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不可分
「ユクスキュルさんの『環世界』とか、今西錦司さんの『種社会』とか、語れるほど理解できてはいないが『人間』と一括りするのはどうなのか思う時がある」「現状の枠組みではない『枠』が見過ごされているということですか?」「『人間』であるという見方ありきだが、肯定も否定もできないのではないか。的を射ていると思っていることも変化する」「『的』は無限だと?」「いや、そんなことは言っとらん。ただ『無限』という言葉は嫌いではないがのう (笑)」「いつどこにいようと、なんであろうと」
「よく見れば 一括りできぬ 一人一人」「人類に限らずの話ですね。『機械』にしても当たり外れなんてことを言いますが」「ゆえに『保証書』なんてものが必要になる」「お、途端に現実的な話になりましたね。他の理由もございましょう」「ヒト、いや、お主はどうじゃ?」「(沈黙)『環世界』にも『種社会』にも個体差はありますね」「もちろん、ユクスキュルさんも、今西さんも気づいていただろう」「それを言いだすと収拾がつかなくなるので『ひとまず』の話をしたとか」「やはり的は無限がいい (笑)」
これらの (未知の) 世界への道は誰にでも開かれているわけではない、いやそれどころか、そこへの入り口となる扉が、ある種の確信によってあまりに堅く閉じられているために、それらの世界をさんさんと照らしている光の輝きが一条すらもこちらへ射してこないのである。
資料あつめをしているときから、どこかで理論に飛躍できないものかと、たえず考えているのであって、その見とおしがつきかねるときには、せっかくの資料あつめも、またその背後にひそむ問題意識も、そこであっさりと見切りをつけてしまうことさえ、ないとはいえないのである。