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“下手なままやる。創る。”〜ハマった沼を語らせて〜


ぼくの沼それは
“下手なままやる。創る。”

noteでの企画で“ハマった沼を語らせて”というハッシュタグを見ました。きっと内容的にはおそらくきっと…人であったり、趣味やそういったものが対象になるのだと勝手に妄想しています。

ぼくもこの企画に乗りたいと思いましたが、ハマった沼がたくさんある中で“ぼくの沼”を書くのは少し迷いがあります。

何故なら“下手なままやる。創る。”という語り辛い内容がことがぼくのハマった沼だからです。


こんな絵やら色々描いている。



何故“下手なままなのか?”
その意味


意味とか理由を話すのは好きではありません。
理由があったら納得するのでしょうか?

こんな挑戦的な文章で始まって申し訳ないのですが
語ると言っている以上仕方がありませんね。笑


意味としては
今までの自分をぶっ壊す!!ということです。

えっ!ですよね?笑
わかります。ぼくも書いていて思いました。笑

では、ぼくは何を今壊したいのか?過去の自分は

“上手くなるまで表でやらない、見せない”
人様に見せるためには上手くやって喜ばれるくらいにならなきゃなんて思っていました。


プライドも高い上に、なんだかつけ上がっているますね。過去の自分。

ぼくは“創る時が幸せ”だと今気づきましたが
いわゆる“他人軸”に苦しんでいました。

でも、それは他人のせいではありません。
自分が勝手につけた足かせのようなものでした。

下手なままといえば少し毒がある気がしますが
少し言い換えると

【今自分ができる限りの能力でやる。創る】が正しいかも知れません。

ぼくは“ローファイイエローファンク”として
音楽、絵、文章や様々好き勝手に創作活動していますがその名前の意味も“下手なままで演る”が意味が込められています。

そんな意味のないプライドを壊していく過程が気持ちよくなってさえいます。
今、ハマった沼としてこれが一つかも知れません。


・下手なままでもやる魅力と向上心


ここで商品紹介のように魅力と言っていますが
ぼくのやっていることはいわゆる“成功”とは程遠いものです。

当たり前です。下手なままやるのですから。

でも、ぼくは思うのです。

【上手い】ことと【上手くない】にはそれぞれ魅力があり縦軸、横軸で語るのではなく、円形。つまり“広がり”で語るのが一番良いと今は思っています。

音楽を聴いていて、上手い絵を観ていて、上手いとされる文章。ぼくはいつからか“飽き”が来てしまいました。

まるで季節のように言っていますが、必ず飽きが来るのです。

もちろん自分でも作曲をやろうと練習を重ねたり、施策を重ねたりそんなことを10代からやっていますがもう飽きました。

でも、作曲作業は大好きです。
上手く作ろうとすることに飽きが来てしまいました。

ある日、noteを知り音楽以外でもやりたいと思っていた頃でした。
絵も描きたいし、文章も書きたい。

初期の頃のnoteは読んでくれる人が一つでも面白いと思ってくれるように様々上手く書こうと躍起になっていました。

それこそ、ここ最近ちょくちょく投稿しているぼくですが

昔は投稿頻度も低く今もあまり面白くないですが、昔もそれなりに面白くないのです。

真面目に上手く書こうとしすぎていて。

下手でやる魅力を上げるとすれば、とにかく出す!できたら出す!投稿!なので

無理のない制作をやっていくと心のデトックス状態になり自分らしい投稿。内容になったこと。
何より才能のない自分が変な輝きを放ちつつある!


なんて素敵な勘違いを起こせることが心の衛生とても良い!のが魅力であり、今ハマった沼であるのです。

最後に…向上心がないわけではありません。
上手いを否定しているわけでも、妬み、嫉みついでに拗らせしちゃってるわけでもありません。

ぼくの向上心としては“成長”より“変化”
“縦横”ではなく“広がり”そして、上手い以外の言葉にできない魅力を見つける。

その先にぼくだけの“向上”があると信じています。
今後ハマる沼を上げるとすると“ぼくだけの向上を創る”になると感じています。

だってぼくの人生なのですから。

文章なんて上手くないまま勢いで完成させて初の長編紀行文⤵︎『ベトナム南部思い出紀行』


ちなみに…note版『ベトナム南部思い出紀行』


・ぼくの幸福を創る

ぼくは他人の荷物を背負うのが昔から得意だったようです。

物理的な意味でも小学校の頃よく帰りに“友達”という奴隷制度のような恐ろしい関係性があり

当時よくいた重い教科書が入ったランドセルやカバンを持たされるヤツ。それがぼくでした。



大人になればみんなそんなことはいっさいやらなくなります。

ですが大人になると別のところから責任という荷物を背負わされることになります。
これは目に見えないから厄介であり、下ろし方もランドセルのようにはいきません。


ぼくは誰かに期待されると思うように動けないようです。まるで友達のランドセルを背負っているように。

それを大人のランドセルとでも呼びましょう。
その大人のランドセルは同世代だけならまだしも

ぼくたちより上の方々から代々積み上げられた“責任”“課題”など目に見えない“何か”が

ギッチギチに詰められた大人のランドセルがぼくの肩に岩のようにのしかかってくるのです。

下ろすことも簡単ですが、それでは上の大人たちと同じでぼくは吐き気がします。大っ嫌いです。
(こんなこと言っているぼくの年齢は36歳!)

年下の人たち、はたまた子供たちに同じことをするわけにはいきません。
でも何ができるわけではないですが、このままにするわけにもいきません。


その一つの方法としてぼく個人のやり方ではありますが“自分の幸福を創る”です。


今までは従来の出来上がったシステムに乗れば良かったのですが、どう観ても昔から危ういのは今は気づくでしょう。

大人になっても既存の仕事があるのは奇跡に近いことだと、ぼくは20歳ごろリーマンショック後の就活で気づいたことです。

昔の文句を言ってもしょうがないですね。
ぼくが今からできることは


これからは自分で仕事を創る必要もあります。

これからは自分で何が好きなのか言語化、体現する必要があります。

これからは自分がどう感じると幸せなのか?どの瞬間が幸せなのか?

今までのパッケージハッピーライフはSF小説になってしまったのだと思っています。(造語でごめんなさい)


ぼくができることは“創ること”なので“対策”“解決”ではないですが様々方向からクリエイティブしていく力を見せなければならないと勝手に思っているのです。

多くの人に届いている。届いていない。は別として、下手でも創作活動をやり続ける見せつづけることです。


今後は自分が欲しいものは自分で創る。
良いものはみんなでシェアをする。

それは物理的な物も然り、環境も状況も関係ありません。ぼくは今、躁鬱に去年からなりグニャグチャした気分の浮き沈みのある自分だけど

それでもぼくは幸せだ!どう?寄ってく?
なんて小粋なゴキゲン野郎になりたいと思っています。

そんな自分を今から創っていくのです。

できるなんてわかりません。
方向も変わるかも知れません。
もちろん下手なままぼくの幸福を創っていく、やっていくのがぼくのハマった沼を語らせて!です。



あぁ、なんか吐き出すように書いちゃった…。
読みにくいし、話まとまってないだろうなぁなんて思いつつ投稿しちゃおう!以上です!


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『Selfish Boy』セルフィッシュボーイ
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⭐︎文章書いてる

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