【ノド鳴り(喉頭片麻痺)】を正しく理解する
(1)はじめに
サンデーサラブレッドクラブの3歳馬、サドルロード(父オルフェーヴル)がノド鳴りのために引退した。
ノド鳴りはレースパフォーマンスを著しく落として、最後には競走馬生命を絶つことになる病気だ。
血統や馬体を見て、「これは走る」と勢い込んで出資しても、ノド鳴りで走らなかったという結末の前に、私たちは力なくうなだれるしかない。
(2)ハーツクライもノド鳴りで引退
ノド鳴りと聞いて思い出すのは、ハーツクライだ。
2005年の有馬記念でディープインパクトを撃破し、その勢いで翌年のドバイシーマクラシックを優勝したハーツクライだったが。
2006年のジャパンカップでは、2番人気に推されながら10着に敗退した。
この不可解な敗戦後、橋口弘次郎調教師が、「ハーツクライは、実はノド鳴りだった」とのコメントを発表して物議を醸し、ハーツはそのまま引退に追い込まれた。
無双を誇ったあのハーツクライでも、こんな形でターフを去ることを余儀なくされるノド鳴りとは、これほど恐ろしい病気なのか。当時、そんな感想を持った。
ハーツクライの現役最後のレースとなったジャパンカップ
長く1口馬主の趣味を続けると、自分の出資馬がノド鳴りになる事態はいつかはやってくる。
そこで、今回は、私たちとは無縁ではない、このノド鳴りについて、勉強してみた。
(3)ノド鳴りとは
ノド鳴りは、正しくは喉頭片麻痺(こうとうへんまひ)のこと。 喘鳴症(ぜんめいしょう)ともいうが、この記事では喉頭片麻痺の表記で統一する。
社台サラブレッドクラブの公式ホームページにある「競走馬の病気」では次のように解説がされている。
運動中に異常音(喘鳴音)を発する病気を指す。この病気は反回神経の麻痺や呼吸器の感染症により、披裂軟骨(気管の入口)が完全に開かず気道が狭くなることが原因で、重症例では競走能力に影響を及ぼすことになる。治療として消炎を目的とした吸入療法や、気道を広げる手術(喉頭形成術)を実施する。
「咽頭の内視鏡所見」の3枚の写真を並べた。
この写真から、喉頭片麻痺がどんな病気なのかをイメージすることができる。
a:正常な披裂軟骨の外反
上(a)が正常な馬の喉。
b:5/5咽頭片麻痺
こうして並べると、aの正常な馬に比べ、bの咽頭片麻痺(ノド鳴り)を発症した馬の気道は小さいことがよくわかります。
c:走行時
喉頭片麻痺を発症した馬のノドは走行時には狭くなっていることが見て取れます。これでは、息が苦しくなってよい競走成績が得られないのは頷けます。
今回、ノド鳴り(以降は喉頭片麻痺と記す)を勉強するにあたって、社台ホースクリニック所長田上正明氏が書かれた「サラブレッド302頭の喉頭片麻痺に対する喉頭形成術の術後成績に関する回顧的調査」をテキストにした。
上に掲げた3枚の写真は、いずれも上記の論文から転載した。
以下、氏の論文が掲載されているURLを貼った。
(4)ノド鳴りの原因は「わからない」
田上正明先生の論文で、一番驚いたのは、以下の記述。
喉頭片麻痺は左反回神経という神経の麻痺によって起きることが知られていますが、その原因についてはいまだに不明です。「サラブレッド302頭の喉頭片麻痺に対する喉頭形成術の術後成績に関する回顧的調査」
なんと、原因はわからない、とのこと。
社台サラブレッドクラブの公式ホームページにはノド鳴りの原因を「反回神経の麻痺や呼吸器の感染症」としているが、ここでは、「呼吸器の感染症」でノド鳴りが起こるとされているが、「反回神経の麻痺」が「喉頭片麻痺」のことで、こちらについては原因がわからない、という解釈でいいのだろう。
ノド鳴りはなんとも、厄介な病気であることがわかる。
(5)ノド鳴りは大型馬に多く発症する
田上先生の論文で私が一番興味深いと思ったのは、喉頭片麻痺は大型馬に多く発症するというデータだった。
性別は、雄249頭、雌36頭、騸馬17頭でした。500kgを超える大型の雄馬に多く認められたことは、過去にJRAが実施した疫学調査に一致していました。「サラブレッド302頭の喉頭片麻痺に対する喉頭形成術の術後成績に関する回顧的調査」
大型馬ということは、この病気は自ずから牝馬よりも、馬格が大きい牡馬のほうが多いということになる。
ハーツクライが発症したときの馬体重(2006年ジャパンカップ時)は500㎏。
同じく喉頭片麻痺を発症したダイワメジャーも500kgを越える大きな馬だった。
5月に引退したサドルロードのレース出走時の馬体重は508~524kg。
以下、ネットで「ノド鳴り」をググってヒットした馬の体重を書くと。
・アントニオバローズ(ダービー後に発症。ダービー時512kg)。
・ゴールドアリュール(帝王賞時510kg)。
・ハートスナッチャー(中央最終戦の未勝利戦時530kg)。
なるほど、ランダムにググっても喉頭片麻痺を発症するのは500kg以上の大型馬であることがわかった。
ここで気になるのは、ハートスナッチャーはダイワメジャー産駒。父もノド鳴りで引退したので、この病気は遺伝するのだろうか。
(6)ノド鳴りは遺伝しない
「ノド鳴りは遺伝するか」
この問題に対して、田上先生は明快に答えていらっしゃる。
統計学的には喉頭片麻痺の発症に関わる、種雄馬による遺伝的な発症要因は認められませんでした。「サラブレッド302頭の喉頭片麻痺に対する喉頭形成術の術後成績に関する回顧的調査」
