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UI/UXから学ぶDAW論 ④モードと“バネ式”

私たちがパソコンを操る手段というのは限られていて、基本的に「キーボード」か「カーソル」の二択ですよね。
だから「右クリック禁止のサイト」とか「閉じるボタンを押しても反応しない」みたいな状況は、いわばパソコン側の“反乱”であり、多大なストレスになります。

UI/UX論ではときどき、「ユーザーがやりたい動作をきちんと実行できる環境」を“主導権”という言葉に喩えます。クリックしたくても出来ないなど、システム側が“主導権”を握るような構図は、好ましくありません。

クリックと“主導権”。これが今回のキーワードになります。


モードとモード・スリップ

改めて考えると、私たちはさまざまな動作をクリックでこなしていて、「クリックしたら何が起きるか」をカーソルのアイコンで判断しています。

クリックして何が起きるかは、状況により異なる。このように、同じ操作でもその時々により異なるアクションが起きる状態を、UI/UX論では【モード】と呼びます(註1)。日常的なアプリでは、概ね上の3つのモードが代表的なものになるでしょう。

多種のモードを駆使するようなものといえば、「ペイント」のようなお絵かきアプリくらいのものです。

ペイント系の諸アプリでは、クリックのモードのことを【ツール】と呼びます。エンピツ、消しゴム、塗りつぶし……。色んなツールを使いこなしながら絵を描いていくわけですね。

でもお絵かきアプリを使ったことのある方は、うっかりエンピツモードと消しゴムモードを取り違えて、描いたものを間違って消してしまったという経験はないでしょうか? そんなふうに、モードを取り違えて予期せぬ動作をしてしまうことは、【モードスリップ】といいます。これもまたイライラの種になりますね。


DAWとツール

さてここで本題。DAWの方に目を向けると、実はこちらも多種のモードを使いこなすことが前提になっています。

よく見るとエンピツ、消しゴム……のようにペイントと似通ったモードも。そしてDAWにおいてもこれらは“ツール”と呼ばれます。確かにDAWも、「楽譜を書く」という意味では“お絵かきアプリ”の一種と言えなくもないでしょう!(・-・´)

多くのDAWでは1~9の数字キーがツール切替のホットキーに割り当てられているので、数字キーをパチパチと押してツールを持ち替えるのがプロの使い方という感じです。

しかしビギナーからすると、これはまず種類がありすぎてよく分からないという【機能疲労】に陥りやすい状況です。それから単なる数字キーがそのままホットキーになっているので、何かの拍子にうっかり気づかずにキーを押してしまっていて、知らない間にツールが切り替わっていたという【モードスリップ】が起きやすい環境でもあります。

クリック操作が思いどおりにいかない状況は、まさに「右クリック禁止サイト」と同じ。DAWに“主導権”を握られたかのような錯覚を覚えることになり、そしてその苦痛は挫折を十分に招きうるものです。


カーソルか、エンピツか。

それを避けるためにはやはり、本当に重要な機能だけに的を絞って、それを優先的に覚えることが大切です。実際のところ、通常のカーソル以外に必要最低限のツールは「エンピツ」のみです。

エンピツだけはさすがに音符を“書く”という行為に必須ですが、逆に言うと他は全ておまけだと捉えてしまって構いません。

例えばじゃあ音符を消すときはどうするのか、消しゴムも必須なんじゃないかと思うかもしれませんが、そうでもありません。音符を選択してDelete(またはBackspace)キーを押せばふつうに音符は消せます。

(Cubaseの場合)

こんな風に他のツールはわりと、ホットキーなりメニューなりでそこそこ代替が利くようになっています。これは前回説明した【冗長性】の一種です。

カーソルとエンピツという2つの【モード】をきちんと認識し、その2つを行き来する方法と、そしてうっかり違うモードにしてしまっても戻ってくる方法をきちんと覚えておく。それをするだけで、「クリックしたら変なことになった」という事態を避けられて、安心してDAWを使えるようになります。


