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奇跡講座を学んで、悟った人は存在しますか?

ワプニック博士著「赦しのカリキュラム』質問71より

こういう疑問を持つ人がいると思います。
悟り・真に目覚めるという確証や証人がいないと、信用できないから学ぶ意欲がでてこない。
他の色々な教材でも『今年の試験で◎◎人合格!』とか、宣伝しているから売れている。
と、疑問におもって当然です。

ところがそんな質問・疑問に博士が答えていますが、

  • 真に目覚めた人が、そのことを周囲に触れ回ったりしないから

  • 一定の外観の基準で目覚めたかどうかを判定するが、すべての人に共通している基準はないから

というのです。
確かに、悟った人・真実に目覚めた人が「私は悟ったぞ!」と言い回る必要はないでしょう。そんなこの世での名誉や功績を自慢する気持ちは無くなっているでしょう。

また、たとえば『ベジタリアン、ビーガンだから悟った』とも『酒を飲まないから悟っている』とか言っても、すべての人が納得できる判断基準とは言えないですね。

奇跡講座のゴールに到達できないという恐れ

イエスが確約しています。
『この世はすでに終わっている』と『実は神のもとで安らかに過ごしている。いまは悪夢(この世の暮らし)を見ているだけだ』と言ってます。
それを信用できないという、あらわれです。

そんなときには、他のだれが悟ったか?真に目覚めたか?など考えて意識が散漫になるのを防ぐこと。
自分自身の取り組みに集中することなのです。

集中するために、テキストやワークブック、教師のためのマニュアルを再読するなり、JACIMのサイトを閲覧するなど。

集中できない自分を責めないようにすること

これは大事。ワークブックのレッスンを毎日完璧にこなすのは無理です。
はっきり言って、意味不明でチンプンカンプンです。
私も半分くらい進んでから、しばらく手にもとらずほったらかしでした。
自我が嫌がって、手にとらなかったんだと今は理解できますが。

当時はとにかく、イヤな思いが強かった。
365レッスンで毎日1つレッスンしたら1年間で終了ですが、1年半くらいかかったと思います。

その抵抗そのものも、大事。
その抵抗を自分で責めたり、くやんだりしないこと。
それは、奇跡講座の教えとは正反対の反応なのです。

その抵抗は【自我の消滅を防ぐための抵抗】なので、でてきて当たり前。
と自覚できたらOKと思いましょう。

自我の教えでここまで暮らしてきたと信じているわたしたち。
その思い込みを手放すのは並大抵なことではありません。

わたしもあなたも同じ世界にくらす、パートナーです。

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