3.11を数日前から感じていた時のおはなし
こんにちは。
自由と責任を感じています、嫁です。
今日は、2022年3月11日。
「東日本大震災」から11年経ちましたが、今でも苦しんでいる方はたくさんいますよね。
体だけではない、心の苦しみです。
その頃を振り返って、「3.11を数日前から感じていた時のお話し」をします。
(この記事は「東日本大震災」と「ロシア・ウクライナ」のお話が書かれています。見たくない方は、読まないでください。)
私は大阪の大学に入学する直前でした。
突然母に、「早く大阪へ行きたい」と喋りだす
大学の入学が決まり、実家を離れる日が近付いていました。
初めて実家を出る経験をします。
大阪に行く日は、2011年3月18日。
ある日、私は早く大阪に行きたいと感じて「まま、早く大阪行きたいんだけど」と母に話します。
その時から私は直感で行動する人だったので、何か感じたんでしょうね。
ただ、「怖いものが来るから早く行きたい」とは思っていませんでした。
もし知っていたら、家族を置いて1人だけ大阪に逃げることなんてしないですもの。
そして大阪に行く日を早めることを認めてくれた両親。
大阪に行く日は、2011年3月10日。
「東日本大震災」の前日に千葉から大阪へ行ったんです。
無事大阪に着き、母が帰ります。
翌日、私は大学の体育館で部活見学をしていました。
体育館が少し揺れていました。
震度2くらいかな?と考えていた時です。
部活の顧問の先生が、「ゆかりさん!はよ、実家に連絡し!」と私に言いました。
「えらい地震あったみたいやで」と。
私は一気に不安になり電話をかけますが、すぐに通じなくて不安が募りました。
電話が繋がり、なんと家族は全員無事でした。
生活が始まったばかりの家に帰り、テレビをつけると津波の映像が。
本当に今、日本で起こっている映像でしたが、信じられませんでした。
どのチャンネルも、地震や津波の映像とACのCM。
「なんなの?」と思いました。
「私だけ逃げてきたみたい」で今思うと複雑ですが、なんの不自由もなく人生が送れたことに感謝しています。
父の職場の近くでは原発が爆発していて、外に出ることが危険でした。
電話をしながら、父はその様子を話してくれました。
おそろしいです。
そして、自然には人間は全く、全くかなわんのです。
必要だから起きたんだと今は思えますが、当時の状況でそんなこと言われても誰も耳を貸さなかったと思います。
「そんな綺麗事」、あの状況で受け入れられなかったでしょう。
自然は美しく、偉大です。
でも時に、恐ろしいものにもなる。
宇宙の法則だから、覚悟を決めないといけない。
でも、すぐには受け入れられないことだってあります。
無理です。
でもいつか、絶対に受け入れて乗り越えられる。
みんなで乗り越えられる。
最近、ロシアとウクライナの間で戦争が起きています。
みんなただ幸せでいたいだけなのに。
それをプライドとか固定概念でガチガチに固めて、崩壊させてしまっている。
違うじゃない、そうじゃないでしょう。
戦争はしませんと思っている方は多いけど「なんで?」と聞かれたら、私は納得させられる答えを言う自信はあまりないです。
でも、みんなが持っている「幸せでいたい」素晴らしい気持ちを、プライドとか固定概念でガチガチに固めて崩壊させてしまっては、これからも苦しむことになる。
幸せがこないです。
私はみんなと同じ人間です。
みんなも、そうでしょう。
やり方が違うよ。
しかも、それを止めるために身を持って戦う方が更に苦しんでいますよ。
いいことなんて、ない。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。