心地いいに貪欲に生きること
昔から猫が好き
猫って心地いいに貪欲な生き物だなぁと常々おもいます。
それがまた好きなとこ。
面白い友人たち
どう在るか?が分かち合える友人たちとの会話はとても楽しい。OSが似ているというか、ひとりひとりはまったくいっしょではないけども、近いところで響きあうことができる。
この世界で、自分だけではないんだとホッとできる。
事前決定的に答えが決まっている世界は、どうも居心地が悪い。
私は長い間、心地よく人と過ごせることが少なかった。
知ってる人>知らない人
教える人>教えられる人
与える人>与えられる人
役割が決まり過ぎてる場所がどうにも苦手で疲れちゃう。
ただこうしないといけない、これが正解と人や社会が欲するものもわかるから、そのように振る舞うこともできないわけではない。
友人の息子くん、フリースクールに通う10代の中学生
学校ではほぼ教科書を開かなかった尊敬する50代女性
しょっちゅう授業をサボってたという仕事仲間の40代女性
授業中じっとしているのがすごく苦手だった40代女性
一緒にいて気楽にいれる友人たちは、社会のルールが窮屈でどうにもこうにもできなかった人たちが多い。
年々、身近なそのような人たちの割合が増えてきてるのも事実で、一昔前ののあたりまえは崩壊に近づいていってるのは間違いない。
なぜ、人が決めた見解に従うのか?
人が決めた見解に従うことができないと
社会でやっていけない、経済をつくれないと言われたりして、不安を煽られる。
余計なお世話です
「自分で決めさせてくれよ
しいていえば、そのための手伝いをしてくれよ」
と、人の言うことに従うことができない私は、根っこのとこでそう言う想いを抱えてたのだと思います。
人に何かをさせようとしたり、言うことを聞かせようとしたりする人がいたら、たぶんそのひとは『間』をつくらせないように、たたみ掛けて話す人が多いかもしれません。
人と人のあいだに、間があって、重なりながら互いを引き出し合えば、自ずと答えは見つかってくるはず。
役割が決まりすぎてると一方通行になり不循環になって、疲れて立ち行かなくなんじゃないかな。
「心地いい」というキーワードはグリーン
「心地いい」というキーワードはグリーン
「決断」「選択」もグリーン
あなたの胸に手を当てて聞いてみる、、、その行為はグリーン
ハートで生きると言う言葉はわかりにくいかもしれませんが、心地よくて、リラックスしていて、緩んでいる状態はハートが開いてる時。
あなたがハートの中心で、人生を選択できるのは、緩んで心地いい時でもあるのです。
だから貪欲に心地いいを求めてもいいんじゃないかな、身体にもいいし。私が20代の頃は、心地よさで人生を決めることはタブーでした。心地よくない状態が、仕事をしている、お金を稼げるという図式が当たり前で。
だからこそ、心地よさを選択して、まだまだバランス的にはマイノリティの人生を、貪欲に求めようとする人に出会うと、、、カッコよくて嬉しいし、でもそれは当たり前の自然の摂理だとも思うのです。