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【実話】京セラフィロソフィの実害! 個人投資家のFIREへの旅路 第149夜
さて、僕のような社畜の実態を発表することで、こいつに比べれば、自分はいい環境だなと思っていただきたく書かせていただきます!
【京セラフィロソフィー】
前提として、うちの会社は「京セラフィロソフィー」と呼ばれる経営哲学の教科書を元に教育がされています。
これは、有名な経営者である京セラの創業者 稲盛氏が作った経営の元となる考え方です。
書いてある内容は、「正しい」ことです。
” 確かにそうですよね ” ということが、書いてあるのです。
このフィロソフィーの考えを以って、
JALの再建を成し遂げたこと、
第二電電(今のau)を創業、大きく発展させたこと、
これらのことから考えても、
業種が違えど通用する考え方であると言えます。
なので、、、
稲盛氏を崇拝する企業は、
このフィロソフィーを自社にそのまま使う企業が多いわけです。
【時代背景の違い】
京セラフィロソフィーは、業種を超えて、通用する経営哲学ですが、唯一、時代の流れには取り残されている考え方です。
京セラが大きく成長した時代は、高度経済成長期と呼ばれる時代であり、
「作れば売れる時代」の中で、生まれたのがフィロソフィーです。
iPhoneの登場が約10年前。この10年の技術の進化のスピードが以前とは大きく違います。
この変化の速度が上がった時代において、未だ、数十年も前の「考え方」をもとに経営をするのは、いかがなものか?
【京セラフィロソフィーの内容】
京セラフィロソフィーは、70項目ほどから成り立ちます。
そしてフィロソフィーと連動した、経営理念が存在します。
それが、
「全従業員の物心両面の幸福の追求」
「人類社会の進歩発展に貢献する」
この二つが経営理念としあります。
ここをスタート地点として、フィロソフィーが効果を発揮するのです。
その効果とは、従業員のブラック労働の正当化です。
目的はそこにあらずとも、現代においては、そのような実態になってしまっているのは事実です。
実際に、弊社ではこんな状態。。。
【事実】 京セラフィロソフィーのある会社
出発地点は、経営理念である「全従業員の物心両面の幸福の追求」です。
従業員は、物心両面=物と、心の、両方の幸せを追求することが義務となります。
”物"の幸福とは、簡単に言えば、給与が上がることです。
給与を上げて、車、家や、物を購入できるという幸せを得ようというもの。
これの聞こえは良いのですが。。。
フィロソフィーの中の「売上を極大に、経費を極小に」という項目とセットで考えられ、
営業については、売上を上げてこいという、物凄い剣幕での営業会議となって現れます。こんな売上では、「物心両面の幸福の追求」はできない!とただただ説教が繰り返されるのです。
経費の部分では、営業に出た時の、駐車場代や、パンクの修理、細かなキズの修理など、会社に請求できない空気が作り出されます。
従業員は、「物心両面の幸福の追求」のために、自分の自腹を切って、会社経費を支払うのです。 この矛盾。
結局のところ、
「全従業員」という言葉がポイントなのです。「"全"従業員」です。個人のミスのために、"全" 従業員の利益が減ることは許さん!というわけです。
実際に、私が経験した自腹は以下の通り。
【自腹総額】
駐車場代 3千円/月
営業車のバンパー交換 5万円
原料購入費 9万円
返品商品の買取 21万円
このほかにも、細かなところまで計算すれば、100万円ほどになるのではないかと思います。
このほかにも、年一回、個人でお金がかかる項目があります。
社長へのお中元 (半強制) 1万円
社長への誕生日プレゼント(従業員みんなから 強制) 1万円
社長への誕生日プレゼント(個人から 半強制) 2万円
これ、やばくないですか?