ダイワメジャー産駒のハートスナッチャーが発症したのは、ダイワメジャー産駒が大きく出る特徴があり、こうした条件がノド鳴りになる背景になっただけで、ノド鳴りという病気の因子が遺伝的な要因を持つものではないようだ。
ただ、ダイワメジャーのように産駒が大きく出る馬は、常にノド鳴りのリスクを抱えていることは覚えておいたほうがいいだろう。
(7)ノド鳴りは若馬に多く発症する
次に発症する馬齢について、先生は次のように書かれている。
手術時の年齢は、2歳が136頭(45.0%)、3歳93頭(30.8%)、4歳41頭、5歳以上32頭でした。2・3歳の若い競走馬が全体の約3/4を占めており、最近は2歳でも早いうちに手術を選択するケースが増えてきています。「サラブレッド302頭の喉頭片麻痺に対する喉頭形成術の術後成績に関する回顧的調査」
3歳で引退したサドルロードのことを考え合わせると、2・3歳で約75%発症するというのは納得できる。
ダイワメジャーは皐月賞後に発症して、手術を受けた。
一方、ハーツクライは5歳時に発症したレアケースだが、競走馬は若駒でなくてもノド鳴りのリスクから免れることはできない、ということか。
(8)ノド鳴りは手術により改善する例も
次に気になるのは、ノド鳴りは治る病気なのだろうか、ということだ。
まず治療法としては、一般的に手術が行われる。
馬の喉頭片麻痺の治療方法には、今回取り上げた喉頭形成術(LaryngealProsthesis)や、声せい嚢のう切除術せつじょじゅつ(Ventriculectomy)、声帯摘除(Ventriculocordectomy)、喉頭神経再植法(Laryngeal Innervation)、披裂軟骨摘除術(Arytenoidectomy)などが挙げられます。このうち約40年前から、喉頭片麻痺によって狭くなった気道を拡げる方法として最も一般的に行われてきた治療方法(手術手技)が喉頭形成術です。「サラブレッド302頭の喉頭片麻痺に対する喉頭形成術の術後成績に関する回顧的調査」
社台ファーム生産のダイワメジャーは3歳時(11月19日)社台ホースクリニックで手術が行われた。
手術後の明け4歳にはGⅢダービー卿チャレンジトロフィーを勝って、無事復活をし、さらにその後、天皇賞(秋)、マイルチャンピオンシップ2回、安田記念などのGⅠ競走を次々に優勝して見せるなど、完全にノド鳴りを克服して、そのタフネスぶりを印象づけた。
しかし、ダイワメジャーのような成功例はまれで、ほとんどの馬は術後の経過はよくなく、中にはアントニオバローズのように手術後の合併症(感染症)により、不幸にも亡くなってしまう馬もいる。
ここらへんの事情を論文では次のように記している。
既に500頭近い症例を手術してきていますが、正直に言っていまだに、「何が良くてうまくいって」、「何が悪くてうまくいかなかったのか」がはっきり分からないのが現状です。「サラブレッド302頭の喉頭片麻痺に対する喉頭形成術の術後成績に関する回顧的調査」
この記述から、現場の獣医師たちはこの病気に対しては、試行錯誤を重ねていることがわかる。
田上先生のような獣医師のみなさんの昼夜を問わない懸命な努力によって私たちの出資馬の健康と命が支えられている。
本当にご苦労様です。ありがとうございます。
と改めてお礼申し上げたい。
(9)情報公開を
ここまで読んできて、喉頭片麻痺(ノド鳴り)という病気がおぼろげながらわかってきたように思います。
まず、ノド鳴りの原因はわからず、手術によっても、大半の馬は治らない。
競走馬にとっては、言葉の通り、命取りの病気であり、出資者の私たちにとっても、とても厄介で、可能なら喉頭片麻痺を発症した(するかんぉう性が高い)馬を避けたい。
そこで、クラブ側には情報公開をさらに進めてもらいたいと最後に提言します。
セレクトセールなど個人馬主向けの競走馬市場では、すでにレポジトリーを導入しています。
レポジトリーとは、
レポジトリーとは、販売申込者から提出されたセリ上場馬の「四肢レントゲン像」や「咽喉頭部内視鏡像」などの医療情報を、予め購買者に公開するシステムです。(JRAホームページ「馬の資料室」より引用)
1口馬主は「金融商品取引法」で厳しく管理されています。
金融商品はリスクを伴うことはもちろんですが、これは出資者の一方的な自己責任の問題で片付けてよいものだとは言えません。
商品の販売者にも同等の責任が生じるのは当然です。
そこで、1口クラブには情報公開(ディスクロージャー)を今後とも推進することは社会的に求められる責任なのではないでしょうか。
今回の喉頭片麻痺の問題についてはレポジトリーの導入を提案したいと思います。
馬は株と違って生き物です。
である以上、思わぬ病気や怪我に見舞われる危険性が常にあります。
このような不安を抱く会員に対して安心感を持たせることは、今後の1口馬主会員とクラブ双方の持続可能性を担保するためという意味では、この仕組みは双方に利益をもたらすことにるため、必要なことと思います。
もし、クラブ関係者の方がこの記事を読まれているのであれば、ぜひレポジトリーを検討していただけるよう、よろしくお願いいたします。
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