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短編小説「Dior」

 朝9時、1限。教室に入り、まだ誰も座っていない席を見つけてそそくさと座る。4年にもなってこんな時間に授業を受けることになるとは。単位のカウントを間違えた自分を呪い、ノートパソコンを開く。すると、女子が隣に座ってきた。せっかく空いてる席に座ったのに、と思ったが周りの席も割と埋まっているし、今から動いてもなんか避けたみたいで変に意識していると思われるのも違う。
 座った女子のほうに目をやると、机の上に紙袋が置いてあった。小綺麗で白く小さな袋。中央に「Dior」と書かれている。彼女は袋の中からスマホ、筆箱、リップを取り出す。持っていた別のトートバッグからMacを取り出した。袋を分ける必要があるのだろうか。
 授業が始まっても、彼女は「Dior」の袋を机の上に立てたままだった。何気ないオーラを放つその袋は、彼女の見栄なのか。授業中盤で彼女がその袋からおにぎりを取り出した時には、その袋の意味がわかった。彼女の四次元ポケットなのだ。

 授業中盤、突然シャッター音が部屋中に鳴り響いた。大したスライドではないのに、皆がスクリーンを撮影していた。テストに出るのかもしれない、と思い一応撮影したが、隣の彼女を見てすぐ恥ずかしくなった。BeReal.である。教授も勘違いしたのか、これまでよりも声を張って意気揚々と講義を続けている。自分の顔がSNSに晒されていることも知らずに。


 それよりも僕には考えなくてはいけないことがあった。幼馴染の誕生日プレゼントである。幼稚園から長く知っている美夏に何をあげるのか、これはかなりの難題であった。大学4年の幼馴染(異性)があげても気持ち悪くないもの、かつ喜ばれるもの。しかもこれまでの直近10年の品は避けなくてはならない。
 その日のバイト中、友達の花梨を頼った。花梨は即答。
「ディオールのマキシマイザーだね」
 知らない言葉が二つ並んだ。無理。
「マキシマムザホルモン?」という僕の回答は無視された。
 その日僕は「でぃおーるのまきしまいざー」を忘れないように連呼しながら居酒屋のホールをぶん回した。
「生、たこわさ、唐揚げ、でぃおーるのまきしまいざー」

 休憩時間にスマホで調べると、「ディオール」が「Dior」であることが分かった。誰かの前で読み間違える前に知って本当に良かった。マキシマイザーもまあよくわからんけれどもモノはわかった。そして翌日、Diorに向かった。

 近くのイオンモールの慣れないフロアを歩き回っていると「Dior」を見つけた。しかし、店内には誰もいないし男一人で入れる雰囲気ではない。ましてや昨日「Dior」が読めるようになった男が入って良いわけがない。
 店の前を4往復して、考えた末に諦めた。結局ココカラファインでちょっと高い入浴剤を買った。


 美夏の誕生日会は近くの沖縄料理屋で開かれた。家族ぐるみで仲がいいのでむこうの両親と弟、うちの家族で祝った。入浴剤も、喜んでもらえた。我ながら良いチョイスだったかもしれない。

 母親が地雷を踏んだのはその後。
「美夏ちゃんは就職決まったの?」
 息子が失敗して三流企業に就職するのにもかかわらずその質問か。いかにも嫌味な質問である。
「ディオールです」
 美夏は目を輝かせて答えた。
「えーすごいじゃない!美夏ちゃんがいるなら買いに行くわよ」
 俺は不貞腐れて「ふーん」というと、
「ディオールなんか知らないでしょ」
 と少しニヤけながら美夏が言った。

 僕はドヤ顔をして答えてやった。
「知ってるし。マキシマイザー屋さんだろ」

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