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【似ッセイ】『あぱんだ』〜吉田一郎不可思触世界

現在、僕はしこしこ制作している仮タイトル「ローファイベッドルームサウンドA面」「〜B面」なる『EP』を制作中で影響受ける予定の?大好きなアルバム。

吉田一郎不可思触世界の「あぱんだ」

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「あぱんだ」に出逢うまでの自分

リリースは今から五年前の2015年。当時、今以上にくすぶりに、くすぶりまくった わたくし、ヤナギサワ26歳。彼女なし、気配なし。
ストレス。

気になるあの人は何処へ、見た目良くない、コレといった特技もない、正社員では無いのでお金はほぼ無い。バイト先で「兄ちゃん光るものが無いとダメだ!」と僕の何を知って発言してるか分からないパートのおばちゃん。ストレス。

友人以外にに会う人に会うたびに吐きそうになるのを我慢する日々&「吐く」そして治らない頭痛(だけど友人に会った後体調崩す)ストレス。

20代前半からあった白毛が更にひどくなる…4割白い。夜、歯軋り=歯がかける。
その後、異常に歯磨きに執着=ストレス

音楽活動も上手くいかない、曲が出来ても自信がない。僕の中の唯一の「夢」という微かな自己固定は崩壊=そう、ストレス

しかも歌下手…
(あっ…残念な事にそれは今も変わらない。頑張る!)

とにかく、よく人々が思う楽しいはずの貴重な「輝く20代」は内からと外からの圧迫により、ただでさえ自分を抑え込んでいる僕にとって「地獄」の毎日で〈その輝き〉は微塵も無かった。

「若いのに!」「今が1番楽しいでしょう?」というパートのおばちゃん達の20代の僕に対する〈優しさコミュニケーション〉は当然の如く『凶器』となり、その鋭利な刃は僕の心臓をえぐり出し引き裂く様なものであった。

「辛い…どうしよう…」

“消えてしまおう…”

「そんな覚悟あるわけないし…」


頭の中、グルグル…グラグラ、ブラブラ…
本当の意味で地に足がついてはいないみたいだった。

それでも音楽を聴き続ける。

何のためかは自分でも分からなかったし、今もわからない。

今にも消えてしまいそうな胸の奥の見えない何か。それを消してしまわないように。

その音楽の向こうに、声の向こうに確かに聴こえる。その音楽をまがいなりにも必死に掴み取ろうと必死だった。

そこに「確かなもの」があると確信していたからだ。中学生の頃からそれは変わらない。

その中で出会った大切な1枚


吉田一郎不可思触世界「あぱんだ」

〜ノスタルジーと先鋭的ローファイサウンド〜

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[歌詞カードの裏。当時どう観て良いか分からなかったw 素敵な絵。]


YouTubeのPVを観る。斬新なピアノアレンジ。
胸が躍る

ピアノをメインに曲作りをしているピアノサウンドやアレンジ、ボーカルスタイルすべてが
多彩な色で飾られたコラージュサウンド。

知的に組み立てられた、カラフルなブロックアートの様。

そして、【歌詞の世界】【言葉の音】
サウンドと絡むとそこに奏でられている音の風景は夜の街。

〈あの頃の自分〉と〈あの頃がある音楽〉

それを構築するかの様にまとう〈先鋭的なサウンド〉

【ノスタルジー】と【現代】が
紙芝居の様に音楽が重なった瞬間、聴いた事も観たこともない世界へ更に加速させてくれる。

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https://music.apple.com/jp/album/%E3%81%82%E3%81%B1%E3%82%93%E3%81%A0/1500521256



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