なんでこんなことになるかというと、
フィロソフィー「大家族主義で経営する」です。
家族なんだそうです。
正直、そう思っているのは、社長だけです。
この「大家族主義で経営する」と「全員参加で経営する」というフィロソフィーが、大きな弊害を産みます。
【「大家族主義で経営する」と「全員参加で経営する」】
このフィロソフィーから、強制されることは、
社長が思いつきで行う、休日の食事会などです。
日曜に出勤して、会社でバーベキューをしたりします。参加しなければ、「全員参加で経営する」というフィロソフィーを理解していないと叱責されます。
つまり、誰も、進んで参加していないのです。
社長が、考える、従業員の幸せと、従業員が思う自分の幸せにズレがあるのです。
休日は家族とすごいたい。自分の趣味に時間を使いたい。恋人と過ごしたい。
そんなことも、許されないのです。
本当に予定が、あり断ると、「お前とは縁がない」と、不機嫌な態度を取られるのです。
【日々の業務】
そんな特殊なこともありながら、
普段の業務はどうかというと、こんな感じです。
5:30 出社
5:50 出荷作業開始
8:00 朝礼
9:00 営業回り or 製造補助
17:00 帰社
18:00 営業会議 or 製造補助 or 説教
22:00 退社
このような感じです。
フィロソフィの「経費は最小」という項目に基づき、
正社員の使い放題の労働力を使いまくるのです。
本来は、早朝の作業は、専属のパート従業員が配置されていました。しかし、人件費の削るために、僕たちが作業をしています。
夜の時間も同様に、製造現場が終わっていなければ、補助に入ります。終わっていても、社長が社長室にいる限り、誰も退社できない。
退社しようと、「お疲れ様です。お先に失礼します。」と言えば、
「はぁ? なんで?」
と、返されます。
こう言われた社員は、もう二度と、社長よりも先に退社できなくなります。
こんな労働態勢は、全て、フィロソフィーの「経費は最小に」と、経営理念である「全従業員の物心両面の幸福の追求」から正当化されるのです。
早朝だろうが、夜間だろうが、関係ありません!
サブスクですから、我々の労働力が、定額近い放題!速度制限なしです!
【タイムカードの仕組み】
さて、こんなブラック労働がなぜ、法的な罰則を受けないのか?
それは、タイムカードが改変されているからです。
タイムカードは、手書きです。
私の場合、7:00ー19:00 と、書くように決められています。
残業代込みの給与体系のため、12時間労働、1時間休憩ということになっているらしい。。
これを先日、試しに、6:00ー19:00と書いてみました。すると、なんと、休憩時間が2時間に書き換えられていたのです!!
なので、会社としては、何時と書こうが、従業員の給与は固定です!
まさに、サブスクなんです!! 使い放題の労働力です。
こんな状況で、
社長は「うちの会社は利益率が高い!生産性が高いからだ!」と力説するのですが、
完全に間違いで、人件費が浮いた分が利益として残っているだけなのです。
しかし、
これが
全従業員の物心両面の幸福の追求なのです!
この会社では、美しく、正しいことになるんです。
ちなみに、三六協定は、誰かが、こっそりサインしています。
この時点で無効なんですがね!笑
【物心の心の幸せ】
さて、次は、物心両面の幸福の「心」の幸せとは、何を意味するかです。
これは、心の「成長」とされています。
これがまた弊害を生みます。
心の成長=人間性の向上という理論が展開されます。
そうすると、全従業員の物心両面の追求をするという前提から、
先に書いたような、ブラック労働を進んで行うことが、
人間性が高い人と評価されるのです!
ここで登場するのが、「利他の心」という考え方。
会社の利益のことを考えて、自分の給与は出なくとも、利他の心で、仕事に取り組みます!
こういった姿勢が評価されます。
こういった人間が、人間性が高いと評価されます。
同調圧力は半端なく、自分の仕事は、後回しにしなければ、利他心がないと批判をされます。
その結果、例えば、製造現場の補助に入り、自分の見積作成が深夜にまで及ぶのです。
休日も、同様に、利他の心で、休日出勤するのです。
人間性を高めるために、無給で、仕事をするのです。
これが、「心」の幸福の追求です。
いかがでしょうか?
いったい、誰が、幸福なのでしょうか? 笑
【フィロソフィー教育=ブラック労働の正当化】
強調して言いますが、元々の京セラフィロソフィーは、ブラック労働を正当化するツールではなかった。
時代が変わり、それって、ブラック労働だよと、定義される内容だったということです。
そして、京セラフィロソフィーを正しいと信じて、働いている人からすれば、ブラック労働とは思っていないし、楽しんでいるとも言えます。
そういった人々にとって、幸福の追求になりえます。
しかし、
現代においては、そのような考えの方が少なく、
事実、弊社の従業員も、30代後半でも若い社員です。
これから、確実に、人が続かないという現実が待っているでしょう。
会社とは、人です。
人がいなければ、成り立たない。
部下がいなければ、上司もいないわけですから、社長もいない。
僕は、2022年の3月に脱出をすべく準備を進めております!!
まぁ、こんな社畜の働き方を知っていただき、
笑っていただければ幸いです!!