学びの記録(2年生前期)
はじめに
こんにちは、そーまです。かなり久しぶりの投稿になりますが、今回は大学2年生の前期に受けた講義のなかで得たものを記録していこうかなぁって思ってます。僕の授業の受け方的に、その授業で伝えようとしとる内容を抽象化して、他の場面にも使えるようにとらえてます。なので、僕の解釈とか転回の仕方とかも書いていこうと思ってます。本当に軽い気持ちで書くので、見る人が見たら内容違うかもしれないかもですけど、僕のメモとして、またみなさんの学びの一部になればいいなって思ってます。
構造的に捉える
これは差別の話で出てきた考え方。差別を個人的なものとしてとらえている考え方ってかなり多い。例えば、「差別する人が悪い」「あの人が悪い」「私はなんにもしてない」みたいなやつ。でも、差別が何で生まれたのかって考えたら、その人の心だけの問題なんでしょうか。環境が作り上げたり、そもそも差別が起きている状況が見えなくなっていることって多くあると思うんです。だからこそ、そういう問題って個人的な問題としてだけ捉えるのではなく、構造としてもっと広く捉えることも必要なのではないかという考えです。
さて、ここからが僕の解釈というか、別の話に転換させた話をします。僕は高校生の時に、犯罪者ってなんで犯罪をするんだろうっていうのを考えていた時期がありました。「こんな犯罪するなんてあほなんじゃないの?」って言われること多いけど、それだけではない気がするんです。抗えない何かがあるのかもしれないとか、その背景は何だろうとかっていうのをめちゃくちゃ考えてたんです。「構造的に捉える」っていう考え方は、「個人の問題だけではなく、環境の問題や、これまで見えていなかった別の個人的な要因にも目を向ける」っていう考え方につながる気がします。世界を広く見るためにはこの考え方ってすごく大切な気がします。当たり前のことを言ってるかもしれないですけど、それでも、もっと広く世界を捉えるためには立ち止まる能力ってすごく大切なのではないかとも思います。
暮らしの視点から
暮らしの視点。これが一番衝撃をうけた言語化な気がします。最近、SDGsの話ってすごくたくさん出てきてますよね。2030年までに達成するってやつ。皆さんどのくらい意識できてますか?いえ、質問を変えます。意識できますか?この質問が本当に核心をついている気がします。SDGsって広くて、難しくて、他人事にしやすすぎると思うんです。簡単なことからでもできるって言われるけど、実際にそれ言われて行動を変えている人ってどのくらいいるんだろうと思うんです。プラスチックを使わないとか、フェアトレード商品を買うとか。簡単に言えるけど、実際にそれを選択することってほとんどないんじゃないかなって思います。それってなんでかって言ったら、暮らしの視点が足りていないからではないかというのがこの言葉です。暮らしの視点。安さ・おいしさ・使いやすさ・利便性・どれくらい得る機会があるか・選択肢の多さなどがパッと思いつくかなーって思います。「簡単なことからでも」のその簡単なは、本当に簡単なんでしょうか。特定の場所でしか出会えないとか、高いとか、種類が少ないとかっていうその要因は無視できるのでしょうか。そこを無視するからみんなが他人事にできてしまうのではないかなって思うわけです。それこそSDGs達成に向かう行動をとることができないのは個人の問題なのでしょうか。「構造的に捉える」ってここでも使えるのでは・・・?
さて、僕なりの学びです。この暮らしの視点という考え方は僕の大好きな「仕掛学」という考えに似ているなって思うんです。この「仕掛学」とはなにかっていうのは前に投稿した気がするので、リンクをここに張り付けておきますね。よかったら読んでみてください。仕掛けっていうのは簡単に言うと、人にその行動を選ばせ得るものって考えたらいいのかなと。仕掛けを作るときにはその人がつい行動したくなるような因子が必要です。そこに暮らしの視点がいるわけです。暮らしの視点を入れることで大きな問題や達成したい課題に対して「動きやすさ」もっと言えば「行動を変化させるのに妥当な最低限の理由」を提示することができます。
具体的に言うことの大切さ
「多くのことを学ぶことはできました。」「今後に活かしていきたいです。」何かの感想やアンケートがあると、多くの人が書くのではないでしょうか。でもこれって情報量ゼロの文章であると思うんです。「多くのことを学んだ」の「多くのこと」が何かを知りたいのです。そしてそれらを「今後に活かす」の「今後」とは何かや、どのように「活かす」のかを知りたいのです。僕は高校生や大学生と関わることが多くあるのですが、彼らの口からこの言葉が出ると少し残念に思います。僕たちが一生懸命に企画したイベントからは何も得てはもらえなかったのかなぁと。もちろん時間の都合上でそのように省略することもあると思います。それであれば、具体例を1ついう方がいいのではないかと思います。
おわりに(僕の学び方)
ここからはまとめとして、僕がどのように学びを得ているかについて書こうと思います。僕はかなり影響を受けやすい人間だと思います。自分で考えること・言語化することがとても苦手なのです。だから本を読んだり、人の話を聞くことで自分の表現を得ています。そうすると、どこかで自分の獲得した考え方とは対立する考え方を持ったものと出会うことがあります。そのときには僕は僕が持っている考え方でその人や本と対立します。真っ向から。その時に大切にしているのは、僕が自分の思いや考え方を大切にするのと同時に、対立している相手の考え方ときちんと対立することです。きちんと対立するとは、納得できるまでぶつかることです。これは否定することではなく、なぜそう思うのか、違うようには考えられないのか、僕の意見とはどの時点でズレているのかなど、その意見を構成する要素に目を向けるのです。これを考えた結果として自分の考え方の方が納得しやすいのであればそのままでいいし、相手の意見の方が納得できるのであれば考え方を吸収します。これが僕の学び方です。
この考え方はけんかの時にも使っています。けんかしている時にこれを使うと、たいていの場合は僕が間違っていることに気付けます。それで納得できるからこそ、心から謝ることができるし、その結果喧嘩が長引くことはないし、それ以前より仲良くなることができるのです。ただ、これは僕の中に大切にしたい考え方みたいなもの(”軸”)がないという点ではあまりよくないのかなぁとも思います。
この半年でイベントを開いたり、行ったことのないところに行ったり、持っていなかった価値観に触れたりすることができました。それらの多くは僕の考え方の更新につながりました。今後は自分の軸を探しながら、今の考え方との両立を図っていきたいと思います。また気が向いたら投稿をしようと思うので、また楽しみにしてくださるとうれしいです。
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