DAWごとの志向

このツール事情に関してはDAWごとの差が激しく、どちらかというと老舗DAWの方が多種のツールを提供し、新興DAWは数を絞っているような傾向が、ざっくりとですが見られます。

両極端な例を見ると、Digital Performer(DP)は実に19個のツールアイコンが並ぶのに対し、Ableton Liveはエンピツただひとつだけです。

つまりDPは「ツールをテキパキ持ち替えて、様々な作業をマウスで」という方針、対してLiveは「マウスの用法はシンプルに、細かい作業は個別のメニューやホットキーで」という方針ですね。【ツール】はかなりDAWの個性が出るところなので、DAW選びや乗り換えの際にも大きなポイントになります。


イディオムを知る

ところで前回【イディオム】という用語を紹介しました。「最初は分からないけど、知ったら便利な操作法則」というやつです。
【ツール】に関してもひとつ重要なイディオムがあって、それが「修飾キー(CtrlやAltなど)を押している間だけモードが別のものに切り替わる」という機能です。

例えばツールが最小限しかないLiveで、音符のベロシティ(鳴らす強さ)を変更したいとき。ベロシティパネルで編集するのもひとつの手ですが……

(Liveの場合)

もうひとつやり方があって、それが「Ctrlキー(MacならCommandキー)を押しながら音をドラッグ」という方法です。

通常ならドラッグは「音符の位置を移動する」機能を果たしますが、Ctrlを押している間だけはベロシティ編集モードに変身する仕組みになっているのです。

同様にCubaseやBitwigでは「Ctrl+Shift」で、Studio Oneでは「Ctrl+Alt」で一時的にベロシティモードに切り替えられます。結構みんなこぞって採用しているシステムなんですね。

特にユニークなのはLogicで、各クリックを何のモードにするかを自分で設定できます。

3つの装備スロットがあって、左から順にクリック・⌘クリック・右クリック時のモードとなっています。“装備変更”が出来るなんて、ゲームみたいで面白いですよね。

バネ式のモード

さて実はこの「修飾キーを押している時だけ別モードになる」は、DAWに限らずOS全般に組み込まれているイディオムです。例えばパソコン上のファイルを複製したいとき、WindowsならCtrl、MacならOptionを押しながらドラッグすると、ファイルをコピペすることができます。

DAWはこの発想を取り入れたわけですね。この種の仕組みは、キーを離したらすぐピョンと元の状態に戻る様子がバネのようだということで、【バネ式のモード】と呼ばれます。

それこそDPには「ベロシティ変更ツール」が個別にあるのですが、他のDAWはこれを【バネ式】にして隠す選択をしたということですね。バネ式には【モードスリップ】を起こしにくいというメリットがある一方、その存在を気づかれない場合は一生気づかれないという弱みもあり、UI設計時の悩みどころのひとつでもあります。

【バネ式】はDAWの各所に隠れています。例えばStudio Oneで楽譜の“ハコ”の端を掴んでドラッグするとき、通常は「ハコの長さを変える」ですが、Alt(MacではOption)を押しながらだと、「ハコを収縮/拡大する」という別のモードになります。

この小技は、フレーズを倍速に直したい時なんかに便利です。とはいえ【バネ式】を使いこなすのはなかなか上級テクですね。ひとまずは、「エンピツ1本あればいい」という心持ちが大事になります。

制作の工程、パネル構成、そしてツールの持ち替え。ここまで習得すればもうDAWの難関は突破したも同然です!

CONTINUE→ ⑤イベント式とクリップ式



(註1): UIにおけるモードという語はその語義に広がりがあり、例えばソシオメディアでは「モードとは、ある操作の持つ意味が状況に依存して変化し、それによってユーザーに対して、現在可能な操作を限定したり、操作の順序を固定的に強制する状態のこと」と定義されていて、操作が限定・強制されることの方に意味の力点が置かれています。この意味でのDAWのモード性に関しては、第7回で紹介することになります。


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