なぜか「山水経」が気になっていたのだが、増谷文雄氏の現代語訳付きの『正法眼蔵(二)』をタイミングよく古書店で見つけたので読んでみた。加えて、以前書いたスナイダーの記事を読み返し「山水は我々そのものであり、我々は山水そのものである」部分を追記した。 道元禅師の原文を読んでいると "Before Abraham was, I am" という言葉が思い浮かんできた。
増谷文雄氏は「道」を「ことば」と訳している。「道」とは「条理」でも「いう」でもあり、新約の「太初に言あり("In the beginning was the Word")」部分の「元始有道」という中国語訳を目にしたことから「条理によって貫かれたもの」と承知した上で「ことば」と訳したようである。「山は体、水は心」と思いきって意訳しようか。息するものは、さて誰ぞ。