異なるのは当然ですので、“普通”という言葉が人を傷つけてしまうこともあるということを心に持ってみんなが生きていけたらいいなと思いました。

ありがとうございました。